2015年12月30日水曜日

地域コミュニティとしての部活動組織

Twitterで「部活動顧問にもする、しないの選択権を与えよ」というウェブ署名が広がっている。もう2000人近い署名が集まっているらしい。発起人はTwitter上の「部活動否定派」の論客たち。関心を集めるのはいいが、これからどういうムーブメントにしていこうと思っているのか、ここまで大騒ぎになるとそちらが気になる。エモーショナルな動きに見えるのは僕だけか。顔が見えない人たちの署名活動は確かに耳目を集めるだろうが、腰を据えた議論をしようとしているようには思わない。本気なら違う方法がある。
年末になり、外出する機会も増えた。公園に行っても小学生の集まりを見てみると、ここでもゲームをしている。気のせいか、幼稚園(くらいの年齢)の子たち、低学年の子たちのほうが案外昔ながらの遊びをしている。今学期の懇談会の折にも「ゲームばっかりしている」という悩みを聞いた。「外で遊びなさい」と言って、いま子どもたちはいったいどこで遊べばいいのか。また、何で遊んだらいいのか。公園には「危険な遊びはやめましょう」「球技禁止」と謳った注意書き。サッカーや野球をやっていると地域から「公園で中学生が球技をしている」と通報がある。何をすれば子どもたちは正解なのだろうか。ゲームをするな。球技は危ない。繁華街に行くな。人工的に区画された公園で都会の人たちが憩いや遊びの空間を求める。自然と、誰もが共存できる空間になる。言うなれば、ならざるを得ない。
部活動という場が「自分の特性を磨く場」「団体行動を学ぶ場」「上下関係を習う場」と位置付けられて(そう考えられて)長くなるが、そろそろそういう視点は古くなってきたように思う。初めてボールを握るような子、スポーツを本格的に始める子がここ数年で飛躍的に増えた。特に僕が関わっている地域の子たちはその色が強い。「地域コミュニティとしての部活動組織」という視点が、学校の部活動に求められる今後の立ち位置ではないだろうか。
そういう現状で、集団でのスポーツを初めて体験するような子たちに、恫喝したり理不尽なペナルティで縛り上げて勝ち負けを云々するのはナンセンスだ。いかにして「できない」「知らない」と子たちをその競技に向かわせ、かつ、楽しいと思わせるか。勝ちたいという気持ちが出てくるのはそこから。「うまくなりたい」という気持ちは恐怖からは出てこない。うまくいかないことに向き合うなのかで困っている子たちといっしょに時間を過ごして「もっとやりたい」と思える気持ちにさせる。そもそもこちらの指導にも限界があるので「続きは自分でやりなさい」というスタンスで十分じゃないのかな、と思う。
学校と外部は目指すところが違うんや、と峻別して指導に従事したらいいのではないか。制度が変わり「しなくていいよ」と言われたら粛々と教科のことを頑張っていきます。このままではいかん。来年も野球だけじゃなく、国語もクラスも頑張ります。こっちがメインの僕らの仕事なのです。

2015年12月28日月曜日

「駅伝試走会」(今年最後の部活動)

今日は朝から諸々ありました。休みをはさんでの活動だと、集合するまで何があるかわかりません。お小言からのスタートでした。
3ブロックでは冬のトレーニング時期にモチベーション維持のために駅伝大会を催しています。今日はその試走会。大阪の長居公園のランニングコースを使っての練習です。これで本番のメンバー選出をしていきます。どこも一生懸命走り込んでいるのでびっくりするようなナイスラン。みんな頑張って走っていました。
ウチは苦戦。毎年なかなか良い成績を残せません。最下位か、かなと思って待っているとウチの部員がいません。どうやらアンカーの子を応援にコースに出ていたようで、必死に応援していた様子。アンカー手前の段階でダントツの最下位だったのに、ラスト盛り返して一つ順位を上げました。
早いチームだけでなくそれぞれの学校でドラマがあり、順位は奮いませんでしたがみんなで諦めず応援していた姿は純粋に「いいな」と思いました。
このグループでも勝利を目指して、めざましい成果を上げているチームの様子がアップされています。僕のタイムラインでもそういう投稿が目立ちます。僕が本当に書きたいことはなかなかここでは書けず(個人情報に触れることもあります)、もどかしい思いをしています。この一年で部活動のあり方について考えることがたくさんできました。ツイッターでは「部活動顧問をする、しないの選択権を与えよ」という動きも出てきました。僕はまだ中途半端な活動しかできていませんが、このスタイルでずっとやっていきたいなと思う側です。推進とか、否定とかじゃなくて、自分のできることを生徒といっしょにやっていき、活動していきたいと思っています。
何かと話題になる部活動ですが、今日の帰り道に「じゃあ、早く帰ろか」と歩き出すと「先生、歩きたくても足が張って歩けません」と。悲壮な感じではなく、苦笑いしながら。確かに一生懸命走ってたもんな。僕は生徒が軟弱だとか思わず、こういうことを訴え出られる関係性に、今年の一年の成果を見ました。甘いことを言っているかもしれませんが、これが僕の思う活動のスタイルです。
これにて今年は終わり。最下位から一つ上の順位でも野球というのはやり方によれば勝ち負けできるおもしろいスポーツです。聞けば、今日集まったほとんどのチームが今日で練習納めだそうです。それぞれの終わりがあります。年明けは当然のように宿題チェックから。家族との時間を大切にしながら、トレーンングにも打ち込んでほしいなと思う最終日でした。

2015年12月21日月曜日

僕の考える部活動指導

Facebookで話題になったので、こっちにもあげます。以下、タイムラインから引用です。


この週末はいろいろ刺激があった。疲労感がただよう。
昨日の東大阪の福島くんとの学習会でよくわかったことがある。彼の部活動指導の話を聴いていくなかで、全然自分が違うことを考えているということ。
もう現行の部活動のシステムは崩壊している。というか、制度上おかしいことがようやく表に出てきた。体罰や大きな怪我をしたとき、顧問の責任が取りざたされているけど、だいたい指導者が不在である時間があるのに活動が容認(黙認?)されている学校内の活動って、部活動以外にあるのか。たとえば居残りで課題をさせているようなケースであれば毎日あるものでもないし、べったりつく必要がない場合もある。けど僕らが日常従事している、特に運動部の活動にそういう瞬間があっていいものかと今頃になって強く思うようになってきた。
生徒との接し方もそう。なぜ顧問はあんなに部員に偉そうなのか。しかも、何もかもを支配しているような人さえいる。不在時にトラブルが起きたり、さぼっているような場面があったりすると烈火のごとく叱りつける。そりゃ、先生がいないときにちゃんとできるはずないでしょうに。諦観ではなく、それは当たり前のことなはず。その前提のうえで活動しているはずなのに。一番配慮すべきはちゃんとやれたかどうかの前に、怪我がなかったかどうか。次に、きちんとやれたかどうか。やれてないにしても、それは僕は仕方のないことだと思う。ちゃんとできたら、よくやったなと誉めてやってもいいくらい。迎合か、これは。
「おまえ何部や?」とすぐ言いたくなってしまう、中学校の指導の変なところもある。何部であってもあかんことはあかんし、結局は「好きで入っている、自分の部活動の顧問の先生に言いつけるぞ」という自分の力ではないものを頼りにした発言。
もし学校の部活動というものが存続するのであれば、土日を公的に休みにしてしまうこと。それでも「好意」でやりたい人はやってもいい。(隣の学校の先生はやってくれるのに、なんでウチの先生は…、というふうになるんですよね、結局これでも。)待遇の面でももう黙って見過ごしてくれないので、ここにも手が入るのだと思う。
技術的な積み重ねを第一に求めるなら外部のスポーツチーム。学校が部活動として運動部を担うのなら、もっと「学校の教育活動の一環としての部活動」という面を強くすればいい。顧問がつけないなら休み、くらいの極端な発想でもいいくらい。僕らはスポーツの一流選手を育てるのが目的ではない。
遅刻したら掃除。こんなペナルティを課していたことがある。今思うと、こんなの絶対意味がない。次しないように、みんなに迷惑をかけたことをきちんと謝罪させる。場合によったら試合に出すことを我慢させる。「それもペナルティや」。違う。我慢をさせるという教育活動。感情的な発想でのペナルティは生徒に恨みを持たせるだけ。(そもそもこの「ペナルティ」という言葉も使い方を誤ると危険)。
部のことは部内で。この風潮も若い部活動顧問を苦しめる。クラスで困ったことがあったら他の先生に相談したり、学年で抱えたり、いろんなフォローの仕方がある。でも部活動はなぜか、この感覚が薄い。競技性や部内のルールは特殊で、学級のルールほど普遍性がない。(あったにせよ、最低限のもの)。特殊であるから外から口を出しにくい。相談するのが当たり前、みたいな感覚が部活動でもあったらいいのにな、と思う。
明日は僕が検診なので活動は休み。僕がつけないときは最近こうしている。何かあったら誰かに迷惑をかける。部活動がなかったら寂しいけど、テスト期間は気が楽になるのも事実。他の部、他の学校、世の中のスポーツ界を取り巻く風潮。気になるけど、顧問の思うようにやっていいのが部活動。だとすれば、僕はこういうふうにやりながら生徒たちと野球をやっていこうと思う。

2015年12月13日日曜日

「理想の指導〜高校野球見学〜」

今日は3年生をつれて高校に。練習の見学に行ってきました。

これが素晴らしかった。
グランドに入ってすぐ、監督さんが足もとの小さなゴミを拾っておられました。
普段から自分が考えていることがまさしくここの場で展開され、高校野球でこういうスタイルで指導されていることに感銘を受けました。
以下、気づきのメモです。
1 押さえつける指導では育たない
2 いい声を聴こえるように届けよう
3 自分で考えられる選手
4 わかりやすく言え
5 選手のエラーにいちいち反応しない
6 僕らがやっているのは「部活動」
  強いところは違うかもしれないが
  その気がない子をその気にさせる指導
7 僕なら中学生にはずっとゲームをさせる
8 野球をおもしろいと思わせないといけない
9 指摘は選手、誉めるのは先生
10 「声が出てないよ」ではなく「黙る人が増えたよ」
話していくうちに技術的なことではなく、指導論に。
監督の先生がノックをすると選手がずっと声を出してます。
「声がないぞ!」ではないんですね。
「黙る人が増えたよ」という声かけに感動しました。
こういう関わり方を普段からされているのでしょう。
違うコーチがノックをするとまた様子が違う。
歴然としていました。
このグループのメンバーでもある兵庫の谷中さんが
少年野球の現場からたびたび発信されている
「トップダウン」の指導。ときには怒声も。
誰のための野球か、ということを
もっと僕ら指導者は考えないといけない。
中学校でもいまだにこんな指導をしているから
自分で考えるどころか、
「何か言われるんちゃうか」と評価を気にする生徒が増える。
僕らの目の前では「叱られるから」ちゃんとしようとする。
大きな声で返事をしているから浸透しているというのは大きな間違い。
「自主練を個人練習というように言い換えるようにしたんです」
この言葉も大きな出会いでした。
枠内にある「自主練」という時間は「自主」ではない。
個人練習のときにコーチに技術指導してもらう様子は
とても見ていて良い光景だそうです。そうでしょうね。
ただ、指導をお願いできる関係作りを普段からしていないと
いくら店を開いてもお客は来ません。これも指導者の自覚。
これはご縁の話ですが、
ここでウチの子がお世話になることになれば
もっともっといろいろお話できるチャンスが出てきそうです。
帰り際、野球部の教科書をお送りする約束をしました。
読んでいただいて、またご指導いただけたらと思います。
僕のタイムラインで「アクティブラーニング」の話題が出ました。
実際に動く生徒が「何のために」ということをわかったうえでの
それでないと意味がないと改めて思いました。
手段が目的になってはならん。
そこに流れている考え方が大切なのです。
今日は勉強になりました。

2015年12月12日土曜日

今年の最終戦

今日は港区の学校と練習試合。昼からのゲームだったので昨日の豪雨の影響はなし。生徒も楽しみにいているゲームでした。ずいぶん久しぶりのゲームだったので試合勘が鈍っている様子。試合から離れると後ろ向きなプレーが多くなる。一歩が出ない、初球から打てない。いろいろ見えました。
試合の前にある生徒から電話。どうやら公式戦用の帽子がないということ。あらかじめ相談があったのでこちらで古い帽子を貸し出し、手を打ちました。集合場所で突然「先生、○○が家にありませんでした」と言われても「そうか」としか言いようがない。自分ができる最善の行動をとるしかありません。試合に行く前にそんな話をしました。僕らの仕事はゲームだけではないのです。ちょっと前までならこういう生徒のエラーをあげつらって試合の勝敗にやたらとこじつけていましたが最近はいたずらにそういうことをしなくなりました。「指導」が「詰り(なじり)」になってはいけない。やっとこういうことができるようになりました。
試合は生徒がいろいろと試しているのが見えました。練習のときに話し合ってゲームでやってみようと考えていたそうです。うまくなろうとしている姿がありました。
これにてウチは今年の試合を終了。冬季の公式戦を有志でやっている学校もあるようですが、この時期はゲームに出してやれる生徒が限られる公式戦は僕はあまり関心がありません。レギュラーならまだしも、公式戦は負けられない。ここは考え方の違いでしょうか。
冬の間にしっかりと力をつけて春につなげます。春の大会までの練習試合もある程度埋まりました。ベースアップの時期です。

2015年12月11日金曜日

部活動指導と学級経営の学習会

12月19日、大阪市の福島区民センターで福島哲也先生と僕とで部活動指導と学級経営に特化した学習会を開きます。福島先生とは「ええカッコせんと話したいことを話しましょう」と言っています。福島先生は若くして東大阪市の中学校で学年主任を務め、ラグビー部の顧問です。熱い先生で、僕が尊敬する先生です。これからもっともっと前に出てきてほしい先生と僕とでいろいろ話します。

小さな会ですが、みなさんよろしくお願いします。

2015年12月8日火曜日

ショート・ミーティング

最近、気になったことがあったらすぐにミーティングを開くことにしています。それも昼休みのちょっとした合間。本当は長いこと話したくなることも、少ない時間と限定すれば耳の痛い話もくどくど聞かずに済む。こういうのも、このショートミーティングなら一つのポイントのみに絞って話すことになります。放課後の練習はスタートがなかなか揃わないし、考えさせたいような話ならすぐに練習ができない。場合によったら生徒の話し合いが必要なこともあります。昼に伏線を張ったら放課後にすぐに話し合い、ということも可能です。とにかく中学校の現場は時間がない。どうやって気持ち良く野球をするか、させるかに心を砕きます。

これは宿命かもしれませんが、自分が放課後の指導につけないのにあれやこれやと注文だけつけるのは非常に心苦しい。(というより、これはアンフェアです)このあたりは割り引いて指導をやっているつもりです。ここが独りよがりになってはいけないし、でも放置していてもいけない。こういうことが僕の今の課題です。ここをクリアできる組織づくりは可能なのか。身の程を知った指導ができているか、確認しながらやってます。部活動の生徒の諸々のトラブルは顧問が不在によるもの。ここはもっと真摯に向き合って、生徒に話をしなければならないと僕は強く思います。

ショート・ミーティング。悩んだら生徒に聴く。聴いたら問いかける。野球をいっしょにしている、という意識で何かが変わるかもしれません。

2015年12月5日土曜日

指導者革命

先日、母校の恩師の声かけで野球部の卒業生が集まりました。それも野球部の顧問だけの会。卒業生が指導者となり中高の教員として生徒を指導しています。母校の桜宮高校の卒業生として誇りをもって日々の指導にあたっています。中高の卒業生同士でたまに集まって、情報交換できたらな、というのが恩師の思いでした。大阪では以前「ベースボール・コンパ」という中高の指導者が一堂に会する機会がありました。それがなくなった現状で、桜宮だけでもやらへんかという素敵なアイディアでした。
それぞれの立場でいろんな野球談義をし、僕は中学校の指導者としていろいろ聞かれました。この間の会はほとんどが高校の先生。中学校現場の「あれやこれや」は新鮮だと思います。会に少しだけ持ち込んだ「野球部の教科書」が好評だったので、後輩に配り、先輩にデータを送ったりしました。こういうつながりからどんどん縁が広がっていくのだと思います。
ある先輩とメッセージでやりとりしていたのですが、何を目的として指導しているのかってやっぱり大事だなということ。僕は指導者が横柄な態度で振舞って、指導を受けたくても変な壁を感じて生徒がアドバイスをもらうのをためらったり、萎縮して野球以外のことでやりにくさを感じたりするのはこれからの野球界に全くいらないことだと思っています。厳しさを横柄さに勘違いしている指導者が特に野球では多い気がします。もちろんデータを取ったわけではないので印象批評です。ただ、そう思えてならない。
僕ら中学校の教員が小学校に出前授業にいくことがあります。そのときに少なからず「中学校側が小学校に教えてやっている」という気があるのでは、と感じます。中学校が小学校から学ぶことはたくさんある。同様に、高校は中学校から学ぶことも往々にしてあるだろうし、中学校が高校に学ぶことも当然あるわけです。要は指導者がどんな気持ちで連携していくのかという意識の改革がもっともっと求められています。
まだまだ僕も十分に自分の野球部を指導しきれていませんし、これからもっと勉強していかないといけません。現時点でいろいろ自分に足りないところを自覚しているのでそこをしっかりケアしていきます。
オフシーズンなので勝ち負けに終始した自分の考えをデトックスして、「何のための指導か」ということを考えていきたいものです。

2015年11月28日土曜日

「楽しむ」考

今日は一日中野球。朝、学校。そこからブロック大会の準決勝・決勝の会場へ。今日も審判三昧でした。ウチが所属するブロックでは、この組み合わせの日は審判を抽選で決定。僕は遅れて会場に入ったので決勝に割り当てが決まっていました。先日の審判の一件以来、もっと練習がしたかったので準決勝の一つも審判をさせてほしいと志願。この年になってやっと楽しくなってきました。2塁塁審と1塁塁審。わかっているつもりの動きに課題があることが自覚できました。審判はプレッシャーがかかるので億劫になるものですが、下手だからやるしかありません。

試合の合間に、ある先生が国語の授業の相談(僕は国語科です)。小学校の出前授業で何をしたらいいか悩んでいるということ。同じ1年生の担当みたいだったので「竹取物語の冒頭文の関西弁訳をグループワークで」という話をしました。これ、実際にやったことがあって、児童には好評でした。その先生もすごく喜んでくれました。中学校の授業って、おもろそうやな。こうやって入学してきてくれたらいいですよね。自分が国語の先生だったことを思い出しました(笑)

結果は東中が優勝、堀江中が準優勝。素晴らしいゲーム。スコアも1点差の締まったゲームでした。東中の生徒たちは試合中にしっかりと話をしていて、ややもすると「もうちょっと緊張感を持ってやれよ」と思うようなムード。ここを押さえ込んで指導者だけのイメージでムード作りすると、きっとこの雰囲気は出ない。「ああ、めっちゃ緊張したわ」とか、そういう率直な感想をイニング間で交わしています。しんどい場面も声を掛け合う。作り込まれたムードではなく、実にこれが自然にできている。指導者が勝ちたいって思ってあれこれ言ったりやったりしても、最後は生徒。生徒が自分たちでやらないと勝てないわけです。

「おい!楽しめよ!」とか、こういう公式戦で選手にハッパをかける人がいます。楽しくないですよ、大きな試合の緊張感のある場面。(ブロック大会みたいな、小さな大会でも生徒は緊張するものです)でも、生徒たちがみんなで試合をしていました。堀江もあっぱれ。どっちが勝ってもおかしくないゲームでした。こういうムードをどうやって醸成していけばいいのかな、と審判をやりながら考えていました。やはりある程度「できる!」という自信がないと。これからは地道な、基礎的なトレーニングを練習に励みます。

うまくなっている、と実感できることは楽しい。おもしろい授業ができたら先生も子どもも楽しい。ゲームに勝つことは楽しい。楽しいことからしか学びはない。それなのに、強いていないか。これは教えるものの宿命だと思います。

2015年11月22日日曜日

「選抜大会」

今日は大阪市の各校の選抜選手によるブロック選抜大会の2日目。ウチは前半の出場だったので、退けてきた。これは中体連の大会ではなく、あくまで有志。この大会も始まって長くなった。複数顧問がいる学校は引率を初日と2日目分けて参加するところも。ウチもそう。顧問の間で「○○先生は今日は家族サービスです」と冗談を交えて話をするが、家族サービスという言葉に違和感。家族と過ごすのはサービスではない。僕は絶対使わない表現。

さて、大会。ウチのブロックは2Bと対戦。2−3と惜敗で4位。今この瞬間もその大会は続いている。レベルの高い大会なので投高打低。良い選手がたくさん出場するのでほれぼれします。

2試合目の決勝戦。大阪市の審判部を代表する(全国大会でも審判をするような技術の高い)先生と審判クルーを組ませてもらえることに。突然の指名。でも、下手だから飛び込んでいろいろ質問しようとメモを携行。マイナス評価をされる怖さで臨むのではなく、自分のプラスにしていけばいいかと気持ちを準備。いつもこの大会の審判は緊張するが、今日は一番落ち着いて臨めた。メモをたくさんイニング間にとる。僕はどうやら書いて考えて納得するタイプだと最近わかってきたので、この方法がよかった。なんでいままでしなかったのやろ、と後悔。これからこうやってメモをして、教えてもらえばいい。試合後、メモをもとにたくさん教えてもらった。下手なら聴くしかない。うまくなりたい。

クルーを交代で組んだ前任校の元同僚Y先生と話し込む。考えていることに多く共感。情熱にあふれる先生なので、お話しをしていて自分も頑張らんとあかんな、と強く思う。僕の尊敬する先生。

帰り、駅の切符売り場でこの大会の選手たちが切符売り場でふざけていた。僕の後ろいつの間にかに待っている人。僕は後ろの人に順番を譲った。その直後、売り場が一つ空いた。「ありがとうね」とその人から一言。僕らが教えるのは野球の技術だけでなく、こういうときの身の振り方ではないか。野球はそのあとにくる。選手というのはそもそも「選ばれた者」。そこから選りすぐられているのなら、それにふさわしい振る舞いが求められる。

明日は雨らしいけど、海を見に神戸へ。サービスではなく、これが僕の日常。

2015年11月17日火曜日

「ペナルティ」考

Facebookのタイムラインに興味深い投稿がありました。違反行為に対するペナルティがどうもブレているのではないか、という疑義でした。

部によって実に様々なルールがあります。これを破ってしまったら、ある程度のペナルティもやむなし。そういう感覚が一般的ではないでしょうか。ひと昔前なら厳罰で取り締まる、という方法が主流だったかもしれません。でも、こういう時代なので、教育的に効果の認められないものは一切排除される向きがあります。信頼関係があっても、言い渡すほうはつらいものです。

よくあるトラブルに「あいつが良くてなんで俺があかんねん」というような、ブレていると捉えられるケース。学校で何か生活指導上で失敗した子がいて、その生徒の処遇を検討していくときに、微妙な判断に迫られるケースがあります。この間はこれで運用できたけど、今回はどうもそこに落とし所として持っていけそうにない。僕も何度か経験したことがあります。どれだけ説明しても、結局「学校の論理」(悪く言えば屁理屈)になってしまうのです。学校側の感覚ももちろんその正当性を議論されるべきと思います。そもそも、何が正当なのか、こじれるともうわからなくなってくることも。

前任校では今思うと厳しすぎたな、と思うこともやっていました。今はその反省もあり、ゆるく感じられることもあるように思います。でも、何度も失敗して、その都度反省させ、またチャンスをあげて、そこでうまくいったらほめる。プレーの失敗は失敗ではありません。生活上の失敗がきちんとクリアできたのなら、ペナルティも教育的な効果をもつことになります。それが一時的ながら厳しいものであれば、保護者との相談。今はこうしています、という途中経過も大切です。昔は、ここらへんが今思えば忍耐強く、語弊を恐れず言うなら寛容でした。少々きつくやっても「そんなもんや」で済んだ。済んだというか、それでよかったのでしょう。

学校がスポーツの指導をする以上、教育行為である必要が絶対的にあります。もちろん外部のスポーツチームにも必要です。ただ、我々は「学校の先生」という立場でやっているので、より外からは厳しく見られ、場合によったら気にしすぎてて失敗することもあるのかなと思います。

やはり大切なのは、生徒自身が平等なものだと捉えられ、反省につながるもの。厳罰は結局恐怖で抑止力を働かすことになるので、もう時代の要請ではありません。

学校の生活をしっかり全うさせる、というのが、僕は何よりも生徒を成長させるものだと考えています。苦手な勉強を6時間しっかりやる。係の仕事も。友だちとの不必要なトラブルは起こさない。全うするって大人でも難しいもの。だからこそ、あるときには目をつむっているフリをして泳がせたり、端から見れば小さなことでも厳しく叱ったり、そういうサジ加減が大切です。

自分の偏見も多分にありますが、どうも野球界は生活上の失敗に厳しすぎるような気がします。子どもは失敗するもの。次の失敗をさせないための大人の働きかけが単なるペナルティに終わってしまわないことが、僕ら指導者が心がけておくべきことではないでしょうか。

(補足:保護者のご協力とご理解が不可欠なのは言うまでもありません。僕もたくさん失敗して迷惑をかけてきました。ブレるというのは修正すべき点なのかもしれません。修正する勇気と、時には頭を下げる誠実さも必要だと思います。)

「いつもの声かけ」

制服のカッターシャツが後ろから出ている生徒がいます。皆さんならどう声かけをしますか。

1
「あら、マントみたいになっとるがな」

2
「こら、ええ加減な格好するな」

3
「制服出てるで。直しや」

これは皆さんの持ち味とかキャラクターとかで変わるとかと思いますが、同じことを野球部の生徒がやっていたら他の子と声のかけ方が変わりませんか。もし変わるなら、理由はなんでしょうか。

もうちょっと推し進めて考えてみます。これがグランドで、生徒の後ろ姿からユニフォームの裾が出ている。こんなときはどうでしょうか。つい「なんやそれ、だらしない格好すんなよ」と一喝したくなります。

こういう差異が僕の関心事で、教室とグランド、野球部の子と野球部ではない子の差異。ここに学校で野球を教える顧問個人の感覚とか、考え方とかが出てきます。

もちろん、学校の現状やそのことの関係があるので一律の答えにはならないでしょう。それは百も承知。

ふと、野球部の子に廊下で声をかけたときに思いました。僕は1。普段からこんなことを言いながら生徒に接しています。

2015年11月14日土曜日

学習会をします。

小さいですが、学習会をします。以下、告知です。

http://kokucheese.com/event/index/343640/




前回好評だった関西のディープな生活指導の話を、今回は「クラス」と「部活動指導」に絞ってお話ししていきます。30代の若手教員が目の当たりにしている現場の実態を、レポートと考察で一緒に考えてみようという会です。 

講師は「部活動指導スタートブック」著者の杉本直樹(大阪市中学校)と若手の実力派の福島哲也(大阪府中学校)の2人です。思っていることを率直に語り合える場です。奮ってご参加ください。(学生さん歓迎します) 


第2回 関西生活指導研究会 「クラスと部活動と」 

12月19日(土) 
会場:淀川区民センター 第5会議室 
定員:10名 
参加費:1000円(学生は500円) 

12:50 受付 

13:00 開会  

13:00〜13:45 福島哲也 「クラスの子たちとどう向き合うか」 
                 (学年団の協調性をベースにして) 

13:45〜14:30 杉本直樹 「杉本的学級経営」 
                 (仲間としての関係構築について) 

14:40〜15:25 福島哲也 「部活動指導のこだわり」 
                 (大切なことは何か) 

15:30〜16:15 杉本直樹 「私の部活動指導のルール」 
                 (生徒に「委ねる」部活動経営) 

16:20〜16:50 対談形式  杉本直樹×福島哲也  

17:00 閉会 

* 小さな会です。参加者が数人でも実施します。セミナー初心者の方歓迎します。 


(講師プロフィール) 

杉本直樹 
所属:大阪市立上町中学校。国語科教諭。中学校の野球部の恩師の影響を受け、中学校教師を志す。クラスや部活動において、生徒とのよりよい関係づくりを模索中。「教職員組織のチームワーク」、「部活動組織論」が研究テーマ。 最近は「教員としての部活動」の観点から発信を続けている。 

単著:『部活動指導スタートブック』(明治図書) 
共著:『教師になるには』(一ツ橋書店)、『教師のためのマネジメント』、『THE いじめ指導』、『THE 学級マネジメント』、『THE 手帳術』、『ゼロから学べる生徒指導』(明治図書) 


福島哲也 
東大阪市立中学校勤務。数学科教諭。若くして学年主任を務める。学年やクラスをいかにしてより良いものにしていくか、を問い続けている。「本物」にこだわる実践が多数あり、総指揮を務めた文化祭の学年劇が新聞記事で話題になる。ラグビー部顧問。


「雨練」

今日はもともと練習の日。週末はいつもゲームを組んでいるのですが、地区の小さな大会の日程確保のためにどうしてもゲームが組めませんでした。そんなときに雨が降ると、説明しにくいのですが「良かった」と思います。ゲームが流れるとショックが大きいけど、練習の予定のときならこちらの裁量でどうにでもなります。というわけで、雨の練習でした。
校舎をランニングさせ、まずはアップ。これも始めから全力でやらせるのではなく、体を起こす意味で徐々にペースを上げさせました。次第に黙々と走りこむ生徒を横目に「がんばれよ!」と声をかけつつ、雨を眺めていました。トレーニングは2人一組で。いつも雑になっている基礎トレーニングも、ペアがいるとしっかりやろうとします。中には危なっかしいペアもいますが、ずっといい加減ではありません。自分たちで頑張るクセをつけてもらいたいものです。
そのあと、雨が降ったり止んだりでした。ウチは狭いけど水捌けは抜群。キャッチボールぐらいはできたらなと思っていたのに、ピッチングやセーフティボールで打ち込みなどができました。これはこれで収穫。
明日は先の大会の準決・決勝。朝方まで雨が降るようなので順延ではないかと思います。本体はオフ。選抜選手の決起ミーティングは決行なので、生徒をつれて朝から大正区へ。11月は自分のチーム以外でも本体をオフにする機会が増えます。先週は大会運営のために集合をかけていたものの、雨でした。元気が一番、天気が二番。仕方ない。月曜は朝にグランド整備と倉庫清掃。こういうことをきっちりさせて、また野球がんばってもらいます。

2015年11月9日月曜日

「クラブ会議 〜考えの可視化にこだわって〜」

今日は通常の会議と違う方法を用いた。付箋を使って、思考を可視化。昔からある方法。ただ、これがこういう部活動の場面であったかというと疑問符がつく。グランドでしか表現の方法がないのなら、結局は技術の巧拙のみが前面に出る。こうなると、僕のように補欠の生徒、技術に自信のない生徒は厳しい立場になる。それは学校現場にはふさわしくない。
赤坂先生のメソッドからは少し離れ、今日はスクール形式で座る。書くことに重点を置いた活動なので机も用意。今日はこのスタイル。
1 冬場のトレーニングについて
チームとして、個人としての課題を設定。付箋に落とし込む。これを、テーブルに貼り付け、ギャラリートークの方法でシェア。学年で分け、差異も意識させながらシェアリングしていく。
そのあと、付箋の内容を受けてプレゼン。なぜそういうことを書いたのかを明確にしていく。漠然とした意見、いつものトレーニングに行きつく結論のはまだまだ改善の余地はあるものの「理由を考える」ということに意義を感じる。もちろん、良い意見も出た。
2 ○○へのアドバイス
これが良かった。仲間として、特定の誰かを想定してアドバイスを付箋に。これをその本人に届けさせる。他の誰かにまだアドバイスしたいなら、付箋を取りに来させて追加。これが思いの外、機能した。「え、この子に集まるのか」と思うような、試合に出たり出なかったりの生徒に付箋が集まる。体格や素質に生徒は非常に敏感で、それを伸長してほしい旨のアドバイスが乱れ飛ぶ。この時点で、非常にポジティブな空間。誰も否定的な気持ちにならずにアドバイスを重ねる。
厳しい意見も出る。これが良い。辛辣な意見を感情的ではなく、理性が働く状態でフローする。受信したほうも、客観的に自分というものを捉えられる。何より、付箋が集まること=周囲の期待と捉えられるため、生徒の表情が嬉しそう。部活動はこれでしょ、やっぱり。
いつも厳しい声をかけている後輩に、改めてアドバイス。後輩から先輩に助言。僕らの世代ではありえない光景。でも、これで良い。ふざける者がいるかも、と危惧したが杞憂。今日は茶化しておもしろい意見で場を和ませることもしなかった。絶対それが影響する。今日は生徒の表情からそう感じ、僕の存在を極力消した(立命館大の荒木先生の投稿にあった「姿を消す」という投稿に激しく共感)。
3 冬の目標
数値、期間、何を、を明確にして、ノートに書いてこようと宿題。明日が楽しみ。ここは時間が迫っていたので思い切って宿題にした。
今日はいつもの車座をやめ、とにかく「可視化」にこだわった。特に2のワークの付箋は、もらった生徒の意欲につながる。これは可視化のメリット。付箋の活動は社会人の研修でも用いられるが、多くは目的的。それが当人に届けられるワークであれば、こんなに機能するのになあと一人で想像していた。中学生は言葉にするのが恥ずかしい年代。あえてそこを刺激すりるような、仲間からの言葉を届けるワーク。ほとんど思いつきのワークだったけど、生徒の今後を観察して以後につなげたい。手応えはあった。
これを1月のFGセミナーで提案しようと画策。まだまだやれる気がするので、クラブ会議の有効活用、可視化のメリットを最大限に活かした部活動指導、というちょっと風変わりな提案につなげたい。

2015年11月8日日曜日

「中止、連絡、会議」

今日予定されていた大会が雨天中止になりました。ウチは予選で敗れてしまったので、今日は大会の運営と試合見学、トレーニングの予定でした。そこで連絡網。僕は連絡網を作るときに3つのステップを作っています。

1
自宅と自宅以外の連絡先を明記して良い

2
自宅の連絡先のみ明記して良い

3
連絡先の明記を遠慮したい

3を希望された場合は、前後の人には連絡先を伝えるように言ってあります。昨今個人情報の扱いがデリケートになり、何重もこちらの準備が必要になります。もし変な使い方がわかったら今後連絡網が使えなくなる、そんなリスクと隣り合わせで。

連絡網を使うかも、と伝えていなかったので早く家を出た子に伝わらない可能性があります。そのため、集合場所に向かいました。この時点でまだ7時になっていません。…やはり集合場所に来ていた生徒がいました。無駄足になり、悪いことをしたなと思いました。申し訳ない。

僕は単身、試合会場へ。ブロックの会議だけはやりたい、ということでした。ブロック選抜大会の選手選考です。

大阪市の例の土曜授業。何かとこれが大会運営に影響してくることもあり、雨天順延はパズルのピースがうまくはまってくれません。なんとかやり繰りができ、会議を終えて帰宅しました。

この土日はきちんと活動できていません。でもこんなときもあるもの。しかもオフシーズンなので生徒の気持ちを盛り上げていくのは少しでも僕がグランドに出て指導することだと思います。

長い目で見て、雨のときは無理に活動をしなくても良いのでは、と思うのが僕の考え。でも今日はやってやりたかったなあと、そんな気になりました。

2015年11月6日金曜日

「地続きの指導」再論

今回は野球から少し離れるかもしれません。
学校の先生が部活動で指導をするとき、どうしても「ぶって」指導している場面があるのではないかと思います。怖い指導者ぶって、生徒を萎縮させて指導する、というようなケースです。僕ら教師は、よほどのことがないと教室で大声を張り上げて指導するようなことはありません。許してはいけないことが起きたとき、当然指導します。程度がひどいときは、大きな声になることはあってもいいかなと思います(もちろん、よほどのことです)
教室でにこにこしている、生徒の気持ちによりそって指導する授業や関係作りをしている先生が、グランドでは別人。生徒は混乱します。いまはスポーツの場面でも、結果で叱ったり激したりするのはやめようという流れになってきています。(生活がかかっているプロフェッショナルの世界は別です。)
教室の指導スタイルを自覚し、その姿でグランドで指導する。これからの時代、「厳しさはしつこさ」だと思います。強要とか強制で訓練され、磨かれた技術は確かに光るものがあるかもしれない。しかし、それと同時に失われた、踏みにじられたものも多分にあると思うのです。もうそれは時代の要請ではない。ここの自覚が大切です。何度でもトライ&エラー、できなかったら繰り返し指導する。しつこく。
一方で、指導が全然入らないようなしんどい生徒と向き合っている先生や、望まずその部を指導している先生に思いを馳せる想像力を、部活動指導の発信の際は持つべきです。こうやって理想論をまかり通る世界ばかりではない。ここも大切。こと、中学校の部活動では。
教室とグランドはつながっています。これが僕の考える「地続きの指導」です。生徒しかり。

2015年11月5日木曜日

普通の練習

今日は放課後予定がナシだったので、ずっとグランドにいました。スタートが遅く、きっと普段からこうなのだろうとちょっと暗い気持ちになりました。16:30にはアップを終わっておこう、という取り決めをみんなで確認。ウチの学校は終学活が長いのでどうしてもスタートがスローです。ラインを引いたり準備をしたり、みんなが面倒だなと思うことを率先してできる子が出てきたらいいなと願うばかりです。

それから1時間ほどノック。当たり前のプレーの確認。「ボリュームをひとつ上げよう」と声を出す素地を高めました。

そのあと、ボールを転がして基礎練習。どうしても上からボールを取りに行こうとする。ここの確認です。

もうこの時点で真っ暗。イメージノックに移りました。だんだんこの練習にも具体的な声が出てきたり、生徒同士でイメージを共有して連係したりと、良い練習になってきました。エラーしませんからね(笑)

ラストは逆ベースランニングと筋トレのミックス。走ってからトレーニングでもいいし、逆も可。筋トレは回数を決めていて、どのタイミングでもやってよろしい。生徒の考えで取り組ませました。

このミックスは、暗がりの中の練習なので適当にやろうと思えばできるし、こそっとやらないで終わらせることもできる。でも、自分を追い込める要素もあって、どっちを選ぶかは自分の意思だと生徒に話しました。「迷ったら面倒なほうを選べ」と言ってはいますが、果たしてそんなことができる生徒がどれほどいるのか。大人でもそう。その甘さをわかって、隣り合わせで練習をするのがこの時期の練習です。体が強くなってほしい。

反省すべきこと、向き合うべきことに真正面から向き合える練習を奨励していきたいものです。明日は会議。こうやって飛び飛びの指導になるのが中学校の野球部。これを埋めていくのは共通の目標なのでしょう。

2015年11月3日火曜日

「今シーズン公式戦終了」

今日は連戦、連敗でした。一つ目は完敗。二つ目は惜敗。どちらもこちらの力不足でした。残念ですが、これで公式戦が今年はすべて終わりました。一つでも勝てば決勝トーナメントに進出できる権利がありました。でも負けは負けです。

この一年間で、確実に変わったのは僕の気の持ちようです。エラーに腹が立たなくなりました。失敗して当然です。次のステップは、打ち取られた悔しさをすぐに整理することです。打つことは難しい。でも打てないととてつもなく悔しい。これこそ仕方がないのに、まだ僕はここを乗り越えられていません。きっとそういう部分が生徒に伝播し、彼らのモチベーションに影響しているのだと思います。申し訳ない。いまだに厳しい声に耐えながらプレーしている子たちがいます。僕の目標は、そういうチームに圧倒的に勝ちたい。こっちのほうが絶対正しいと証明したい。これが本当の僕の目標です。でも、それができていません。悔しい。これは正当な悔しさ。

技術的なところは、することがたくさん。積み上げていくのみです。体を大きくしていくことと両輪で。負けたチームは切り替えてやっていくのみです。

明日はクラブ会議。こういうときこそ、大切な機会です。文化祭で会議ができていなかったので、久しぶりに生徒たちの声を聴いてやれるなあと思います。

2015年11月1日日曜日

再開の言葉と「出藍の誉れ」

以前ブログをやっていましたが、どっちつかずだったのでこちらは野球に特化しました。facebookと同じ投稿です。以降、ご愛顧よろしくお願いします。

「出藍の誉れ」

文化祭が完全に終了。今日、展示発表の見学が終わりました。文化部の晴れの舞台、みんなの頑張りを存分に感じることができました。
昼から練習。昼食を早く終えた子から準備してランチタイムバッティングをしました。…。なんかおかしい。生徒のモチベーションがかなり低いのです。休憩をとり、生徒を集めて「このままならお互いにとって良くないから、このあとの練習をどうするか相談しなさい。このまま終わってもいいくらい。どうするんや」と投げかけます。相談。
すると、今日たまたま来てくれていた卒業生がメニューを考案し、そのあときっちり持ち直しました。理由は何かわかりませんが、いちいち生徒の不機嫌に付き合う筋合いなどないのです。いい加減にせえよ、と言いたいくらい。こんなムードで勝つとか負けるとかありません。課題設定をした練習がそのあとに展開され、今日の練習は終了しました。
卒業生は僕の意を汲んでくれているプラス、個々の技術の伸長を援助してくれます。実にありがたいことです。
練習後、技術指導に行き着くまでの姿勢の話を改めてミーティングで話しました。なかなか浸透しませんが、こういう地道な講話が大切です。
今日来てくれた卒業生は、僕が転勤して来てすぐの子と、そのつぎの世代。彼らはふたりとも、教職を目指しています。僕の指導は大会でどんどん勝ち進むような指導ではありませんが、僕の教え子のなかで「指導者になりたい」という子が少なからずいます。現に、教え子のなかで大阪市の先生になった子もいます。とても嬉しいことです。
前任校から数えて、僕の教え子に指導者を目指す子が毎年数人います。技術指導も大切ですが、とにかく続けたい、ひいては先生になって野球を教えたいと思ってもらえるのは幸せです。僕は大して大会で勝たせていませんが、僕の教え子の中から僕を遥かに超える実績を積む指導者がいてほしいものです。出藍の誉れ。弟子の方が優秀である、というのはあっても良い構図かなと思います。好きな野球を続けてほしい、ひとえにこの想いを持ちながら日々の指導にあたっています。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...