2016年5月21日土曜日

「うまくいかなさ」とどう向き合うか

今日は快晴。暑かった。昼からのゲームでした。前から何度もお世話になっている顧問の先生とお話しをしていると、初めてお会いする先生が。聞けば、僕のTwitterや本を知ってらっしゃる先生ということで途端に親近感が湧き、いろいろ話しました。バスケ部の先生で、編成時に配ってらっしゃるという小冊子をいただきました。野球部の教科書のこともご存知で、お分けする約束をしました。こういうつながりは市内ではあまりなかっただけに、うれしい瞬間でした。
さて、今日のゲーム。テスト明けすぐのゲームだったので、微妙なズレが個々の生徒レベルであります。ここに向き合えず塞ぐ子や感情的になる子がどうしても出てきます。これは仕方がないことなのに、それにうまく付き合えない幼さが今日の試合では出ました。
5回、0ー1とリードされてて2点追加されると、もうここでスイッチが切れて失点が続く。0−6。敗色濃厚。僕は0−3の段階で持ちこたえられない現状に課題を感じました。中学校野球では3点はセーフティではない。夏の大会では1人のランナーがたちまちメンタルの弱さを刺激して、失点につながるケースを見てきました。3点で我慢できず、戦意喪失する生徒にもどかしさを覚えました。
ここからあることをきっかけに奮起し、1−6。次の回に加点し、3−6に。ここで先を急ぐあまりにランナーのミスが続いてここでゲームセット。3点でこらえていれば3−3だった、という話を試合後にしました。
一方で違う話が。試合をさせてもらっていることを忘れた、よろしくない行動がこのゲームで見られました。うまくいかなさに翻弄されるなかでの出来事だったので、試合の後かなりハードに指導しました。野球以前の、マナーの問題。1つめのゲーム後、相手の先生とそのあたりの反省をお互いかわして2つめのゲームに。失敗は野球で取り戻すしかない。反省があるならそれを行動で見せよ、といつも生徒には言っていますが、うまくそれをやりきれない子もいます。ここは試合中に整理させ、後半にチャンスをやりました。
丁寧に指導したあとに、おもしろいように結果に結びつくことがあります。今日はまさにそれで、きちんと整理できたことによって本来のプレーが戻りました。遠回しな表現ですが「なぜそうするのか」ということを再認識できたことによって、集中ができたようです。はじめからやってくれよな、って話です(笑)
技術指導のスキルはお金と時間さえかければ、ある程度は積み上がります。でも、生徒とどう向き合って、何を大切なこととしてプレーさせるかは技術指導のそれとは違う。感性とか、経験とかそういうものが相まって機微に触れる声かけをできるかどうか。部活動指導はこれが大切。「人格形成」「人間力を高める」とか、僕は苦手なフレーズで、教師が生徒に善かれと思って為すのが部活動だと思います。硬派なフレーズは指導を硬直化させるだけ。善かれと思う指導。目の前の子たちにベストの関わりをしていくだけです。
全国大会を目指すようなトップチームは僕のような悩みはないかもしれません。毎日悩んで一日が終わる。相手の先生と試合後にあれやこれやと話しているうちに、みんな同じようなことで悩んでいるんやなと改めて思いました。こういう「ありきたりの悩み」に対する自分の考えをしっかり持ちたいものです。
すぐそばの河川敷は高校時代によく走った場所。土手からゲームを眺める人がたくさんいました。新しいご縁と、今日の出来事からのリフレクション。明日は審判講習会で大阪市の南の方に行ってきます。きっとまた焼けますね。

2016年5月11日水曜日

いないことに納得できるかどうか


今日はサッカー部の活動がオフと聞いて、雨上がりだけど久しぶりにバッティングをしようと思いました。

ところがフタを開けてみると、3年生は取り組み、2年生は取り組みと居残りで、活動できそうな生徒が数名。しかも小雨がパラパラ。僕も会議。なんやろなあ、と思いつつ、できる活動をしておくよう伝えました。

特に3年生は修学旅行と体育大会の取り組みを、それこそ日替わりでやっています。同じ係でも部活動に来ている子と取り組みに行っている子がいます。部活動に来ている子の心情としては「あいつ絶対野球来れるのに何してるねん」と思うことでしょう。実は僕もそんなことを思うことがあります。そういうときに、声のかけ方を誤れば大きく信頼関係に傷が付きます。

「おお、野球に来ないのか…」と内心思っている子に、学年の先生が「今日はありがとうな!助かったわ」と声をかけていました。こんな瞬間に自分本位でしか生徒を見ていないことに気づきます。100%、取り組みに従事しているのかどうかは知りません。うまくやれば野球に来る時間はあるかもしれない。そこは否定しません。ただ、感謝されている子を訳も分からず否定的な捉えでいるのは自分の修業不足としか言えません。

生徒会に立候補する、と中学校のときに顧問の先生に相談に行ったことがあります。練習に行けないときもある、ということを伝えに、それとそういうことで引き止めてくれるかと淡い期待をしながら(笑)。「ええやんか、学校のためにやるなら野球よりも値打ちあるわ。そっちで頑張ったらええ。来れるときにちゃんと頑張れ」と言われました。下手な選手だったのでこういう声をかけられたのかもしれませんが、当時の僕は予想外の返答に驚いたのを覚えています。今では同じことで相談に来るような生徒には、やはり同じようなことを話します。頑張れる場所があるならどこでもかまわないと思うからです。

さて、取り組みの話。僕は練習から抜けても周りが納得するものだったら胸を張っていればいいと思っています。補習やサボりでなければ、何らやましいことはないはず。要は当人にどういう自覚があって活動してるのか、ということが僕は大切だと考えます。そこらの線引きがあいまいだと、結局どちらも中途半端になるだけ、周りが誤解するだけ。ひいては不信感を持つでしょう。これではいけない。

明日はテスト期間に入るので、休み中のトレーニングシートを配り、そこらの話をします。中学生はいろいろ忙しい。わかっているはずなのに、こっち側の論理で考えていすぎないか。そんなことを考えました。

2016年5月10日火曜日

連日の雨

大阪は連日の雨。グランドが使えません。いくら狭いグランドであっても、使えるのと使えないのでは全然違う。家庭訪問が終わって立て続けに会議がある中、雨のトレーニングメニューです。野球ノートを読んで「何かトラブルはなかったかな」とセンサーとして活用している自分がとても情けなく感じます。

いろいろ書いています。「グランドでボールを使いたい」「雨だけどしっかりトレーニングできました」「羽根でティーができてよかったです」。会議で全然つけないのに頑張ってたのかな、と少し安心。

今日は会議がなかったのでトレーニングにずっとつきました。体育大会や修学旅行の取り組みで抜ける子が半分くらいおり、ややもすると開店休業。そんな中、しっかり走り込んで個人練習ができていました。

雨ならスイッチが切れてしまう野球人のサガをわざわざ叩き起こさず、程よく刺激。練習につくのが何よりの指導だと改めて思います。

2016年5月3日火曜日

師匠の姿 〜ルーツに触れる〜

今日は福島区の伝統校のY中と練習試合。自分の中学校時代の恩師(M先生)が勤めておられます。加えて、前任校で仲良くしていただいていた隣の学校のY先生が数年前にここに異動になり、懐かしい話で盛り上がりました。
野球の話というより、自分がその学校でどう働くかという話に終始。「おまえが中学生のときは〜」みたいな話が出ると恥ずかしい反面、ようやく大人扱いしていただけた嬉しさがありました。(もういいトシですから当然ですが 笑)
師匠が保護者と歓談されているなかの試合。昔から保護者を大切にされていて、よくコミュニケーションをとっておられました。前任校では自分の学校でゲームができたので、よく観戦に来ていただいていました。試合よりそっちが楽しいときもあり、いろいろ助けていただいたことを思い出しました。ウチではゲームができないのでなかなか生徒たちの頑張りを見ていただくことができないのが残念です。
中学2年生のときに転勤されてきて、その頃がちょうど僕くらいの年齢。くすぶっていたときに「下手でも毎日来ている子を試合に使う」「日常生活をきちんと送れる子がうまくなる」とよく離されていました。僕には大きな救いになる言葉でした。今生徒に話していることの多くはM先生の受け売りです。言ってみれば、昔も今もこれは変わっていない大切なことだということです。
いつもM先生の学校とゲームをするときは、あれこれと考えることをもらって帰ります。5日と15日にみなさんにお話しさせてもらう機会があるので、参考にしたいと思います。良い時間でした。

2016年4月30日土曜日

気になることは言う

日々の活動のなかで、決めごとがいい加減になってくることがあります。そのうちレギュラーも固定的になり、日々の活動が反映されにくくなってきます。換言すれば、日々の活動がどんな様子であっても試合で「起用せざるを得ない」状況が続くということです。これに慢心、過信がチームを覆うと、なんとも言えない閉塞感のなかでゲームが進行していきます。
近頃、ウチのチームでもこのような状況があり、生徒ととの関わりを変えていっています。中心選手がプロ野球選手みたいに凡打で歩くように走ったり、ジャッジメントを素直に受け入れられなかったり、固定的な選手起用は動きが惰性になりがち。ここを絶対放置してはならんと思い、指導に聖域を作らず接しています。
相手に失礼な態度や、生意気な振る舞いは部活動としては絶対させてはならないことです。学校の教育活動のなかでやっている以上は、こちらの指示・指導を聞き入れないという状況は許せません。パワーはいりますが、中心選手ときちんと向き合うのが顧問の大切な役目。特に3年生には「もうわかってくれてるやろ」とこっちが勝手に生徒を信用して、はみ出す振る舞いに目をつむることがあります。勝手に生徒を信用、というより、指導することを遠慮する心理です。1年生や生真面目な生徒には何を言っても大丈夫、という安心からあれこれ言うけど、ええ加減をやっている生徒に注意しない。見方によれば、生徒との衝突を避けている。そんなことがあります。そして、そんな姿は生徒がよく見ているのです。
ここまで読まれて「自分には無関係」という方がおられたら、僕はすごいなあと思います。油断すると楽なほうに流れるのは生徒だけではないのです。気になることは言う。すぐに、その場で。「前から言おうと思ってたんやけどな!」の指導は生徒にとっては迷惑な話。その都度、良いほうに良いほうに向けてやりたいものです。
野球部の教科書の第3版にはこのあたりのことを加筆しようと思っています。

2016年4月20日水曜日

部活動編成

更新が滞っております。このごろ、まったく部活動がうまくいっていません。とても苦しい状況です。今日は久しぶりに更新します。

今日は部活動編成でした。新入部員は5人。新しいメンバーでまたスタートです。全市的に野球部員が減っており、名門校でも2、3人というのも珍しくなくなりました。

先にも書きましたが、ここのところ野球部の活動がうまくいっていません。とても苦しい日々です。しんどいのは生徒も同じ。

思うに、全方向に良い顔をしてやっていくのは無理なこと。だったら自分のルール、基準で判断していったらええか、と思うようになりました。波が立つのを恐れては進歩がありません。昨日、自分のタイムラインに書き込んだ「どの学校にもドラマがある」というような話。僕は強いとか弱いとか関係ないと思っています。顧問が真剣に向き合ってやっているかが最低条件。独りよがりが心配だとか思わず、やりきっていくのがやっぱり大切なのでは、と思います。ドラマを作る、作ってやるのが仕事。本気が出せる集団、空気、伝統に憧れながら、また頑張っていきます。寛容と迎合のあいだで、割り切ることをとりあえず選択して進んでいきます。

2016年4月2日土曜日

合同練習

今日は住吉区の学校と合同練習。仲良くさせてもらっている学校です。今日は試合ではなく、練習をしてほしいとお願いしました。ウチはグランドが狭小なので外での練習は本当にありがたい。ボール回しやノック、実戦形式など、普段できない環境で良い刺激になりました。
最近「ひたむきさ」に非常に関心があります。なんというか、ひたむきに取り組めるというのは一つの才能だと思います。野球は上手でも熱心じゃなかったり、集中しきれていなかったりと、この「ひたむきさ」を習得させることが部活動指導の一番の仕事じゃないかと思うくらいです。
近頃、僕が物分りが良すぎるのか、話がうまく通じていないと感じることがよくあります。トップダウンで強いればある程度は思うようになると思うのですが、ここ数年このやり方と僕自身がうまくいっておらず、模索が続きます。統率のとれたチームは指示系統が非常に優秀で、ここの課題が僕の一番の課題だと感じています。もっと頑固にいってみようと、今年度は考えています。結果が出ていないならやり方を変えるのは当たり前です。
夏まで練習試合をいま組んでいる途中です。外に相手を求める以上、ぜいたくは言えないうえに、まったく自分がコントロールできない部分です。おかげさまで、昨年度はクラスに恵まれ、いろいろあったけど楽しい1年間を過ごすことができました。一方で、野球は悩みばかり。まったくと言っていいほどうまくいっていません。生徒も苦しいと思います。結果につなげていけるよう、指導者がもっと勉強しないとと思う新年度です。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...