2021年10月19日火曜日

それらしくないそれ 〜O先生のこと〜

 一緒に働いていた体育の先生の話。今日は少し長くなります。

その先生は体育の先生″なのに″詩人の心をもった方だった。それでまた筆ペンで麗しい字を書かれる。おそらく書道のたしなみのある方で。でも、とてもその字は麗しかった。生活指導部から「生指部通信」を出すときは決まって自分の言葉で書かれる。「授業に遅刻しないように」とか決まりきった、誰も読まないようなことは書かない。「それでええんか?」というような語り口調をまぜて、話すように綴られていたのを覚えている。文面チェックもこの先生だから、ということで決裁が通ったのだろうと思う。

生徒からもあだ名で呼ばれ、その代その代で呼ばれ方も違った。僕が出会ったころはあるサッカー選手の名で呼ばれ、同じ学年で働かせてもらったときはまた違うサッカー選手のTシャツを着ていたので、それ。通信にもその名で俳句を詠んだり。そんな方だった。体育の先生″らしく″体格はがっしりされていたが、本当に柔らかい感性をお持ちで、そのアンビバレンスが羨ましかった。

思うに、自分の言葉で語れる人は、それらしくないそれに見えるものだ。見せようとしていないからそう見えない。また、見せようするのではなくそうしている姿が、単にそれらしく見えないだけだ。言葉は立場から出るものではない。言葉とは自分自身から出るものなのだ。

空き時間によく元気な子たちの相手を一緒にやった。ゴミを拾う、話し相手になる、授業に入るよう促したり、学校の外にいるときはとりあえず戻ろうと諭した。ほんまはこんなんじゃあかんねんけどな」「俺ら、一緒におることしかでけへんって悔しいよな」とよくやりとりしたのを覚えている。こんな感じだから、元気な子たちも一発でその先生の言うことを聞くことはない。

でも、何かあったときは「◯◯と話をさせろ」とその先生を必ず要求してきた。僕はその姿も羨ましかった。件の先生が出てきたところで解決なんかしない。彼らは窓口を求めているのだ。それは、自分たちをわかってくれる人を、自分たちの言葉をわかってくれる人を求めているということ。僕にはそれがよくわかった。

これを甘やかしていると見る人たちも、もちろんいた。甘やかしているように見えるのは、自分に彼らと話せるチャンネルがないからだ。チャンネルがあれば関われる。外でタムロしている子たちに何の関係もない普通の人が話せるチャンネルが存在しないのと同じだ。彼らとの会話は甘やかしているだけ。外からはそうとしか見えない。ここには見えざる、それこそ膨大に積み上げた彼らとの時間があった。本来チャンネルをもつ人が関わること以上のベストはない。

体育だから、学校の先生だからじゃなくて、自分の言葉で語ること。そうやって語って、一緒にいた時間はれっきとした生徒指導の時間だったと僕は思う。

たいへんな学年を卒業させて、同じタイミングで転勤になった。違う学校になり、年賀状をやりとりしたり、たまに会ったら話すくらいのほんのりとつながっているような関係になった。その先生が行かれた学校の先生に聞くと「いま一番しんどい子の面倒見てるよ」と教えてもらった。関わってもらえる子たちの心が豊かなものになることが想像できた。あ、またあの感じなんやろな、と。

あたたかい人になるためには我慢強さに似た、本当にその子を信じようとする気持ちなのだと思う。できそうなことって、えてして難しい。そういうことを教えてくださった先生でした。

2021年10月18日月曜日

言ったあとで困るのは誰だ

「野球部の教科書」という小冊子をせっせと配っていた時期がある。自分は良かれと思ってやっていたけど、これを真似てやって、困るのは誰だろう。そういうことを全く考えず、ここ数年いた。本も書かせてもらったし、原稿もいくつか。せっせとせっせと、僕は自分のために書いていたような節が正直ある。いい気になって書いていた。今思えば本当に拙いものばかりだ。

僕ぐらいの教師の小さな成功譚でも、学生や若い人にはプラスになる。それが方法だけ抜き取られ、それを実践した人たちが待っているものは。今日はそれに言及したい。その人のオリジナルは結局その人のものでしかない。集団も違うし、それにいたったマインドも違う。それなのに、うまくいったことをテクニックめいて披露することで、やっぱりやりたくなる人が出てくる。場合によってはそれを望んで発信する。これが実に怖いことなのだ。

方法の真似のあとで待ち構えるのは自分の本質を問われる出来事に直面することになる。ドラえもんの道具でうまくいったあとにのび太が持て余して失敗してチャンチャン。漫画ならそれでいいけど。こと先生の仕事の先に待っているのは子どもたち。手柄をツイートして、せっせと原稿を書いて。ちょっと僕はそれが怖くなったので、しばらく離れたほうがいいなと思うようになった。高校の先生になりたいというのもあったけど、言いたいことはだいたいうまく伝わらないもの。小さな集団で有名になっていい気持ちになるのは悪いことじゃないけど、いいのかなーという気持ちもある。

言ったあとで困るのは誰なのだろう。GIGA構想の実践のただ中だけど、大切なものは変わらない。僕はそれを地でいくように、生徒と接したいし、心根に迫る話がしたい。挫折なんかしょっちゅうだ。そういう大切なものを言葉にできるような、日々の実践をしていきたいと思います。

2021年10月17日日曜日

話を聴くこと


 聴くことは〇〇、という定義をするつもりはなく、思いつきで書いてます。

先日、教え子から手紙をもらった。その手紙を読んでいて、「話を聴くってこういうことだな」と直感めいたものがあった。その子は大阪のある強豪校で部活を続けている。奮闘ぶりや今の生活での所感が綴られていた。最後に「先生、高校はどうですか?」と。

もちろん、手紙なのでこちらが受け応えしていないから、一方的にあちらが好きなことを書き、最後に尋ねるような文面になるのは仕方ない。でも、人に話をするときって、聞いてほしいからしたり、意見を聴きたいからするものだ。アドバイスをしてほしいときはそれもそれでわかる。こうやって好きなことを目一杯話して、そして「それで、どう?」みたいなやりとりが理想的だよなと思った。つい、自分の話がしたくなるものだ。

最近やっと生徒と廊下で雑談するようになった。僕は今年担任がないので、授業でしか関わらない。だからオフのバージョンではなかなか相対することができない。ここでは僕はひとえに「◯◯さんはこうなの?」と「訊く」に徹している。これがけっこうよくて、僕も新しいことを知れるし、話す方も聞かれて悪い気にならない。次話す場面で「こないだのあれ、どうなったん?」と切り出す。僕はあなたのことに興味があるから、というスタンス。割とうまくいっている。向こうから話してくれるようになるまでは時間がかかる。まして、相手は高校生。まだまだ時間はかかりそうだ。自分の話は聞かれてから。聞かれてなくて話すときは1割で。

みんな聴いてほしい。関係性は聴くことでより話せる間柄になるのだと思います。

2021年10月16日土曜日

図書館に行くと

 今日は昼から図書館へ。明石に通勤するようになって、電車の時間が長くなった。小説なら往復で1冊読めてしまう。久しぶりに読書の熱が加熱している。


借りてみて、ミステリー系が多いと気づく。警察ものと。純文学といわれるものも、とりあえず借りた。ただ、硬派な昔のものは今回はやめた。


図書館に行くと今日はお年寄りが多かった。窓口の人とやりとりしている会話が、とてもあたたかかった。


ドラゴンクエストのサントラを借りに来たおじいさん。すぎやまさんが亡くなったから、思い立って借りに来たそうで。ちょっと聞こえたから聞いてみると、オーケストラバージョンを探していて、それがあーで、こーでとレクチャーされている。「よくご存知ですねえ。とても勉強になりました。いま貸出中のようですので、ご予約でいいですか」きっとこういうやりとりに長けた方なのだろう。おじいさんもCDはなかったけど満足そうに帰っていった。


次におばあさん。探していた本をいっしょに探してくれたそうで「◯◯さんにもお礼言っててね」と告げて、狭い歩幅をせっせと歩みながら帰路につかれた。


久しぶりの図書館。一人がけのソファに座ると坂道と行き交う車が窓から見える。帰って仕事しようと思っていたけど、今日はここで借りる本をちょっと読んでおもしろそうなものを選んでみようという気になった。図書館に行くと、時間がゆっくり進む。帰ってきても同じ。今日は今日でこんな時間だった。


夕方になり、教え子からもらった手紙の返事を書いた。久しぶりに万年筆を使うとやたら手が汚れた。いつも班ノートは万年筆、青インクだったので、そうした。夕飯の餃子を包むとまた手が汚れた。図書館のおかげで今日は仕事から解放された。たまにはいいかな。

2021年10月15日金曜日

突き抜ける言葉と、突き抜ける勇気

 ずっと昔の話。


この日は娘の誕生日。ケーキを買って、ささやかながらお祝いをしようとしていた。たぶんそんなやりとりが前日までにあったと思う。


その日、ウチのクラスの子が喫煙。「あーあ、帰りが遅くなる」と思った。こういうとき、熱血先生なら「娘の誕生日なのに生徒指導で遅くなった。若いうちは子どもにもかわいそうなことをした」とか言うかもしれない。


僕は率直に、彼に「今日な、娘の誕生日やねん。まだ小さくてな。みんなでお祝いしようって、言ってたんやけどな。おまえのせいで帰るの遅くなりそうやわ。悪いけど、今日のことは迷惑や。教師やから指導せなあかんとかあるけど、お前に腹立つわ」と静かにこぼした。


「先生、ごめんな」

そいつからそんな言葉が出た。そのあとどうなったか、覚えていない。きっと保護者に連絡をし、来校してもらって、ひととおりのことを言って連れて帰ってもらったと思う。


こういうとき、正論で彼の瑕疵を責めて反省を促すのもいい。それが正攻法。でも、僕は自分にも家族がいて、お前の家族もそう思っているように、小さくてかわいいときがあるからアホなことをしても面倒見てくれるんやぞって、そういう話をした記憶がある。正直言って、彼がタバコを吸おうが、僕には関係ない。でも、今日はダメ。大事な日だから。


大事な日。そういう、自分を慈しんでくれる人に悲しい思いをさせるな。そんな話をした。彼は根は本当にいい子で、1年と3年で担任をし、特に3年のときはアホなことをするけどかわいい奴やなと思って過ごせた。たぶん彼もそういう僕の気持ちを汲み取って、卒業していったはずだ。


「教師だからこういう話をしないといけない」という、しょうもないタテマエが自分を縛っているなら、早いうちに取っ払ったほうがいい。腹が立つから腹が立つ、それでいい。ハイリスク・ハイリターンではあるけど、指導は恋愛と似ていて、ええカッコしたらずっとし続けないといけなくなる。それがしんどいからさらけ出す。さらけ出すから、生徒は僕の話をちゃんと聴こうとしてくれると信じ、関わってきた。


教師という枠を突き抜ける言葉は、突き抜けてもいいという勇気とセット。教師である前に、一人の人。「謝るんやったらお母ちゃんに謝れ」と言ったら黙っていた。


今ならどんなふうにあいつを諭すかなあ。そんなことを思います。

2021年10月14日木曜日

言葉を紡ぐプラットフォームとして

 先日、ある方とのやりとりで「杉本さんの言葉は、Facebookのタイムラインに流すのはもったいない」と言われました。僕には身に余るお言葉でした。自分の言葉はどう見えているのか。


Facebookは「いいね」という承認システムがあって、どうしてもこれを気にしてええカッコしてしまうときがあります。僕もよくその陥穽にはまってしまいます。


いつか自分の言葉を見返したくなるとき、ブログなら言葉を拾いやすいはず。noteという手もありましたが、しばらくはここを本拠地にしたいと思います。


言葉を紡ぐプラットフォームとして。出発も到着もここ。そんな場にしたいと思います。これはひとえに自分のため。そう思いつつ、オープンにして思っていることを発信してみようと決めました。


学校の仕事のこと、世間のこと、子どもとの関わり方のこと。それがメインになっていくと思います。続くかな。でも、続けていきます。

2021年4月3日土曜日

高校へ

 しばらく更新が滞っておりました。


このたび17年間の大阪市の中学校教員の職を辞し、兵庫県の公立高校の教員となりました。

それに伴い、野球部顧問から女子ソフトボール部の顧問に。

小学生にソフトボールを指導していたことはありますが、高校生、女子は初めて。

あまり頻繁に更新はできなくなると思います。またイチから勉強の日々です。

なぜ高校へ? なぜ兵庫へ?

教員採用試験の面接でも、会う人、会う人に言われましたがこれが今の最善です。

まさかこの歳で採用試験を受け直し、初任者になるとは。

一生懸命頑張ろうと思います。


今日、初の週末練習。楽しくできました。

みんなで頑張ります。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...