2017年10月22日日曜日

「自分で考えることができる選手」

ある方の勧めで、これを観た。とても良い番組だった。自分で考えることのできる選手育成について、多く時間が割かれていた。あわせて、人格がすぐれていないと大成しないということも強調されていた。後者は言うまでもないが、中学校という現場、しかも学校の部活動で「自分で考えることができる選手」を育てることとはどういうことかを観ながら考えていた。

番組の中で、履正社のノックを引き合いに自分で考えることの大切さ、自主性の大事さを紹介していた。NHK解説者の小早川氏が「自主的にできるレベルまでもってくるのが難しい」という話をされていた。やり方がわからない、基本的な動作がわからない生徒に「さあやりなさい」と言っても何をすればいいかわからない。中学校の部活動で専門外の部をもった先生はきっとここに悩み、うまくいかなくなっていくのだろう。やがて求心力がなくなり、生徒が顧問を信頼しなくなり、保護者も冷めていく、という図式。実によくわかる。

自分たちで、という言葉はとてもウケが良い。トップダウンではなく、生徒を大切にしているふうに映る。ただ、実際にこれをやりきるのは相当な忍耐力が必要だ。ウチの野球部も先日、これで全体指導した。やるべき練習を「わかってほしいな」と思いつつ、結局それに着手する子がいなかった。その日は練習終わりのミーティングで話した。実はこの時点ですでに僕の指導がまずかったと感じている。気づかせる指導ができていないし、考える素材の提供が乏しかったのだろう。小早川氏の発言が一気にこの指導場面を想起させた。

あふれるほどの素材からそこに行き着かせる。これがどれほど難しいか。これをやりなさい、と言うときもある。でもそれなら言い続けないといけないし、自分で気づくクセがつかない。ここは完全に生徒といっしょに顧問も成長しないとけない点だと思う。そういう意味で練習試合や公式戦というのは恰好の素材。僕はゲーム後の課題設定、提供は生徒といっしょに確認しながらけっこう細かくする。要はそれが日常の練習に反映されていくのかどうか、というのはその生徒の資質や組織の力。ここが目下の課題だ。

特に中学校の部活動はつけないときもある。それを嫌って外のチームにいく生徒もいる。ここは賛否はおいて、現状でよりよい活動にしていくためには自主性をいかに日常的に伸長していくかが大切だ。語弊を恐れず言えば、下手な子には徹底して教えないと技術が備わらない。気づかない子には徹底的に壁にぶち当たらせ、そのショックが必要。それをたえずできる環境づくりとしての、教員の仕事のあり方が求められる。こういう部分を研究者や外の組織といっしょに考えていくといいと思う。

プロフェッショナルの選手育成の場としての部活動もある。ただ、多くのそうではない普通の部活動をもっと生徒のものにしていくのであれば、思い切った考え方の転換が求められる。だからこそ、学校の先生は日常生活の大切さを話していかねばならない。教師としてのプロフェッショナルの指導を部活動で。そんなことを考えた。

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