2016年12月17日土曜日

「最終戦は春につながる内容」

今日は門真市の学校とゲーム。大阪市から出てのゲームは個人的にとても好きで、気分転換というか小旅行のイメージ。一年だけ勤めた私学の通勤に使っていた京阪電車に揺られて学校に向かう。今年のラストゲームだった。
今はここの校長先生になられた先生と昔から縁があり、ご連絡をいただいたのがきっかけ。若い顧問の先生と試合前に野球談義と仕事のよもやま。地域が違うといろいろ勉強になる。同じ大阪でも違うところは違うし、同じところはびっくりするくらいいっしょ。妙に親近感が湧く。勝負師ならゲームの前にこんな歓談はしないかもしれない。でも僕はそういう感じでは付き合わない。いろいろ話す。
試合は1勝1敗。収穫と反省とがあった。北河内は力があるチームが多いので、こういうちょっとした遠出はありがたいチャンス。帰りがけに校長室にご挨拶にうかがい、少しだけ話す。拙著をお読みいただき、野球部の教科書も読んでくださっているとのこと。恥ずかしい反面、とてもうれしい話。また夏までにゲームの約束をして、帰路に。
僕も曲りなりに大阪市に勤めて14年。戦績はパッとしないけど、おかげさまでいろいろと素敵な先生方と知り合うことができ、チーム事情関係なしにゲームをしていただくご縁をいただいている。こういうのはどこでも誰でも言っていることだけど、ウチに限っては紛れもなく本心。自分の学校でゲームができないほどグランドは狭小(大袈裟ではなく本当にできない規模)、部員は今日も11人。僕のタイムラインに賑わしている強豪校のそれと全く様子が違う。ゲームを成立させるのもひと苦労だけど、今いる子たちに自分たちの可能性を信じてやってほしいがために活動している。
130キロ台のストレートを投げる子もいないし、絶対的なスラッガーもいない。ややもすると終学活のあとに残されて指導されてしまうような場面も当然ある。でも、そういう子たちと野球をやっていて、昔みたいにいたずらに日常生活を引っ張り出して嫌味を言わず、野球の中から反省をきちんと引き出させてから日常のことを話す。意地悪な物言いから生徒は何も得られない。残るのは恨みだけ。野球の失敗でただでさえ参っているのに、理にかなわないこじつけは不信にしかならない。野球に向き合うために自分の弱いところと結局は向き合うことになる、ということを婉曲であったり直接であったり伝えている。そうでないと、野球しか教えない野球部になる。選手である前に生徒であり、監督である前に教師である。学校の部活動はそれ以上でもそれ以下でもない。
帰り道、やはり課題のあることが起きた。これは顧問の反省でもある。生徒の失敗を呑み込んでやれない顧問は、僕はいけないと考えている。全部顧問のせいではないが、多くは大人の責任。これは自戒してもしきれない話。
ともあれ、今日で年内の試合は終了。何に向かって生徒が頑張ればいいのか。生徒といっしょに考えて、サイズにあった目標と身の丈を越えさせる自信をこの冬につける。それが理想。明日は駅伝の試走。遅刻はしないか。理由が不明な休みはないか。常にこういう技術までに行き着かないことと戦いながら僕の日常はある。明日も生徒といっしょに自分たちの頑張りを労う。顧問が一番のファンでないといけない。愚直にそんなことを考えている。

2016年12月12日月曜日

「野球離れと部活動」

最近、Facebookのタイムラインに一日に1回は「野球離れ」という話題が出る。確かに野球は人気がなくなってきた。大阪市でも部員不足が深刻な話題。かつての名門や、昨年の上位校が平気で新入部員ヒト桁。新しくスポーツをさせるときに、野球はお金がかかる。しかもポジションごとにグラブの形も違う。ボールもすぐにすり減る。これはやはり大変。
指導者の問題。怒鳴り声を駆逐していく方向で野球界はおそらく進んでいるのだろうけど、いまこんな時間でも練習をしている高校があるはず。今日だけでなく、明日も。他のスポーツでそういうことがどれくらいあるだろう。野球だけじゃないかと。丸坊主は20年後も高校球児のデフォルトなのだろうか。
高校野球の甲子園大会がいまの日本の野球のピークにあると、僕は思っている。そのあとは意地悪な言い方になるかもしれないけど、惰性。プロはたくさんお金が稼げる世界。でも競技人口も多いし、程遠い世界。高校までが誰もが輝ける可能性がある世界なのだと思う。ある地域では特定の学校がほぼ連続して甲子園に出る。他の学校でチャンスをうかがうために生まれた地域を出て野球をする。
根性、根性で教えられてきた指導者が同じ指導をこの時代でも繰り返す。先進的な技術指導を得ようとすれば、相応のお金がかかる。
ネガティブな話題ばっかり書いたけど、僕は野球が好きだ。いっしょに野球でいい思いを生徒としたい。でも、だ。学校の先生が部活動に本気で関わろうとすると当然ながら大きな齟齬をきたす。本気じゃないと周りからも白眼視。グランドに出られない日があれば正当な理由があっても罪悪感にさいなまれる。黙ってグランドに出れば良い。でも、だ。誰もができることではない。
もしスポーツの競技人口の裾野を広げる役割を学校の部活動がちょっとでも担っているなら、野球はこれからもきっと競技人口の減少は止まらないと思う。僕が尊敬する東海大学付属仰星高校のラグビー部の湯浅大智先生は、中学生もいっしょに高校生と練習をさせている。多くは聴けなかったけど、僕が知らないご苦労があろうかと思う。ただ、こういった大胆な制度の改革が必要だと思う。中学校の野球部の活動に小学生も参加する。中学生が高校に行って練習する。地域の高校の活動への見学、参加は自由。
そんなことをしてたら勝てない? 勝つために僕らは野球をやっているのか。そういう考えは否定しない。でも部活動は違っていいと思う。好きになれる環境が大人のせいで激減していっている現状をもっと真剣に考えないと。公園では球技禁止。中高の交流は禁止。プロとアマの指導の交流はご法度。どうやって野球を好きになるのか。
ウチの練習では個人練習の時間を作っている。ややもすると遊んでいるように見えるかもしれない。でも環境がない子たちがどこで野球をするのかというと、結局学校の部活動という場でしかない。顧問は会議や出張で指導に出られない。そんな日もある。でも、愛想を尽かされそうになるかもしれないと思いつつ、やっぱり練習をする。関われる時間はわずか。この現状を変えようとする人たちもいるけど、僕はまずこの環境でのベストを考えている。四の五の言わず、黙って練習やってやればいいねん。僕はもうそんな意見に全く魅力を感じないし、一切与しない。野球が好きで入ってきた子が引退したあとに野球が嫌いになって卒業するなら勝ち負けに必死になる日々もむなしい。
何のために野球部の顧問をやっているのか。野球が好きな子が減っている現状を、現状維持でしか考えていない指導者は淘汰されてもいいと思う。できることは限られているので、他の人に何を言われようがまっすぐやっていきたい。

2016年12月1日木曜日

「先生と君たちとは対等じゃない」

連日、キャプテン主導の走り込みが行われている。今日は早めに出られたので、その様子がよくわかった。休憩をとりながら、流さず取り組む。まだひ弱さが見えるところもあるが、今週はきつめの練習。
僕は声をかけるだけ。それしかできない。
ケガをしている子に早めに道具の片付けを指示したり、僕自信がグランド整備を買って出る。ブラシを引きながら声かけ。今週はそんな毎日。
今日の終わりがけ、やはり同じように整地。走り込みを終え、片付けの頃になる。…小休止してから片付けや整地に出てくると思いきや、出足が鈍い。なんとか片付けと掃除が終わる。終わりがけにやっと1年生が「先生、ブラシ代わります」と声をかけてくれた。でも、ここは指導のポイント。練習終わりのミーティングでこんな話をした。
先生が整地するのが当たり前になって、練習を終えた自分たちは頑張ったから何もしなくていい。そばにいてる手すきの者がやればいい。もしそう思っているならもう一切手伝うことはしない。先生とみんなは対等じゃない。こっちは環境を与え、メニューを考え、やらせるのが仕事。みんなはそれを受けて一生懸命取り組むのが仕事。今週はずっとみんなが頑張ってたから片付けを手伝っていたけど、そういう出方になるなら一切やらん。ギブアンドテイク。プレーで余所に認められる選手であったとしても、こちらは推薦やらお断り。そこを履き違えた生徒が上で野球されたら困るから。こっちが手伝うのが当たり前、やるのが当たり前。俺らは練習したってるねんから、という考えであれば、そんなチームが強くなるはずがない。
そもそも、生徒が自分で使った道具や場所なのだから生徒自身がすべきだ、という声もおそらくある。僕はそう思わない。自分もここにいたのだから、自分のできることをする。ウチは人数が少ないので、正直なところ人手がいる。時間がかかっても生徒にさせよ、という人がいても結構。僕とは考え方が違うのであって、否定しない。いまの時点でのベストで僕は生徒と向き合っている。それだけの話。
新採用の頃、当時の校長先生からこんなことを聞いた。「杉本さん、グランドは体育の教師にとって教室やねん。だから体育教師には特別思い入れがあるんや」と。柔道の専門でいらした校長先生は体育科。室内競技の柔道の専門家が、プロの体育教師としてこうおっしゃった。だから道具の片付け忘れや、整地が甘いときなど、忸怩たる思いになる。指導の至らなさに申し訳なくなる。こんなことも生徒に話した。
ボールを使わない時間こそ、野球部の活動の真骨頂。ボールが動く時間はみんな必死になる。そうじゃない時間に、いかに真摯に取り組めるか。僕がいつも大切にしている考え方。
生徒目線で、という言葉はややもすると迎合になる。行き過ぎた生徒理解は「過寛容」にすぎない。こういう線引は教室でもある。ただそれがグランドで行われているだけ。教師と生徒は決定的に違うのだ。

2016年11月28日月曜日

7人の走り込み

今日は会議。キャプテンにメニューを渡しておいた。僕がグランドに出た頃にはもう外は真っ暗。グランドの入れ替えがあり、小さな面で何やらコーンの用意をしていた。僕が決めたメニューができなかったのかもしれないと思い、生徒に聞くと、もうすでに終わったとのこと。プラスアルファで、走るメニューをやっておくようにと言ってあったのを受けて。30メートルを計って、ダッシュをするみたいだった。
先に走るメニューをやったあとなので、ダラダラと走るかと思いきや、ラインまでしっかり走っていた。僕が居ても、だらだらとするときはやってしまう子たち。でも今日はキャプテンが走る前に声の出し方や、走り方を自分たちで決めてやっていた。
横でエースの子が先のメニューをまだ終えてなかったようで、長い距離を走っている。休憩もそこそこに、こっちに入ってきた。細かいことを言い出すと「みんなが終わってから」「休憩をしっかりとってから」などあれこれと注文をつけたくなるところもある。でもこれで十分。自分たちで考えて、その枠の中できちんとやりきっていたので僕はメニューが終わったあとに整備を手伝った。暗い中、残ったのは7人。塾などの用でどんどん抜けていく。その中で一番つまらないはずの走るメニューをやっていた。(「走るメニューは楽しいんです!大きな声をみんなで出して助け合って!」とかいう意見もあるのはわかっています。単に僕がそれに与しないだけです)
最後までいた子だけがうまくなる、鍛えられていくやり方は確かに一考の余地はある。それにめげず取り組む子たちに場と環境をどうやって与えてやればいいかずっと考えていた。
横で「がんばれよ!」「最後まで!」と声をかけるだけ。7人の走り込みを横で見ているだけの日。こんな日もある。

2016年11月23日水曜日

「ブロック選抜大会」〜盛況の観客席を見ながら〜


今日は有志の大会、ブロック選抜大会。各ブロックの大会を経て、有望な選手を集めての大会。いわばオールスター。高校の関係者も見に来られるおもしろいイベント。良い選手が多く、見どころの多い初日だった。ヒット性の当たりをアウトにしたり、快速球で三振の山を築いたり。フェンスオーバーや直撃の当たりも何本も見られた。僕は1つめの試合の2塁塁審。接戦だったので緊張感のある試合。良いゲームだった。審判をするのにも緊張。たくさんの先生方や保護者が見ているなかのゲーム。いろいろ勉強になった。
ウチのチームからはバッテリーが選出され、2試合目の先発出場を果たした。近年、試合の主要な場面での出場がなかったウチの子たちが、今日は先発出場。しかもバッテリー。今年のバッテリーは荒削りだけどおもしろい二人。思うようにいかない展開に失点もあったけど、試合後は清々しかった。監督の先生も誉めてくださり、こういう機会を与えていただいたこと、与えてやれたことにとても満足した。
自チームの生徒を謙遜からか、なかなか誉めない人もいる。このタイプの先生のほうがきっと多い。僕は、最近こういうのには素直に応じる。今年の二人もいろんな先生に誉めていただいた。今年は本当にしっかりしたバッテリーだと思う。チームとしては課題が多いので勝ちきれない。この二人にも当然課題はある。こういう課題を直視して向き合う機会になれば。今回の大会はそう思って臨んでいる。チームにそれを持ち帰って研鑽し、自チームに還元して冬を越える。いろんな意味合いがある大会。
観客席は大盛況だった。保護者や歓声をあげ、ベンチが沸く。部活動の処遇をめぐって議論がやまないが、こういう場面を見るとやっぱりいいなと思う。自分のチームの子が出られないときに、ふと、自分の子どもが出番を待つのを見守る保護者の気持ちになった。いつ出られるのかな、活躍するかな。僕はこういう子たちを指導する立場にある。こういう感覚を大切にしないといけない。生徒を邪険に扱い、プレーの拙さに猛烈に怒(いか)る。勝つためには必要な要素なのかもしれないが、楽しそうにプレーをする今日の姿は指導者の反省の材料にしなくてはならないと切に感じる。ウチのブロックの監督やスタッフの先生がいみじくも言っていた「やらされている声なのか、自分からの声か」ということ。ブロック屈指の選手たちを集めても、指導していく言葉は普段かけているそれと違わない。おそらく部活動指導の根本はこういうところなのだと思う。「野球で教える」つもりが「野球を教える」指導になり、いつか関わる僕らも「野球が教える」部分を忘れてしまっている。育てたように育つのが生徒。地道な1ページずつの積み重ねでしか成長はきっとないのだと思う。
「楽しかったです」「悔しかったです」とウチの二人が今日の感想を話していた。野球が楽しいという感覚を、もっと普段の活動の場面に感じてほしい。感じさせるのは僕たち。寒風のなか、詰めかけた生徒の保護者や関係者の気持ちを少しでも感じて生徒に向き合いたい。

2016年11月13日日曜日

裏方としてのブロック大会

今日で全日程終了。おかげさまで日程の順延などなく、無事終えることができた。僕は数年ぶりのブロック委員(いわば地区の世話役)になり、今回とても勉強になった。数年前は先輩といっしょにやればよかったし、わからないときは周りの人に聞いていればよかった。失敗しても「まあしゃあないやん」と許してもらえた。でももう僕もいい年なのでそういうのがそろそろ通用しない。というより、意見を求められるときさえある。頼りないブロック委員だと改めて思う。
今回、会場校のご準備がこんなにありがたいのかと実感した。誰よりも早く学校に出向いてカギを開け、生徒に指示をして会場を作ってくださる会場校の先生方。そして生徒。せめて会場校が試合のときはお手伝いを、と思って当番を回そうとするも、ウチは練習試合さえできない狭小グランドで「他人のためにグランドを作る」ということを経験していない。一方で、てきぱきと1年生でもよく動く会場校の子たち。しつけがどうとか言うけど、OJTで得られる経験知は大きい。
ウチにとっては裏方の仕事は生徒にとれば面倒なものかもしれないけど、僕としては教育効果の大きいものだと思った。ネットの裏で、このブロックで指折りのピッチャーが出てきたときに密かにタイミングを合わせるウチの生徒。ボールが飛んだら走ってもらいに行く子。隣に座ったこと「歓談」している子もいる。こそっと見えないところに行く子もいる。2試合の当番に我慢できず、しんどいと感じる子がほとんどだったと思う。ウチの課題がここでも確認できたので刺激していくしかない。
こちらの不手際、準備不足で会場校に無用な負担をかけてしまった。昔からよく知る先生がそのことを終わってから指摘してくれた。こういうのはきっと言いにくいことだと思うのに、わざわざ忠言しに来てくれてありがたいと思った。来年の反省にしていこうと思う。
賞状の準備、ボールの手配、優勝盾の確認、日程の調整。自分の雑なところがはっきり出て、まだまだいい加減な仕事をしていると思った。周りの先生方や生徒に助けてもらってなんとか終わった。
人任せにできる年齢ではなくなった。今更だけど、本当に反省の多い大会だった。みなさんに感謝。スムーズな進行ができず申し訳ありませんでした。また明日からもよろしくお願いします。
今日はナイスゲームの連続。ここでウチが野球できないことをみんなはどう思ったか。野球ノート2,3行で反省とも言えない「反省」を明日確認する。生徒の成長につなげるために、僕はもっと汗をかかなくてはいけない。反省です。

2016年11月12日土曜日

練習第一

先日のブロック大会に敗れたのでこの土曜日は練習試合をお願いしようと思っていた。でも試合は出られない子にとってはつらい時間。「見るのも練習」とか言うのは大人の勝手な都合であって、やっぱりベンチにいる子はしんどい。ということで今日は試合前の調整でもない普通の練習。こういうのも悪くない。
今日はたっぷり二時間のノック。ウチは打ち取っても守備で乱れることが多いのでシンプルに数を取らせたい。エラーもよし。ただ、前に出てこないエラーにはみんなで叱る。こういう中でじっくりやれた。暖かくなってきて打つ練習。これがいつも課題。冗長になってしまう。でも個々で課題をクリアすべく、しっかり振っていた。走り込みはショートダッシュ。5Mを20本、10Mを10本。朝のアップのときにランニングメニューを組んでいたのでこれでよし。今日はこれであがった。
今日の練習に2人の遅刻。ウチはどうもこういうところが締まらない。遅刻について、ウチは特にペナルティを課していない。試合であれば出られないが、今日は普通の練習。考えようによっては痛くも痒くもない。いろいろ考えた。
「明日、遅刻者が出たら明後日以降……」「明日全員時間通りに来たら月曜の朝清掃なし…」「遅刻者が…」
やめた。たぶんそういうことじゃない。地道に「遅刻はあかん。野球以前のことで失敗してたら野球どころじゃない」と言い続けることにした。いつもの注意。ひょっとしたらまた遅刻する者がいるかもしれない。明日も。でも、ペナルティや厳しい叱責で縛り上げても意味がない。こういうのは本当に時間がかかる。チームの意識をもっと底上げするのが第一。練習を大切にする、活動の時間を大切にする気持ちをもっと高めるだけ。言い続けること。しんどいけどこれが最良と信じてやっていくのみ。
練習は良いことも良くないこともある。キレイごとだけの発信はやめて、こういう普通のウチのありのままの日常をもっと発信していこうと思います。タイムラインには全国有数の強豪校の動向。ウチはウチの課題をひとつずつクリアできるよう頑張ります。

2016年11月6日日曜日

「ネガティブの準備万端」〜負ける準備〜

ウチのブロック大会が終了です。二度負けたら終わり、というWBCのシステム。ウチは2敗目になったので本日で終わり。一度勝ったN中にリベンジを食らいました。悔しい限り。
野球心理学。前々から僕が言っている「野球独特の心の揺れ動き」に今日は翻弄された。まいった。
今日の試合で確信したことがある。野球は間のあるスポーツなので心の持ちようで流れが有利にも不利にも働くもの。特にネガティブなイメージを持てば体はそちらの準備をするので、うまく動かない。今日はそれを思い知る具体的な場面がいくつかあった。
ウチが長打性の当たりを打った。レフト線ギリギリ。バッターランナーがファールと思って走っていない。結局フェアになり、シングル止まり。
ウチの守り。特別延長戦で点を重ねられ完全に劣勢になったときにフラフラとセカンドベースあたりの飛球。誰も自分で捕ろうとせず人任せ。捕れないと思って打球を追っかけている。
細かいのはいろいろあった。叱責したり怒鳴ったり、そういうのをベンチで出さなくなって久しいけど、どうもここぞというときに生徒がネガティブな心の準備をしてしまう。よく「ここまで自分は準備してきたのだから」と準備を自信に変えて結果を出すことがある。どうせ失敗するならトライして、やってみて、気持ちよく打ってくるイメージをして、しっかり守りきるイメージをして、と、生徒にプレーさせられなかったことに激しく悔いた。
「強気やぞ!」なれない。「開き直れよ!」なれない。僕は言わないけど「楽しめよ」そんな楽しくない場面を楽しめるはずがない。
技術指導の繰り返しがたぶん自信になるのだろうけど、できる技術があっても心の持ちようで良いパフォーマンスもできるものもできない。今日は最高にそれを思い知った。人の心をありようを研究した書物はあまたある。技術と両輪で、ウチのチームにしかできないメンタル面の強化をこの冬にしっかりしていきたい。
相手が強かった、で終わらないしつこさ。最終回に追いついて延長戦に持ち込めたのが収穫。ダメなところは個々で感じているはず。生徒がゾーンに入るためのサポートを、そういう練習をもっとやっていく。悔しくて今日は寝られへんなあ。ネガティブの準備万端では勝てるものも勝てない。絶対これで終わらんぞ。

2016年11月1日火曜日

「ペナルティとしての掃除」

苦い思い出がある。ウチはかつて忘れ物をしたら活動に参加させず、掃除をさせていた。平日のある日、レギュラークラスの真面目な子が活動に必要な道具を忘れ物。何を忘れたかは覚えていない。その日は例によって掃除。野球ノートに「今日は何にもプラスにならない一日だった。自分が忘れ物をするから悪い。次から気をつける」というような文面。その日からペナルティの掃除は一切やめた。もう3年くらい前の話。
どの学校でも、何か失敗があったときに懲罰的に掃除をしている姿を目にする。これは果たして意味があるのか。練習をさせてもらえず、掃除をしたくないから、好きな野球ができなくなるからそのペナルティに見合う反省ができるのか。卑屈になるだけではないか。
一方で、試合の日はまだ厳然とこのようなラインがある。忘れ物、遅刻に関してはゲームに出さない。試合の日に忘れるっていうことは公式戦でもやりかねない。試合の日に緊張感がなさすぎる。ここはいまだに僕の中では変わらない。出してやればきっと野球という面では上達するかもしれないが、大切な日に自分のミスで失敗しても許してもらえる、という「負の成功体験」(あえてこう表現したい)をしてしまう。試合は練習の延長。わかっている。でも試合の日は僕はまた違っていいと思っている。
日常生活で失敗をして、野球をやらせないことがある。でも僕は掃除はさせない。みんなの手伝いをさせたり、僕といっしょに何か違う活動をさせる。場合によってはそれが掃除になることもある。でもそれは「ペナルティ=掃除」という安直なものではない。教育効果を見込んでの活動。詭弁と思うならそうとってもらってもかまわない。
繰り返しになるが、ペナルティとしての掃除がいったいどういった教育効果があるのか。「身を清める」とかいう声が聞こえてきそうだが、やっている本人が自覚しているそれと意味合いが違う。掃除は概して面倒で、できればやりたくないもの。それを利用したペナルティ。指導者はすぐに生徒や選手をそのような方法で律そうとするが、生徒の失敗にしつこく付き合って「もうこのチームやこの人(先生)に迷惑をかけてはいけない」と思わせることが、本当にその子に必要なことではないか。
エースやキャプテン、主力が集合時間ギリギリに来るというのが僕は許せない。野球は9人いればできるスポーツ。でも、どの9人でやるのかということ。サブの子たちが「あれ、今日はあいつ来ないんかな」「おい、これって遅刻するんちゃうの?」と仲間に心配させて、しかもしれをたびたびやり、平然と直前に現れる。当たり前のように試合に出る。試合ではサブの子が遅れて登場し、ミスをして当たり前のように指導者に叱責される。遅刻ギリギリの「ヒーロー」はそこではいっさい非難されない。これって理不尽だと、僕は昔から思っている。
話がそれた。掃除はペナルティではなく、みんなでするもの。意味がわかって隅々までするもの。ペナルティの多くは、指導者の「言葉」で本来済むものが多いのではないか。チームに迷惑をかけたのであればみんなの前で謝罪させ、そのあとの行動でまた指導すれば良いのではないか。そこでのサボりは徹底して指導できることになる。安直に手を染めがちなペナルティとしての掃除。そうじゃない生徒への迫り方を最近良く考える。たぶんこんなことを言っている僕の姿は周りには甘く見える。特に部活動の世界では。でも、子どもの様子は変わっている。「言葉」や「会話」というものが、ペナルティに変わるものになりつつあるように、学校の部活動の現場にいながら思う。

2016年10月30日日曜日

「日常生活は野球とつながっているのか」〜生徒の本当の日常とは〜

あれこれ言う前に、結論から。
僕はそう思いたいし、教室と地続きだと思ってグランドで生徒たちと接しているので、日常生活と野球はつながっていると考えている。
最近この表題のフレーズが自分の中であやしい。本当にそうなのかな、という疑問。生徒の日常を僕らはどれほど知っているのか。学校での様子、保護者から漏れ聞こえる様子、友人たちから聞く様子。どれもこれも生徒の姿。生徒のミスを「あげつらって」、「だからエラーするんや!」と当てつけがましく生徒に注意する。もうこれに最近嫌気がさしてきている。まずその「日常」とやらに迫って生徒と向き合っているのか。授業で寝てる、忘れ物をする、注意に従わない。だからエラーするの?確かにそうかもしれない。でもそこに向き合って、生徒といっしょに付き合ってやっているのか。
僕は野球でいい場面が出たときに最近この「日常」を持ち出すようにしている。「野球でこんなにええ顔できるのになあ」というふうに。これも十分皮肉といえば皮肉。本当に向き合うべきは「日常」という守備範囲の広すぎる言葉を持ち出すのではなく、その子の課題自体。性格とか素性とか、指導者がどこまでその子のことをわかってやれているのか。日常の全てが否定されているように受け取る子もいる。
カリスマめいた抜群の技術指導を、しかも継続的に指導できる先生であれば生徒は絶対ついてくる。でも、どれほどの先生が可能でしょうか。少なくとも、僕はそれに関しては疑問符。明日も会議。でも、いまは公式戦の期間中。朝練?僕は朝練にあまり関心がない。理由は拙著(「部活動指導スタートブック」)に書いた。
一緒に野球がやれる時間を大切にできる生徒を育てる。空白だらけの指導に生徒は「ついてきている」のだという自戒。卑屈まではいきませんが、この認識が、僕が部活動の生徒と向き合う基本姿勢。ちょっとの時間でもノックを打ちたい。勝てば試合で出た足らずの練習も取り入れたい。そこで僕らは生徒の日常をどれほど知っているのか、というそもそもの話。
「野球部の教科書」も、もっとシンプルに生徒の気持ちのサイズに合わせた言葉を紡げるのではないかと思っている。「昨日も素振りに行ってたようです」という、応援に来られる保護者の方の一言にいつも反省する。日頃きちんと生活を送ってない子が野球で失敗する。誰でも失敗はあるんです。でも、いつもちゃんとしていない子にあてつけがましく注意するなら、心はきっと離れていくのでは、と。甘いかな。
生徒がもっと応援してもらえる部活動にしないと。ここはずっと僕の課題です。すべては野球につながっている。のか?という話でした。

2016年10月18日火曜日

「部活動の外部委託で学校が失うもの」

【今回より文体をおおよそ常体に変えます】
基本的に僕は外部委託に賛成。きっとこれで救われる先生がたくさんいることだと思う。ただし、これによって既存の生徒指導の仕組みの一端がほころぶ可能性も同時にあるということをここで述べてみたい。
生徒と教育相談をしていると、やはり部活動のことが話題になる。多くの子たちは楽しんで部活動に参加しているとわかる。教室を離れて場合によったら異学年の先生に指導してもらう。これだけでも、生徒を見る目が一つ増えることになる。部活動の表情というのは、生徒を見ていくうえでとても重要な視点。勉強が苦手でもここで輝ける子がいる。ここで頑張って自信をつけて、日常の学習などに反映される子もいる。
もし部活動が外部委託になるとおそらく技術指導は充実していくと考えられる。面倒を見るだけ、みたいな部活動でいいのであれば誰でもできる。きっとそれに飽き足らない部がこれを求めていくことになるはず。ただ、そうなると部活動の表情は全くわからなくなる。「部活のときもちょっかいを出される」など、生徒にしたらわざわざ学校の部活動という場でその競技(ここではあえて運動部に限定して論及したい)をするわけだから、学校での出来事になる。生徒の見取りに聡い指導者であればまだ良いが、生徒の育成を「勝利」という視点でしか見られない指導者であれば生徒は厳しい。
生徒は絶対失敗する。ここで学校の日常を知っている者が話すのと、そうじゃないのとでは教育効果が違う。プロ野球選手に一流の技術指導を仰げても、我々は生徒と接するプロ。生徒の感情の機微や日常の変化など、生徒を連続した時間の中で見ていけるという、学校での部活動指導の最大のメリットがある。制度疲労を起こしているので、もはや改善の一途をたどるしかない部活動の現行システムで、完全に部活動を学校の活動から切り離せない最大要因はこれだと僕は考えている。要するに、生徒の様子を多くの目で見ている学校の先生が教えるから、生徒への細かい指導が可能になるということ。技術指導のことではない。生徒を育てるための指導のこと。外部の指導者が指導してくださるのはありがたいが、様子を聴く相手が増えることを忘れてはならない。丸投げできるのは実はほんの一部ではないかと考えている。社会教育のカテゴリーに委任するのであれば、もはやそれは「学校の部活動」ではなくなる。そうなって初めて教員の仕事から部活動が離れる。
会議や行事に追い立てまくられ、かつ日々の生徒指導。突発的な事案。授業準備、教材研究などのやり始めたら終わりがない先生の仕事の第一義。制度設計の見直しとともに、「本当にこれは必要なのか?」という会議や行事、取り組みなどの精査をもっと奨励すべきだ。減らすことが悪、サボりと見られがちな学校の活動で、惰性で続いている取り組みはおそらく多いのではないか。ここから先はこれを読まれる方の想像力にお願いしたい。
たとえば時間外勤務の手当や怪我や事故の責任の所在など、放置してはならない問題は山ほどある。その本格的な制度への手入れと学校の活動として機能してきた部活動の良い面を天秤にかけたとき、両者がバランス良く釣り合う制度が理想的。果たしてそれが可能なのかわからないけど、悪い面はある程度表面化してきたと思うので、ではなぜ部活動が根強く支持されるのか、というのを「生徒育成」という視点にシンプルに重点をおいて現場が発信していく時期にきていると思う。美談ではなく、日常のどこの学校でもある生徒の成長譚を。根性だけで全てが解決する時代は終わった。
教員の良心を阻害するような外野のざわめきで外部委託、および一連の問題を考えてほしくない。一教員の訴えです。

2016年10月7日金曜日

行事前の部活動

今日は午後から芸術鑑賞でした。今月末には文化活動発表会。いよいよ取り組みモードが本格化します。ウチは新チーム発足以来12人前後で活動しています。学年ごとの取り組みが始まると開店休業状態の野球部になります。ここのやりくりをどうしていくか、久しぶりにクラブ会議をやってみようと考えています。顧問がこうしなさい、ではうまくいきません。踏ん張り時。
ただ「生徒主導」というのは聞こえがいいだけで、何も教えていない集団に「主導」というのは酷な話。ここの指導がはっきり言ってウチのチームはまだやりきれていません。生徒が工夫してやっていくためには、日々の指導やゲームの中から頑張れる「素材」がなければ活かせません。しかも少人数。ちゃんとやれ、というのは顧問のエゴイズムです。日が落ちる時間が日に日に早まるなか、指導者の力量が試されています。

2016年9月22日木曜日

「現場からの声を」〜「運動部活動の理論と実践」を読んで〜(長文です)


やっと読めるタイミングができたので読みました。たくさんの方が寄稿されていて、類書のなかでは多角的に論じられていると思います。現場の先生の発信もあり、予想以上に読めるなあという感想でした。率直な感想です(今回これを書くといろいろなところからお叱りを受けるかもしれません)
僕はこういう書籍を目にするたびに既視感を覚えます。桜宮の例の件が反省として枕にあり、そして今までのシゴキ、スパルタからの脱却ということで、それぞれのお立場から述べられている。もうこのパターンの文章をたくさん目にしてきました。そろそろどなたの論考からもそういうのは「もう、わかっているから」という感が否めません。いつもいつもそういうパターンではないのですが、もうそこは前提でいいのです。外部指導員が学校のことを十分わかったうえで部活動に従事するというのも確かにそう。こういう発信で現場が求めているのは「現場はどうなのか」ということです。
僕は教員養成の段階で、おそらく手薄だった「部活動指導者の育成」に関して一助になればと思い「部活動指導スタートブック」を書きました。今となっては目を覆いたくなるような部分もありますが、こういうのが「なかった」のが問題なのです。予算の使い方を学生さんは知っていますか。練習試合の相手がいなかったらどうするか。僕は日々部活動指導に従事しているので、こういう日常の問題(仕事)こそもっと明るみになって、多くの人が知るところになればいいと思います。
あまたある「部活動本」は研究者向けか、「目指せ全国!」という大看板ものです。どちらも現場の先生のニーズかといえば難しいところです。
難しさの原因は、部活動指導というものが研究の対象として扱われてこなかったことにあると思います。オリンピックを目指すようなトップアスリートの世界と部活動の世界が混同され、ややもすれば長時間の練習、涙ナミダの猛練習こそ情熱の形として認識されてきたのではないでしょうか。僕らの日常の部活動指導はそんなものではありません。
あるとき、大会の会場で顧問の先生に生徒が「なあ、今日はオレ何番打つん?」と先生に問うてます。「まだや、今から考えるから」と先生。「えー、一番にしてーや」とまた生徒。なんとも微笑ましい光景です。……って、なりますか。僕の感覚では全くなりません。学校の実情があり、しんどい子たちをなんとかして部活動に取り込んで頑張らせようということだと、当然理解しています。でもここで我々顧問がそんな子たちと向き合う(言葉は悪いですが「勝負する」)ことをしなければ、彼らはいつ、場に応じた行動をとれるようになるのでしょうか。「こら、ちゃんと敬語で質問しなあかんやろ」。ここで暴れだすような子たちと部活動の時間を過ごしている先生方がいるのを知っています。でも、こういうしんどさが、部活動指導という一括りの中に入っているのは紛れもない事実なのです。
ラフプレーや、ハードな声を相手からかけられ、生徒が同様することがあります。いつも話すのは「野球で勝とうや。同じ目線でやったらあかん」ということ。僕も腹が立ちます。でも、こういうのをちゃんと指導していない相手のベンチにダメなことだとわかっていてもどうしても腹が立ちます。もちろん、外には出しません。しんどい子たちと過ごす時間が辛いことは重々理解しているからです。
甲子園やインターハイだけが部活動ではなく、実はそういう世界こそ一部の世界であって、ほとんどの先生たちは「競技の技術まで行き着かない何か」と日々戦っています。メディアはほとんどがトップレベルしか報じません。大会があったら、会場を作る生徒がいます。雨なら前日からグランドにシートを引き、大雨のなかグランドの設営にかかる生徒たちがいます。それよりも早く出勤する先生もます。試合を控えたチームの先生も、保護者に連絡をしたり、このあとの練習をデザインしたり大忙し。ヒット1本で大歓声になるようなチームにも、そのチームのドラマがあります。授業や日常で関わっているからこそ、その1本にドラマを感じるのです。別に、感動が目的ではありません。結果的に、そうなるのです。もちろん、ドラマばかりではありません。大会の当日にエースが突然帰ってしまうチームもあります。僕らはそんな「ありえない」ことも呑み込んで日々子どもと向き合っています。
教員の仕事としての部活動というのがそろそろ制度疲労し、これじゃあかんということに気づき始めています。ただ、僕は学校の部活動というものが持っている教育効果にとても魅力を感じます。この世界も教員としての研鑽が必要な世界であり、授業と同じく自分が受けてきたものをそのまま提供するだけでは成り立たない世界です。外部指導員を登用してうまくいくところはいい。でも、学校の先生がやっているからうまくいく、より効果が上がることがあると思えてなりません。要は生徒をどう見つめているか、という教師の姿勢が最終的にことの善し悪しを決めていくものだと感じています。
家族との時間をどうしても持ちたい、というのに休日は休みなく部活動に出かける。それが当然の世界。金メダルの選手は雨の日も風の日も練習してきたのだ。授業の準備やテスト作成はいつやるのか。生徒は望まずとも家にいながらネットで友人たちとつながりをもたねばならず、また学校でも。アンダーグラウンドの生徒同士のトラブルが俎上にのぼる。また学校で指導する。部活動は当たり前のように活動しています。昔の先生はそれをやってきたんだ、と言っても、もう時代が違います。網目をくぐるような中、部活動の時間を紡いでいるのが実情ではないでしょうか。
だからこそ、少しでも現場発の声をあげていくのが大切です。僕がここにグループを作ったのはそこにも意味があります。
ちょっと逸れていまいましたが、この本はこれからの部活動指導、部活動のシステムを考えていく良い触媒になると思います。首肯するだけでなく、目にした現場の人たちがそれぞれのフィールド、環境で提案、発信してこそ意味のあるものになっていくと思います。勝たせる先生が素晴らしいなら、僕は全くの無能です。そうじゃない人たちの声が、これからの部活動を支えていくのだと感じています。「どうやるか」ではなく「やるかやらないか」なのです。

2016年9月19日月曜日

今日の活動〜雨の野球部〜

昨日の活動の様子です。

今日は夜中からの雨でゲームは中止。軽めのメニューで練習は終わり。狭いところで長々とやっても注意することが増えるだけ。やりたいことをやらせて終わり。これでいい。
ちょっと仕事をしてウチでやってた女子バレーボール部の練習試合にお邪魔した。バレーの練習試合にはちゃんとそれの文化があり、なるほど、そういうことかと参考になる部分が多かった。他の部の活動は自分の部の活動を客観的に考える機会になる。逆にバレーの先生が僕のいないときにノックを打ってくれていたりするらしい。部外者の教育効果はいつも言われていることを見つめ直させるチャンスにもなると考えているので、こういうのは僕はありがたい。
狭いグランドがホームの子たち。僕は野球の子たちと何を考えて野球に取り組むのか。逃げ道はたくさんある。「〜だからできない」ではなく「〜だからこれをする」に変換しないと。9人の練習に雨の中付き合いました。こんな日常で不自由かと言えばそうは思わない。どんな環境でも不十分に思うもの。勝ち負けは技術の他で決まっている。明日はオフ。僕は22日ぶりに全日オフ。たまには休んでええよな(^^)

2016年9月18日日曜日

部員不足と部活動

久しぶりの投稿です。秋の新人戦は3回戦敗退でした。強い相手だったので健闘できたと思います。
ここ数ヶ月、13人のメンバーで活動してきました。昨今、名門と呼ばれた学校でも部員不足に悩んでおり、活動が限定的になっているところもあるようです。こういう学校が会場校としてお仕事をするのも一苦労。慢性的な部員不足は今後の部活動の課題になってきそうです。
将来を危ぶむ、というマクロの視点ではなくミクロの視点で、ウチがこうなってみて改めてわかったことがあります。生徒の安全・健康管理の難しさです。練習試合を組んでやりたいと思って企画するのですが、一人あたりの負荷が大きくなり、ウチではいま怪我に悩まされています。本来だったらベンチで休ませて、という運営ができないわけです。ちょっと無理してゲームに出ていると、どうしてもしわ寄せがきます。こんな安全や健康がおびやかされる活動はいけないはずなのに、現時点での大きな悩みです。やりたいけどやりすぎになってしまう、ということ。「気合が足りない」とか、非科学的なことは僕は好きじゃありません。少人数でも工夫次第で良い練習はできると思います。でも、常時指導につきにくい部活動では、生徒に拠る部分が大きくなり、無駄な時間の浪費になっていくのも無理はありません。
生徒の様子を対話で汲み、少なくてもきちんと活動を全うできる部活動運営をしていこう、というのが最近の自分の関心事です。

2016年8月19日金曜日

「怒鳴らず作る新チーム」〜「プレイヤーズファースト」は幻想か〜(久々ですが、やはり長文です)

夏休み後半。新チームになってからずいぶんと経ちました。
新チームになったばかりのときは子どもたちも新鮮な気持ちで臨めますが、毎日の練習、他校との練習試合を経ていくなかで「あ、今年はこういう感じか」と落ち着くところに落ち着いていっているように思います。暑さにかまけて、ダラダラしているように見えることも。これはモチベーションの固定化が原因かと思います。
さて、本題。新チームは何かとうまくいかないことが多発します。プレーはもちろん、決めたはずのことがウヤムヤになっていくことも。つい大きな声を出してしまいそうになります。他校にお邪魔したとき、顧問の先生の多くは叱咤激励をこえた声かけをしていました。非難ではなく、きっとこれはスタンダードなのだと思います。なぜ僕ら指導者は怒鳴りつけたくなるのでしょうか。
あるとき、キャプテンにノックを任せて僕らが守備の指導に回るということをしました。すると、普段声が出ないような子からも大きな声。全員とまではいきませんが、いつもとは違う光景でした。僕は夏休み後半になって大反省しました。放任にならないような委任。こちらの方向性を共有さえできれば、生徒にもっともっと考える場面を与えていくべきだったなあ、と。
どうしても基本的な繰り返しで単調になりがちですが、ゲーム要素を入れたり、試合のミスのケーススタディなど、我々のニーズを生徒のニーズの共有が図られていないところに、指導者の権威がよろしくない方向に発揮されている。生徒の考えていることに耳を傾けない時間が多すぎたかな、とここに来て思います。個人練習を少しずつ入れてみてはいるものの、まだ機能していない。だからつい大きな声を出してしまいそうになる。大きな声は何かを伝えるのに最も適していないと、グランドを離れたらわかる。当事者として、もっと目標を共有していく時間が必要です。
怒鳴って達成するのは訓練。訓練も、ときには必要。でも毎日「野球の訓練」ではギチギチした空気で活動せざるをえなくなります。学校の部活動では実力差は本当に大きなものです。うまくなりたいけどキツイことはイヤ。勝ちたいけど自分のやりたいこと以外はやりたくない。ここを踏まえて指導しないと、指導者の顔色をうかがう生徒になってしまいます。教室でそんな怒鳴り散らす先生はいないはず。「いや、部活動は好きで入ってきた子たちなのだから、ある程度の縛りは必要」論はごもっとも。要は縛り方なのかな、と。
東大阪の福島くんと今日ちょっと表題のようなやりとりがあって、いろいろ思いました。彼はいま『学び合い』で自分の授業だけでなく。生徒との関わり方を模索しているカッコいい先生です。(見た目もナイスガイ 笑)同世代に自分のやり方を議論できる友人がいるのはありがたいことです。甲子園で躍動するの生徒たちの様子も変わりました。量で勝負、強烈な縦糸、自己犠牲。憧憬を覚えつつ、昔気質の指導に頼るのは指導者の怠慢なのかと一人で思っていました。もっと自分がおもしろがって勉強しないといけません。
怒鳴らず作る組織。生徒の良い部分を前面に出せる指導がしたいものです。うまくいかなくて当たり前。そこと向き合い続ける指導者を目指して頑張ります。

2016年8月5日金曜日

新チーム2週間を終えて

大阪で勝ち抜くのは本当に難しい。この夏、3年生が府でベスト64に残り、頂までは遠いものの僕らの業界でいう「一区切り」に入れたことで、いろいろな方にねぎらいの言葉をいただいた。引退していった子たちもやりきった感じで夏を終えた。
新チーム。今年はじっくり基礎からやり直し。本当にあれやこれやを言い過ぎるくらいに言って、積み上げている。思えば、この2週間は中心選手を叱っている。3年生のチームから出ている子たちは自信をもって新チームで活動してくれたらいいが、ややもすればそれが過信となって作用する。僕はこれが大嫌いなので、徹底的に芽を摘んでこの時期のあるべき姿に近づけていた。
ここ数年、良くも悪くも生徒に委任しすぎて、僕らは「おともする」くらいの立ち位置にいた。でもこれは度が過ぎるとやっぱり中学生の限界に直面するので、今年はかなり強烈に縦糸を張っている。あかんことはあかん。これを言い続けて2週間。練習試合も例年に比べたらここまでかなり少ない。それでいいと思っている。
ゲームをすると、基礎をすっ飛ばして応用に移りたくなるが、ここは我慢のしどころ。まだ土台があやふやなので、あくまでゲームは練習の必要性、必然性を感じさせる機会にしている。
2週間も経てば、そろそろこのチームの文化が見えてくる。人数が少ないので操縦しやすいかというと、そうでもない。課題は散見している。
このチームの一番のテーマは「野球部としての誇りをもつ」ということ。伝統がなければ作ればいい。良い伝統は努力がなければ受け継がれない。まだまだやることは多い。
視野を広げて、今年はいろんな地域のチームをゲームをして力をつけてやりたいと考えている。ひと休みしながら、来年の夏にむけてじっくりチームを育てていきます。

2016年7月23日土曜日

「引退とそれから」

今年は4回戦敗退でした。
今日、3年生の最後の試合があって、終わって数時間。前任校のときは僕の他にたくさん野球が専門の先生がいて、監督をさせてもらっていたという印象だった。時間を経て、今の学校は本当にいろんなことを考えてチーム作りをしてきた。うまくいかないことばかり。でも、今回少しだけ勝ち進むことができて、自分の中になかった言葉がたくさん浮かんできた。生徒を育てるという視点のあれこれ。試合、特に夏の公式戦が僕の考えるピラミッドの頂点にあることが再認識できた。
いつもは「ああ、また1からやり直しか」と徒労感があったけど、今年はそれが全然ない。積み上げていきたいことがはっきりとしている。だから勝てるのか、というとちょっとそれは言い切れないけど、生徒にとって大切なものをこう積ませていきたいというのが明確にある。しかもたくさん。紙切れ一枚を重ねていく、それを厭わない指導を次のチームではしっかりしていきたい。真面目に頑張る子たちが憂き目に合わない共通認識をはっきりさせて、一生懸命仲間を応援できるチームに育てる。
夏の一勝はそれこそ一生の思い出。一試合ごとにドラマがある。僕は何回も経験できるけど、あの子たちには一生に一回。腹の底から声を出して、緊張と興奮の連続で、勝ち進むことの教育効果。結果は負けたけど、これがその子の何になるのかということに無自覚な顧問の手柄作りの部活動指導ではならない。笑顔の引退は自分のなかでとても勉強になった。また頑張るか。

2016年7月21日木曜日

「『野球部の教科書』という方法」

ここ数日、中高と夏の大会真っ最中ということで、惜しくも敗れて新チームになる学校があります。その折に、「野球部の教科書を使わせてもらっていいですか」と律儀にご連絡くださる方がいらっしゃいます。
これはとてもうれしいなと思います。折にふれて顧問がよく口にする「あれやこれや」を「なぜそうしなければならないのか?」という問答形式で一問一答した小冊子です。
基本的に著作権フリーなので、どんどん広まっていくといいなと思います。生徒が納得したうえで顧問の言葉を聴ける素地作りに大きく貢献できると思います。
新しくメンバーになられた方で、ご興味がある方にはお譲りしますので、メッセージ(またはメール)でご連絡ください。
できましたら、「野球部の教科書」をアレンジされたものや生徒の反応、同僚の方の反応などをお聞かせいただけると嬉しいです。まだまだ未熟者なので、ぜひ参考にさせてください。
この際、みなさんの指導理論を言葉にされることをおすすめします。書けそうで書けないものです。頭にイメージした完璧な円を、実際に書いてみるとガタガタになるものです。これと同じです。すっきりした言葉になった思いは、子どもたちへより伝わるものだと信じています。みなさんと指導理論交流ができたらいいなと思っています。

2016年7月8日金曜日

『遠隔操作』としての部活動指導(長文です)

先日、今年高校1年生になった野球部の卒業生たちが陣中見舞いに来てくれました。それぞれの学校の制服で、後輩たちに声をかけてくれている様子は卒業生たちの成長を感じました。手のかかることもありましたが、野球を続ける子たちがこんなにいたのか、と改めて嬉しく思います。
さて、その子たちが口々に「中学で先生に言われてたことを高校でも言われます」「いつも先生が言ってたことがやっとわかりました」と言います。なぜ中学校でそれがわからなかったのかな、と口惜しく思う一方で、僕には心当たりがあります。
高校の先生は毎日生徒の活動にちゃんとついて指導されています。僕が高校生のとき、中学校で先生が来ないことがあった部活動で監督の先生が毎日グランドに出てこられることに不思議な思いを持っていました。きっと、仕事のシステムが中学校のそれと違うのだろうと察します。生徒につきっきりで、浸透させたい思いや動きを伝え続けることができている。毎日居続けてもなかなか自分の理想に近づいていかない、と聞くことさえあります。モノの分別ができてくる高校生を相手にしているから、とは決して思いません。いっしょについてやれる時間の長短が生徒の実力や意識、士気に影響しているように思うのです。
中学校で部活動の指導をしてきた今日までのことを振り返ると、指導に従事できない日があります。出張であったり、私用であったり。突発的な生徒指導で放課後どころか数日関わることもあります。そういうことがあっても、なんとかやる方法はあるかもしれません。ただ、それが持続可能なやり方なのかというと、僕は自信がありません。そのくせ、生徒が自分の思っているようにできていない、思っているようにしていなかったら「あいつら何やねん」「意識が低い」「自分らででけへんのか」と生徒に責任を転嫁する。僕も恥ずかしながらそんなときがあります。野球ノートが告げ口ノートのような、そんな意味合いを持つこともあります。そういうためにノートを課しているのでは当然ありません。
横についていてもなかなかできない子たちを、言葉ひとつで「遠隔操作」しようとし、またそれができると思い込んでいるのは幻想です。強いチームがキビキビ動いているのはたゆまぬ指導の蓄積があるからです。勝てば勝手に士気があがるのか、というとやはりそれは違うと思います。
先日、高校ラグビーで全国制覇をした東海大仰星高校の監督でいらっしゃる湯浅大智先生と話す機会がありました。おっしゃるに、困っていることは僕みたいな一介の野球部顧問が悩むようなこと。それこそつきっきりで、生徒のためチームのために尽力されている姿に心を打たれました。いっしょに居続ける先生がこれほど悩んでらっしゃるのに、僕が同じことで悩むのはおこがましいとさえ思いました。同時に、中学校の指導者はいかに生徒に良い習慣をつけて送り出すか、ということにもっと敏感にならねばならないと反省しました。
勝たせてやることはできませんでしたが、卒業生たちはまた野球をしたいと思って高校でも続けています。もちろん、違う道を選んだ子もいます。ただ、続ける理由に少しでも中学校のときの部活動が寄与できていたなら、それはとても嬉しいことです。ちょっとの言葉かけだけで生徒が自分の思うように動くはずがありません。多忙を極める学校の現場で、生徒を遠隔操作しようとして失敗する。まずは僕自信がそれを自覚し、真摯に生徒と向き合う活動を、自分のできる限りでやっていこうと思います。
「じゃあ遅くまで活動して教師が指導につける時間まで活動すればいい」「強い指導をすればいい」「土日休みなく一日中活動すればいい」こういう考えも頭にあることはあります。そういう向きにシフトを考えることもあります。でも、何かを犠牲にしていると思った瞬間に部活動指導は成立しないという持論があります。こことどう向き合うか。これも頭にあります。
明日から大阪の夏が開幕。高校も中学校も明日からいよいよ3年生の最後の夏がはじまります。経てきた道は違えど、一日でも長い夏になりますように。

2016年6月30日木曜日

長時間の練習について

前回はTwitterで広めていただき、たくさんの方にお読みいただいたようです。ありがとうございました。以下、新規の投稿です。

今日でテストが終わり、昼食をとってすぐに練習でした。雨がちながら狭いグランドで外野の連係の練習ができました。そのあと対応があってグランドをもう一人の先生にバトンタッチ。全体の練習は3時間ほど。残って練習をやりたいという生徒がいたので、時間を確保してテスト明け初日が終了しました。
僕が選手であったとき、毎日長い時間練習がありました。休みの日は当然のように一日。Aチームがよそに遠征に行く日くらいが半日で終われる日でした。今も2部練(午前と午後)をしている中学校の話を聴くと「いいな」と思うのと「自分にはできるかな」と半々の気持ちになります。高校野球なら一日練習はまだデフォルトではないかと思います。
もし、ウチのグランドが広くて、思いっきりバッティングができるスペースがあったり、次々に練習が組める環境であったりだと工夫のしようもありますが、現状では非常に難しい環境です。環境と練習時間はリンクしないのかもしれません。それをわかりつつここでは持論を述べると「今日はこれ」というのをしっかり意識して練習ができたらあまり「時間の長さ」には執着しなくていいように思います。「時間の長さ」は免罪符です。自分がつきっきりで、しかもこれが本業であるなら時間の長短に重点を置くのもいいと思いますが、そうはいかない実態もあります。学年で打ち合わせが入ることもあるし、指導が入ることも。電話や来客もあります。かいくぐって時間をやりくりしていますが、僕がいない時間も彼らは活動をしているのです。ここのところが特に中学校の現場で部活動の時間が「浪費」されている原因だと思います。
つけない時間は原則的に活動は禁止。もしそうなると現行のシステムでは成立しません。だったら、顧問が納得するための活動(特に時間だけに重きを置いた活動)は特に禁忌されるべきだと思います。生徒の体感時間で一番の活動。そこに気を置きながら、かつ、かいくぐりながら自分の最大限。これを一言で表現できる言葉を有しませんので、言うならこうなります。
短い時間だけど効率的に。その前提はずっといっしょにいるということ。長い時間の活動は生徒の気持ちを疲弊させます。「ウチは全国大会に目標をおいて……」ということなら別かもしれません。ただ、そういう空気によって苦しい思いをしている部活動の顧問もいるという事実。まだまだ思案は続きそうです。
練習は訓練なのか。ちょっと考えてしまいます。

2016年6月15日水曜日

「部活休養日雑感」(長文です)

文科省が打ち出した改善策が議論を呼んでいます。僕は時代の流れを考えると仕方がないというか、当然だと思ってこの動きを見ています。一方で、現行のシステムが築いてきた歴史も無視できないよな、という気もあります。僕はどっぷり「昔気質」で育ててもらいました。
このグループにいらっしゃる学校の先生は、日常の教材研究はどうされていますか。
僕は週1回はオフにすることが多いので、そこである程度の授業の準備をします。しかし、ある程度です。もっと詰めてやりたいなあ、と思いつつ、甘さを残して授業をすることも正直あります。これが手抜きだと言われるならそうかもしれません。
午前中練習で、午後からは職員室で仕事。夕方に帰宅し、次の日も活動。遠征で他校に行っても、仕事があるので昼過ぎに職場に行き、業務の準備。週明けは朝練。こういう方も珍しくないと思います。関われば関わるほど生徒の様子が気になり、テスト前までも「勉強会」と称して自分の教室でテスト勉強をさせる。授業中居眠りしていたら「授業中寝てるらしいやんか」などと生徒に迫る。こんなことも珍しくないと思います。でもこれは生徒に対する熱意なのか何なのか、僕にはよくわかりません。自分の前ではきちんとしていてほしい、見えていないところでも「◯◯部の子は頑張っているよね」などとほめてほしい。関わりが深くなれば自分の一部のような錯覚をもつのも無理はないと思います。
以前どこかで書きましたが、たとえば野球は子どもたちにとってすでに通過儀礼ではなくなっています。ちょっと昔なら必ず野球はやっているはずで、そこにとどまるか他に進むかというものだったはずです。今は野球ができる公園が少なくなったり、他の楽しいことが多くなりました。
熱意は関わる時間ではなく、関わり方や関係の結び方にシフトしてきています。「うらぁ」と巻き舌で生徒をコントロールして、勝ち負けに一喜一憂する(指導ではなくコントロールです)。生徒のモチベーションに変化があるのと同様で、指導者のモチベーションもあきらかに変わっています。部活関連で大会運営に従事し、一銭もならない仕事をすることがあります。代休ももらえません。僕はこれに今まで特に何も感じなかったのですが、昨今の騒ぎ(あえて騒ぎと述べます)に「そう言われたらそうなのかな」と思うようになりました。でも、自分が大会の役員や審判で試合に駆りだされてもあまり負担に感じません。周囲の理解もあるから、というのは重々承知です。でも、たぶん好きだからだと思います。子育てがもうちょっと落ち着けば、もっと本腰入れて指導に関わりたいと思っているくらいです。中途半端な活動の実態に生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいです。試合に負けたら責任をどっと感じます。
休養日が制定されても、きっと何の改善にもならないと思います。なぜなら、いまだ関わる時間=熱意という式がこの業界にあるからです。効率的にとか要領よくとか、あまりよく思われません。実際にこれが本当に運用されたら大会期間が異常に長引き、普通の大会が成り立ちません。土曜授業やりなさい、部活も減らしなさい、でも大会はなんとかやりなさい。なんとかじゃ現場は回りません。大阪の夏の大会だったら、いったいいつスタートすれば終わるのでしょうか。
一方で、夏の甲子園大会が近づいています。もうすぐそれの宣伝が始まるでしょう。ただ、これほど盛大になってくると、甲子園出場にはいかなる犠牲も払うという価値観が出てきても不思議ではありません。文科省が一生懸命教員の負担軽減の名目で部活動に発言をしていますが、本気でやるなら甲子園大会のあり方を見直すのが第一です。(当然のことながら、僕は高校野球が大好きです)極度に美化された世界に、世界観に憧れるのは当たり前です。日本の部活動は夏の甲子園に集約されていくと僕は考えています。
ともあれ、あと何年もつかわからない現行の部活動システムで、生徒も先生も疲弊してつらい思いするような人が減ればいいなと本気で思います。もともと教師の善意で成り立っているような、それでいて責任が重すぎる現状に現場がやっと本音を語りだしたところです。僕は自分の目の前の子たちがもっと野球を好きになってくれればと思って関わるのみです。それしかできません。
以上、雑感でした。あえて編集せず、粗いまま載せます。

2016年6月11日土曜日

裏方業務

今日は午後から大阪市の野球部顧問を対象にした審判講習会。今年度は数年ぶりにブロックの専門委員をやっています。書類を作るのでも「こうやったらいいのにな」というのを提案できるので、思いの外楽しくやっています。
みなさんが講習を受けてらっしゃる横で、僕は訳あって参加せずに待機していました。総務の先生方や、要職の先生方は会議。こういう先生方がいるので大きな組織は回っていくのだろうな、と一人で考えていました。審判講習も講師の先生方は実に素晴らしい提案で、ひとつひとつのプレーを解説されます。奔走される先生方に頭が下がります。
大会の役員をやっていると、同じ野球部の顧問のはずなのに非常に残念なケースを目にします。せめて大人同士は心が通い合ってすすめていきたいものです。今日は懸案の「コリジョンルール」について、本部審判としての心得を確認しました。語弊を恐れずに述べると、野球を知っていると自負している保護者が「今のはコリジョンルールで……やろが!!」とか、今度の夏の大会でどこぞの会場で問題になることが出てこようと想像できます。別にこの保護者さんを責めるのではなく、我々がきちんとそのルール改正に備えてジャッジメントをしようというような常識的なコンセンサスだったと理解しました。もちろん、技術的な押さえはあった上です。きっとアマチュアのいろいろなところで議論されているのだと思います。
ともあれ、こういう裏方を知らないまま退職される先生もきっといるでしょう。たいへんではありますが、バックヤードの苦労と楽しみは野球部顧問のもう一つの醍醐味といえます。夏が近づいています。

2016年6月5日日曜日

春季大会雑感(スタンドの様子を中心に)

昨日は一日かけて準決勝と決勝。良い試合が続きました。僕が球場の当番にあたっていたので、野球部も見学に。
この「見学」というのが難しくて、どうしても観戦している様子が気になります。一年生は球場に驚いていたようで「ここで試合してみたいなあ」と。この気持ちを大切にしてほしいと思いました。上級生たちは残念ながら集中力が続かない。お昼を境に解散にしました。
僕が球場当番だから見学ということにしましたが、そもそも「何のために」観戦をさせたのか。アンテナの感度が低いところにレベルの高い発信はどこまで受信できるのか。結局観戦の態度に注文がつき、お小言を繰り返す。自分のチームでありながら、なかなかうまくいかないもんやな、と一人で思っていました。僕は一日中野球を見ていられますが、今の中学生でそういう子はどれくらいいるものでしょうか。大会見学というフレーム自体が正しかったのかを考えなおすべきかなと思いました。生徒を一喝して静まらせ、我慢させて観戦させる。こうなったらこっちにも責任があると僕は思います。2試合、じっと見ていられる集団にできていないのは反省です。
スタンドにもいくつかの学校が見学に来ていました。学校の様子は実に様々。いやいや来ているような子が多い学校は残念ながら先生がしんどそうでした。球場のお仕事を担当してくれる学校もあります。前任校で、ある時期に球場の担当を任せてもらえるようになりました。当然、我慢して観戦できないような集団では仕事どころではないので、任せてもらえたときはちょっとした喜びでした。(球場近くの学校に会場のお手伝いをしてもらうのはよくあることです)
うまくいかなさの原因は実は違うところで感じてはいます。しかし、ここには書きません。僕らの仕事の多くは、しかも悩みの多くは書けないことがほとんどです。スタンドの様子から、昨日もいろんなことを考えていました。

2016年5月28日土曜日

修学旅行と野球部

修学旅行の期間中、1・2年生だけの活動は2年生キャプテンが頑張ってくれました。想像以上に良い活動ができて、次のチームをイメージするのに良い期間となりました。今日から昨日修学旅行から帰った3年生が合流。1・2年生は7時半集合でしたが、3年生は9時半。こういうところで僕はいつも無理させません。本当はオフでもいいくらいだったのですが、明日ゲームなので遅めの集合。思ったより動きがよく、疲れより気分が非常に充実しているように見えました。
2年生のキャプテンはしっかりしたマネジメントをしてくれましたが、そろそろ「まとめ疲れ」が出てきた頃。本人に話を振ると、やはりそのようでした。気が張っているうちはいいけど、その「魔法」がとけると、途端に楽な方にいってします。無理もない話です。ここが新チームの課題かな、とミーティングで話しました。
3年生は若干浮かれ気味。これはある程度仕方がないと思っています。9時半集合という僕なりの「配慮」を、明日以降はきちんとわきまえてほしいと伝えました。今日は気持ちを戻すための練習。一気にしまった雰囲気になる生徒集団だとそれはそれで殊勝ではありますが、どれほどの子たちがそういう切り換えができるものでしょうか。こういうバトンゾーンがあってもいいと思って、今日の練習は終えました。(「バトンゾーン」という言葉は埼玉の山本純人先生からの着想です。すてきな先生です)
「何を甘いことを」と思われる方もいるかもしれません。学校の行事と地続きにある部活動で、今日くらいはこれでもいいかなと思っての活動です。昨日8時過ぎに帰宅したであろう生徒の体調も気になります。一方で、1・2年生はしっかり練習でき、新チームを強く意識できました。良いところはそのままで3年生を迎えられたと思います。
明日はゲーム。そろそろ夏の背番号を決めていく時期になってきました。

2016年5月21日土曜日

「うまくいかなさ」とどう向き合うか

今日は快晴。暑かった。昼からのゲームでした。前から何度もお世話になっている顧問の先生とお話しをしていると、初めてお会いする先生が。聞けば、僕のTwitterや本を知ってらっしゃる先生ということで途端に親近感が湧き、いろいろ話しました。バスケ部の先生で、編成時に配ってらっしゃるという小冊子をいただきました。野球部の教科書のこともご存知で、お分けする約束をしました。こういうつながりは市内ではあまりなかっただけに、うれしい瞬間でした。
さて、今日のゲーム。テスト明けすぐのゲームだったので、微妙なズレが個々の生徒レベルであります。ここに向き合えず塞ぐ子や感情的になる子がどうしても出てきます。これは仕方がないことなのに、それにうまく付き合えない幼さが今日の試合では出ました。
5回、0ー1とリードされてて2点追加されると、もうここでスイッチが切れて失点が続く。0−6。敗色濃厚。僕は0−3の段階で持ちこたえられない現状に課題を感じました。中学校野球では3点はセーフティではない。夏の大会では1人のランナーがたちまちメンタルの弱さを刺激して、失点につながるケースを見てきました。3点で我慢できず、戦意喪失する生徒にもどかしさを覚えました。
ここからあることをきっかけに奮起し、1−6。次の回に加点し、3−6に。ここで先を急ぐあまりにランナーのミスが続いてここでゲームセット。3点でこらえていれば3−3だった、という話を試合後にしました。
一方で違う話が。試合をさせてもらっていることを忘れた、よろしくない行動がこのゲームで見られました。うまくいかなさに翻弄されるなかでの出来事だったので、試合の後かなりハードに指導しました。野球以前の、マナーの問題。1つめのゲーム後、相手の先生とそのあたりの反省をお互いかわして2つめのゲームに。失敗は野球で取り戻すしかない。反省があるならそれを行動で見せよ、といつも生徒には言っていますが、うまくそれをやりきれない子もいます。ここは試合中に整理させ、後半にチャンスをやりました。
丁寧に指導したあとに、おもしろいように結果に結びつくことがあります。今日はまさにそれで、きちんと整理できたことによって本来のプレーが戻りました。遠回しな表現ですが「なぜそうするのか」ということを再認識できたことによって、集中ができたようです。はじめからやってくれよな、って話です(笑)
技術指導のスキルはお金と時間さえかければ、ある程度は積み上がります。でも、生徒とどう向き合って、何を大切なこととしてプレーさせるかは技術指導のそれとは違う。感性とか、経験とかそういうものが相まって機微に触れる声かけをできるかどうか。部活動指導はこれが大切。「人格形成」「人間力を高める」とか、僕は苦手なフレーズで、教師が生徒に善かれと思って為すのが部活動だと思います。硬派なフレーズは指導を硬直化させるだけ。善かれと思う指導。目の前の子たちにベストの関わりをしていくだけです。
全国大会を目指すようなトップチームは僕のような悩みはないかもしれません。毎日悩んで一日が終わる。相手の先生と試合後にあれやこれやと話しているうちに、みんな同じようなことで悩んでいるんやなと改めて思いました。こういう「ありきたりの悩み」に対する自分の考えをしっかり持ちたいものです。
すぐそばの河川敷は高校時代によく走った場所。土手からゲームを眺める人がたくさんいました。新しいご縁と、今日の出来事からのリフレクション。明日は審判講習会で大阪市の南の方に行ってきます。きっとまた焼けますね。

2016年5月11日水曜日

いないことに納得できるかどうか


今日はサッカー部の活動がオフと聞いて、雨上がりだけど久しぶりにバッティングをしようと思いました。

ところがフタを開けてみると、3年生は取り組み、2年生は取り組みと居残りで、活動できそうな生徒が数名。しかも小雨がパラパラ。僕も会議。なんやろなあ、と思いつつ、できる活動をしておくよう伝えました。

特に3年生は修学旅行と体育大会の取り組みを、それこそ日替わりでやっています。同じ係でも部活動に来ている子と取り組みに行っている子がいます。部活動に来ている子の心情としては「あいつ絶対野球来れるのに何してるねん」と思うことでしょう。実は僕もそんなことを思うことがあります。そういうときに、声のかけ方を誤れば大きく信頼関係に傷が付きます。

「おお、野球に来ないのか…」と内心思っている子に、学年の先生が「今日はありがとうな!助かったわ」と声をかけていました。こんな瞬間に自分本位でしか生徒を見ていないことに気づきます。100%、取り組みに従事しているのかどうかは知りません。うまくやれば野球に来る時間はあるかもしれない。そこは否定しません。ただ、感謝されている子を訳も分からず否定的な捉えでいるのは自分の修業不足としか言えません。

生徒会に立候補する、と中学校のときに顧問の先生に相談に行ったことがあります。練習に行けないときもある、ということを伝えに、それとそういうことで引き止めてくれるかと淡い期待をしながら(笑)。「ええやんか、学校のためにやるなら野球よりも値打ちあるわ。そっちで頑張ったらええ。来れるときにちゃんと頑張れ」と言われました。下手な選手だったのでこういう声をかけられたのかもしれませんが、当時の僕は予想外の返答に驚いたのを覚えています。今では同じことで相談に来るような生徒には、やはり同じようなことを話します。頑張れる場所があるならどこでもかまわないと思うからです。

さて、取り組みの話。僕は練習から抜けても周りが納得するものだったら胸を張っていればいいと思っています。補習やサボりでなければ、何らやましいことはないはず。要は当人にどういう自覚があって活動してるのか、ということが僕は大切だと考えます。そこらの線引きがあいまいだと、結局どちらも中途半端になるだけ、周りが誤解するだけ。ひいては不信感を持つでしょう。これではいけない。

明日はテスト期間に入るので、休み中のトレーニングシートを配り、そこらの話をします。中学生はいろいろ忙しい。わかっているはずなのに、こっち側の論理で考えていすぎないか。そんなことを考えました。

2016年5月10日火曜日

連日の雨

大阪は連日の雨。グランドが使えません。いくら狭いグランドであっても、使えるのと使えないのでは全然違う。家庭訪問が終わって立て続けに会議がある中、雨のトレーニングメニューです。野球ノートを読んで「何かトラブルはなかったかな」とセンサーとして活用している自分がとても情けなく感じます。

いろいろ書いています。「グランドでボールを使いたい」「雨だけどしっかりトレーニングできました」「羽根でティーができてよかったです」。会議で全然つけないのに頑張ってたのかな、と少し安心。

今日は会議がなかったのでトレーニングにずっとつきました。体育大会や修学旅行の取り組みで抜ける子が半分くらいおり、ややもすると開店休業。そんな中、しっかり走り込んで個人練習ができていました。

雨ならスイッチが切れてしまう野球人のサガをわざわざ叩き起こさず、程よく刺激。練習につくのが何よりの指導だと改めて思います。

2016年5月3日火曜日

師匠の姿 〜ルーツに触れる〜

今日は福島区の伝統校のY中と練習試合。自分の中学校時代の恩師(M先生)が勤めておられます。加えて、前任校で仲良くしていただいていた隣の学校のY先生が数年前にここに異動になり、懐かしい話で盛り上がりました。
野球の話というより、自分がその学校でどう働くかという話に終始。「おまえが中学生のときは〜」みたいな話が出ると恥ずかしい反面、ようやく大人扱いしていただけた嬉しさがありました。(もういいトシですから当然ですが 笑)
師匠が保護者と歓談されているなかの試合。昔から保護者を大切にされていて、よくコミュニケーションをとっておられました。前任校では自分の学校でゲームができたので、よく観戦に来ていただいていました。試合よりそっちが楽しいときもあり、いろいろ助けていただいたことを思い出しました。ウチではゲームができないのでなかなか生徒たちの頑張りを見ていただくことができないのが残念です。
中学2年生のときに転勤されてきて、その頃がちょうど僕くらいの年齢。くすぶっていたときに「下手でも毎日来ている子を試合に使う」「日常生活をきちんと送れる子がうまくなる」とよく離されていました。僕には大きな救いになる言葉でした。今生徒に話していることの多くはM先生の受け売りです。言ってみれば、昔も今もこれは変わっていない大切なことだということです。
いつもM先生の学校とゲームをするときは、あれこれと考えることをもらって帰ります。5日と15日にみなさんにお話しさせてもらう機会があるので、参考にしたいと思います。良い時間でした。

2016年4月30日土曜日

気になることは言う

日々の活動のなかで、決めごとがいい加減になってくることがあります。そのうちレギュラーも固定的になり、日々の活動が反映されにくくなってきます。換言すれば、日々の活動がどんな様子であっても試合で「起用せざるを得ない」状況が続くということです。これに慢心、過信がチームを覆うと、なんとも言えない閉塞感のなかでゲームが進行していきます。
近頃、ウチのチームでもこのような状況があり、生徒ととの関わりを変えていっています。中心選手がプロ野球選手みたいに凡打で歩くように走ったり、ジャッジメントを素直に受け入れられなかったり、固定的な選手起用は動きが惰性になりがち。ここを絶対放置してはならんと思い、指導に聖域を作らず接しています。
相手に失礼な態度や、生意気な振る舞いは部活動としては絶対させてはならないことです。学校の教育活動のなかでやっている以上は、こちらの指示・指導を聞き入れないという状況は許せません。パワーはいりますが、中心選手ときちんと向き合うのが顧問の大切な役目。特に3年生には「もうわかってくれてるやろ」とこっちが勝手に生徒を信用して、はみ出す振る舞いに目をつむることがあります。勝手に生徒を信用、というより、指導することを遠慮する心理です。1年生や生真面目な生徒には何を言っても大丈夫、という安心からあれこれ言うけど、ええ加減をやっている生徒に注意しない。見方によれば、生徒との衝突を避けている。そんなことがあります。そして、そんな姿は生徒がよく見ているのです。
ここまで読まれて「自分には無関係」という方がおられたら、僕はすごいなあと思います。油断すると楽なほうに流れるのは生徒だけではないのです。気になることは言う。すぐに、その場で。「前から言おうと思ってたんやけどな!」の指導は生徒にとっては迷惑な話。その都度、良いほうに良いほうに向けてやりたいものです。
野球部の教科書の第3版にはこのあたりのことを加筆しようと思っています。

2016年4月20日水曜日

部活動編成

更新が滞っております。このごろ、まったく部活動がうまくいっていません。とても苦しい状況です。今日は久しぶりに更新します。

今日は部活動編成でした。新入部員は5人。新しいメンバーでまたスタートです。全市的に野球部員が減っており、名門校でも2、3人というのも珍しくなくなりました。

先にも書きましたが、ここのところ野球部の活動がうまくいっていません。とても苦しい日々です。しんどいのは生徒も同じ。

思うに、全方向に良い顔をしてやっていくのは無理なこと。だったら自分のルール、基準で判断していったらええか、と思うようになりました。波が立つのを恐れては進歩がありません。昨日、自分のタイムラインに書き込んだ「どの学校にもドラマがある」というような話。僕は強いとか弱いとか関係ないと思っています。顧問が真剣に向き合ってやっているかが最低条件。独りよがりが心配だとか思わず、やりきっていくのがやっぱり大切なのでは、と思います。ドラマを作る、作ってやるのが仕事。本気が出せる集団、空気、伝統に憧れながら、また頑張っていきます。寛容と迎合のあいだで、割り切ることをとりあえず選択して進んでいきます。

2016年4月2日土曜日

合同練習

今日は住吉区の学校と合同練習。仲良くさせてもらっている学校です。今日は試合ではなく、練習をしてほしいとお願いしました。ウチはグランドが狭小なので外での練習は本当にありがたい。ボール回しやノック、実戦形式など、普段できない環境で良い刺激になりました。
最近「ひたむきさ」に非常に関心があります。なんというか、ひたむきに取り組めるというのは一つの才能だと思います。野球は上手でも熱心じゃなかったり、集中しきれていなかったりと、この「ひたむきさ」を習得させることが部活動指導の一番の仕事じゃないかと思うくらいです。
近頃、僕が物分りが良すぎるのか、話がうまく通じていないと感じることがよくあります。トップダウンで強いればある程度は思うようになると思うのですが、ここ数年このやり方と僕自身がうまくいっておらず、模索が続きます。統率のとれたチームは指示系統が非常に優秀で、ここの課題が僕の一番の課題だと感じています。もっと頑固にいってみようと、今年度は考えています。結果が出ていないならやり方を変えるのは当たり前です。
夏まで練習試合をいま組んでいる途中です。外に相手を求める以上、ぜいたくは言えないうえに、まったく自分がコントロールできない部分です。おかげさまで、昨年度はクラスに恵まれ、いろいろあったけど楽しい1年間を過ごすことができました。一方で、野球は悩みばかり。まったくと言っていいほどうまくいっていません。生徒も苦しいと思います。結果につなげていけるよう、指導者がもっと勉強しないとと思う新年度です。

2016年3月18日金曜日

「大会直前の雰囲気」〜「部活動指導の限界」考〜

明日、春の大会1回戦です。これに向けて、力のあるチームと週末にたくさんゲームを組んできました。連戦のしんどさ、そのなかでの継投、失敗を次に活かすモチベーション。積極的な失敗を奨励し、勝つことを目標にしながらチームの、自己のレベルアップをはかってきました。やればやるほど技術的な課題が浮き彫りになり、それを支える日常の姿勢が問われる結果になりました。
今週の月曜。完全オフにしました。久しぶりのオフ。朝の掃除も回避し、荷物を持ってくるのみの集合。すると、これができない。ノートの提出遅れがあったり、主力の子の体調不良が続いたり、不安定な状態が今週は続きました。えてして、こういうときに限って会議や突発的な指導が入るもの。じっくり腰を据えて指導ができた日はありませんでした。雨の中、辛うじて今日小さい面のグランドでノックができたくらい。大会前なのに、僕はいったい何をしているのだろう。今日は先週来続いていたインフルエンザ禍を受けて、国語の文法の補習をしました。6人。大会を優先するなら、別に今日じゃなくてもいい。でも、休んでいる子たちが出てきたので、今日に設定。来週になると放課後は会議で詰まり、補習などできそうもない。今日しか完全フリーの日はありませんでした。もしここで何か生徒指導事案が起きると、きっとこれもキャンセルしていたと思います。積み上げてきた大会までの実戦経験を、グランドで全く僕は反映させてやれずミーティングのみの「遠隔操作」しかしていません。ボールがなくなったり、生徒に揉め事があったり、どんなことがあっても本来は責められる義理はないはずなのです。でも、漏れ聞こえるいろいろな声に一喜一憂し、申し訳程度に昼休みに集めていろんな話をしてきました。
大会直前に盛り上がってもいいはずの緊張感は、日常の授業や生徒たちの日々のよもやまで日毎に弱くなる。一部の子がもどかしくそれを感じ、指摘できればいいがそれが諦観になってくる。これが一番あってはならない状態です。わかっているのに、そばにいられないというのが僕の日常です。
こういうなかで生徒が失敗したら指導者は寛容にいられるでしょうか。僕はうまくいかず悔しい思いをする生徒の姿をみるととても苦しくなります。朝練、遅くまで練習、土日終日練習。こういうのをすれば量としてはカバーできるでしょうが、そもそもなぜ平日は指導することができないのでしょう。仕事のスリム化、というより、システムとして平日の練習は特に中学校の現場では指導がやりにくい現状にあります。もちろんケガも怖いし、見ていない間にヒドゥン・カリキュラム化される悪しき慣習が行き渡ってしまうのも怖い。残念ながら、こういう面をみていくと現状のシステムは限界を超えているとしか言いようがありません。
外から見るとその異常性にはすぐ目が行くだろうし、「べき論」を云々しやすい。中にいる者はわかっていてもそれにがんじがらめになって、慣例を踏襲していくしかない現状があります。外部とか指導のプロとか、そっちに完全委任するならそれでもいい。「やろうと思えばやれる」という状態は僕にとって一番やりにくい状態です。熱意がないからでしょうか。平日の積み重ねが週末の試合や公式戦に出るのではないでしょうか。仕事術でなんとかなるというなら僕は努力不足です。
日常生活をきっちりやりなさい。こういうお説教は指導者は得意だし、誰もがしている。努力ではどうにもならない平日の練習のあり方を、現場はもちろんシステムを考えていく人たちにきっちり見てほしいと強く思います。教科の教師として赴任している学校で、いろんな分掌を兼務して顧問をしている。生徒にしわ寄せが行き、ひいては休めない顧問が疲弊する。休んだら罪悪感をもち、落ち着かない。そんな権利はないのに、定時退勤していく先生を恨めしく思う。若いうちは俺もそうだった。こういう声は昔と違う現代の先生には実にしんどい声だと思います。
間隙を縫うような今週。一生懸命自分なりに準備して、生徒のパフォーマンスを支えたいと思います。雨の中だったけど、ノックを打ってやれて今日は満足でした。しんどいけど、ちょっとでも野球が好きな生徒が増えてほしいと願い、大会に臨みます。楽しみです。

2016年3月13日日曜日

居る子でやればいい

僕の野球の恩師はよく「野球は9人いたらできる」と話していました。4番が、エースが、主力が、と、聖域を作ることによって特権意識ができてくるのだと思います。中学生ながら、9人いれば大丈夫だということがよくわかっていました。僕の恩師は誰でも叱るし平等。何のストレスもなかったのはこういう指導方針があったからだと、成長するにつれてわかっていきました。
今日は港区のK中と午後からゲーム。体調不良などでお互いメンバーがギリギリの練習試合。ベストメンバーとは程遠い布陣です。僕もよく子どもたちに話すことで「その日のベストでゲームをしよう」という言葉があります。「ああ、あいつがいてたらここのポジションは堅いのに」「あいつがおらんからクリーンナップどうしよう」とか、こういうのは中学校の野球では杞憂だと思います。今日いる子たちで頑張ればいいのです。「家の用事」というマジックワードがあります。これを言われると顧問としては「そうか、わかった」しか言いようがありません。追及してもお互い心地の良いものではない。もうそれは仕方がないこととして受け入れるしかないのです。
今日は鮮やかに逆転勝ち。12人でツギハギだらけのメンバーで3点差を一気に4点とって逆転しました。こういう経験もとても大切。いつも競り負けしてたけど、競り勝つ経験は今まであまりありません。みんな嬉しそうでした。(4番が3打数3安打。あっぱれでした)
そのあとは2試合目をキャンセルし、バッティング練習。マシンで実打させてもらう貴重な練習でした。ちなみに僕も打たせてもらって、いくつかいい打球がありました。腰のキレが悪かったので、プレーヤーとしては練習が必要です。お腹の肉はおかげさまであまりないので、反応できるようなトレーニングが必要です(何の話や 笑)
明日はオフ。ミーティングもしません。野球部の活動から離れるデトックスの日。平日の休みはあまり休まらないのですが、精神衛生上、効果が大きいと思っています。「先生、明日はフリーでもやったらだめですか?」と帰路で2年生が。「ええよ、やりたかったら。無理しなや」と生徒に言いました。ちょっとずつ勝ちたい気持ち、俺らやれるんちゃうん??という機運が高まっているようです。心配なのは体調不良者のこと。来週の土曜日は本番なので今考えられるベストで臨みたいものです。みんな頑張ろうぜ。

2016年3月12日土曜日

自分たちで立ち上がれ

今日は東淀川区の中学校で連戦。H中と平野区の強豪、S中とのダブルでした。どちらも強豪校。試合前から僕の頭のなかではあれやこれやとシミュレーションしていました。
1つめ、H中。守りのミスで失点し自滅。惜しいゲームでした。2つめ、S中。3点先制するものの、じりじり詰め寄られて競り負け。悔しい負けでした。
今日もやっぱり気になったのは味方のミスに対する姿勢。自分たちの仲間のミスを糾弾するようなムードになります。僕はこれが大嫌い。こっちも腹が立っているよ、そりゃ。グランドレベルのプレーヤーが評論家になってどないするねん。常にその場その場のベストでやるしかないはず。味方に意見するなら練習でやりなさい。君が4打数4安打4本塁打、ノーエラー、完全試合を毎回できる人間なら別だが。そんな人おらん。なのに、なぜ味方で「撃ち合い」するのか。感情的になっても何もいいことなどない。
僕に「機嫌をとってもらっている間は絶対勝てない」と試合後に話しました。自分たちで立ち上がれよ。試合をあきらめないのは監督だけじゃあかんのです。2年生が、キャプテンが、レギュラーが、ゲームに出ている者が、それぞれ自分のできることを全うするしかない。1回練習をやってできるようなら野球をやっている人は全員プロ野球選手です。自分たちで立ち上がる「練習」を、練習試合の悔しいミスの場面でやるしかないのです。ここで僕がわめきちらしたり、どやしつけても逆効果。いまある戦力、その日の調子でやるしかない。試合序盤は新鮮な気持ちだけど、ミスが続いてやる気の「鮮度」が落ちてくると、一生懸命することをやめてしまいます。味方のミスに対する攻撃で得るカタルシスは組織のガン。これがわかったときにやっと勝っていけるのだと思います。自分のミスに謙虚になり、猛反省し、練習に活かす。試合中に修正できることなどたかだか知れている。モチベーションで勝ちゲームを勝ちきれないのは力がない証拠です。今日はダメだと思うプレーは徹底的に指摘しました。甘いこと言ってたら勝てません。
「負けたら監督の責任」という言葉もありますが、責任の所在を聖域を作らず明らかにし、生徒に還元して頑張らせるのが監督の仕事だと思います。明日もゲーム。いい試合になればいいな、とか言っている間はダメ。勝てる試合は全部勝つ。負けそうな展開に押し負けず競り勝つのは、自分たちならできる、勝てると思って良いイメージでゲームを進めるしかないと思います。

2016年3月10日木曜日

「あの子」がいる空間

先日、Facebookの自分のタイムラインに投稿したものに補完してコピペいたします。
いま学校現場では、昔なら「変わった子」「何かよくわからないことをする子」「付き合い方が難しい子」などと言われて周りに煙たがられていた子をいかに集団に取り込んでいくか、ということに力を注いでいます。
「あの子、変わっているよね」と言われる「あの子」。現代では、しかるべき検査や診断を受ければ適切な関わりができるようになってきました。医療の進歩や教育的見地の成熟などがその理由です。大きな声でその言動を制止されてパニックになったり、不必要な刺激のせいで落ち着かなくなったりする「あの子」に、部活動の現場は、野球、スポーツの場面できちんと関わっているだろうか。こういう子とどのように関わり、どのように集団に取り込んでその集団を成熟させていくか。学校はいまそういうことにも気を配っております。
昨日の投稿は、教室に一定数いるであろう「あの子」が、当然部活動の現場にも存在している、ということを述べたものでした。「あの子」とは、特定の誰かではなく、「他の子とは違ったアプローチをしてやらねばならない『あの子』」という意味です。そこをおわかりいただいたうえで、以下の投稿をお読みいただけたらと思います。学校現場ではないところで野球の指導をされているみなさんのチームにも「あの子」はいませんか?
(以下転載)
時折タイムラインでも話題になる「あの子」。教室に必ずいるとなると、当然部活動の現場でも「あの子」はいる。クラスでの位置付け、居場所作りがたいへんなのはとてもわかるし、それで一年が終わっていくこともあるんやろなとも思う。部活動の空間は、野球ならグランドだろうし、バスケなら体育館。座席もないし、授業によって態度が変わるとかそんなこともない。でも、間違いないのは見ていられる時間。教室なら否が応でも目に入るし、中学校であろうが教室に教師が不在になるのは休み時間くらい。(もちろん、その休み時間以外も完全に目が行き届いているわけではありません)
目が行き届かない時間が「あって当然」の活動時間のなかで「あの子」をどう組織の中で生活させるか。この頃、これが気になって仕方がない。何かあれば当然我々顧問が駆けつけるわけだけど、そうならないためにどうするか、ということにどれだけ心を砕いているかは非常に重要だと思う。邪慳にされてもいけない。かと言って特別扱いもどうか、と。最近は特別扱いはあっていいように思っている。エコひいきではなく、特別扱い。関西でいうところの「ごまめ」(幼い子が年上の子と遊ぶときに特別扱いしてもらってリスクを減らしてもらうこと)にならない特別扱い。そこまですると今度は「あの子」の自尊心に傷がつく。組織の成熟は、技術的なところでいう「強い」とか「弱い」とかではなく、「あの子」を含めていかに自分たちで良いチームになっていけるか、良い練習ができるかということに前向きな姿勢にある。
勝ち負け、技術の巧拙に完全に埋もれてしまう「あの子」の存在。ここらを含めた組織の成熟が僕の理想です。

2016年3月5日土曜日

練習試合の中の練習

今日も良い天気でした。やっと春らしくなってきた日差し。暑いくらいでした。
今日は平野区の中学校とゲーム。大会の会場にもなるくらいの良いグランド。ウチの学校は一回り大きい内野のダイヤモンドをとればいっぱいいっぱい。投内連係や申し訳程度のバッティングはできますが、外野の中継プレー、ポジショニングの確認などはできません。お金を出して近くの球場を借りることも可能かもしれませんが、中長期的には不可能。ましてや会議があったり突発的な指導がある平日にそんな活動はできません。外野の守備がネックになります。
そんな中で、今日はたくさん外野に打たれました。向こうのクリーンナップがあっぱれで、打ち込まれて外野手は大忙しでした。青ざめて帰って来る生徒たちに「普段できない練習をさせてもらってると思って、思うようにやっておいで」と、なかば投げやりな(笑)声をかけました。練習試合のなかで練習しなさい、ということです。
どうしても生徒は勝ちにこだわるので「練習である」という視点を持てません。当然かもしれません。でも、それをこちらから提案してやり、「試す」という気持ちでプレーする、ということをウチではよくやります。こだわって練習している部分的なプレーを試合の中で試す。失敗とか成功とかではなく、やってみてどうなるか、それから考える。失敗するならやってみて、というのがモットーです。アウトになるなら前で、エラーするなら突っ込んで、打ち取られるなら振ってくる。トライに臆病になるな。これが僕が一番強調しているところ。なかなかうまくいきませんが、生徒のなかでそういう気持ちで試合に臨める子が増えてきました。
トライに貪欲に、というところでいうと、打つほうがまだまだです。勝負どころで甘い球を見逃すのが課題。たぶん本人は打席を大切にしているのでしょうが、試合の流れからいうと「違う」のです。フォアボールのあとはステイしてもいいけど、ヒットヒットの中で初球の絶好球を見逃しがちです。ピッチャーは投げる球がないからストレート。ストライク、アウトが欲しいから真ん中に集める。こういう相手の心理を鑑みず、「自分」と対戦しているわけです。いいバッターは打ち損じません。ヒットゾーンを知っているし、勝負どころがわかっているから。ピッチャーなりに、1打席目より2打席目、他のバッターがこうだから、という「線」で攻撃を考えられない。ここがまだ学習が足りないところだと思います。トライしろ!こういう声がもっとベンチで聞けるといいなと思います。
明日は東淀川区に遠征。また強いチームです。宿題がたくさん出るといいなと思います。

2016年2月27日土曜日

テスト明け初戦

今日は住之江区まで遠征。寒い朝でした。今日はテスト期間が明けての初戦。今回は練習チェック表を課してこともあって、昨日の練習もいつもに比べたら軽快でした。月曜日の清掃活動から始めた子もいて、野球部の活動とほんのりと接点を持たせたことで意識が途切れずにいられたように思います。
今日は2試合とも接戦。一つ目はエラーが、二つ目は油断がゲームを決めました。連敗。今日話したのは「自分のイメージとの差を自覚してプレーすること」。スイングしに行っているのにバットが出てこない、ボールが抜ける、一歩目が出ない。こういうのを「調子が悪い」とか「なまっている」とか言わずに、それなりにアジャストしていくことを考えさせました。この課題に関してはどの子も向き合えたように思います。
我慢。前任校はとにかくよく我慢できる子たちが特徴でした。今の学校と様子も違うし、そうなると話す言葉や接し方も変える必要がある。よく話し合える子たちなのですが、すぐに感情を出してしまう子がいる。学校の日常でいろいろ強いられている分、露見してしまうのだと思います。そことの向き合い方をもう一度、仕切り直して生徒に向き合ってもらいたく、今日はゲームを終えて話しました。自分たちでゲームを終われせるな、ということです。たとえばノックをすると、落球したり、ファンブルしたりするとプレーが止まる。実はすぐに対処すればアウトにできる、ということがノックでは自覚できていません。潔すぎる。中学生くらいなら、落としたあとに正確に送球する練習をしたらいいくらいに思います。ちゃんと受けられることばかり想定すべきでない。相手に得点されると潔く流れを相手に渡してしまう。ここが今の課題です。
まだ打つ方は課題山積みですが、守る方はちょっとイメージができてきました。これからまた練習して、僕がつけない時間をどうセルフマネジメントでやっていくか、生徒といっしょに考えていこうと思います。惜しい。もうちょっとで勝てた。この差は実は大きい。壁を破るのは一度の大きな成功体験。できるまでしんどいけど、僕にすれば楽しい時間です。

2016年2月17日水曜日

テスト期間 練習チェック表

本当は好きじゃないのですが、テスト期間中にちょっとでも野球に触れてほしくてこんなものを作りました。
テスト期間は勉強に打ち込んでほしいのと、ちょっと野球と距離を置いて気持ちをデトックスしてほしいと僕は考えています。
練習メニューは自分で考える。それで、それに評価をする。ここで生徒たちに強調したのは「ええカッコせんでええから、できなかったらちゃんと×をつけや。できなかったのを自分で振り返って『でけへんかったわ』とそれを受け止めたらええから。逆に○ばっかりのほうが難しいのはわかってるから。素直に書いてや」ということ。
何度も言いますが、本当はこんなことしたくない。でも、野球部の子たちのことがすごく気になるので、どこまでやってくれるか見てみたいというのが本音です。練習メニューは本日チェック済み。テスト期間中はノート提出をいったんストップします。月曜日(朝掃除の日)、テスト最終日に提出しなさいと言いました。毎日提出になると、緊張感はあるかもしれませんが、彼らの本当の姿が出ないかなと思いました。放置しようと思えばできる環境で、どんなふうに自分をマネジメントするのかを見てみたいと思っての試みです。
うまくいかなかってもいい。いつもはやっていないことですから。ファイルを載せてありますので、ご自由にお使いください。
(こういうシェアリング大歓迎です)

Facebookよりシェアします

こっちにもシェアします。僕のタイムラインに載せた投稿です。
今回はご縁がないかなと思っていた学校と思わぬご縁が。先日おうかがいした高校の先生にお電話しました。「先生、ウチまたおもしろいことやってるんですよー」と話が盛り上がりました。「野球部の教科書」をお送りしたのを受けて「ちゃんとファイルして、負けたらあかんと思って頑張ってます」と。年齢なんかひと回りよりもっと上の方なのに。カッコいいなと思いました。こんな野球の指導者になりたい。この先生のところで教え子がまたお世話になります。彼のおかげでまた先生の野球を見に行ける。中学校で野球部の顧問をやっていて一番嬉しいのは続けてくれること。しかも、いいなあと思う先生にお世話になってくれる。ここまでやって、やっと顧問の仕事を全うした気がします。そこまで背負う必要はないかもしれないし、時代錯誤かもしれない。でも、まだそんな文化があるうちは自分のやり方で「先生と野球がやれて良かったです」と言ってもらえるよう頑張ります。彼も引退試合のラストの野球ノートにそう書いてくれました。いろいろあるけどいいこともある。

2016年2月11日木曜日

ゲームメイク


今日はお隣のH中学校に早朝からお邪魔しました。実はM区のM中学校との練習試合をダブルブッキングしており、非常事態だったのですが、無理をお願いして3つでやることになりました。どこもインフルエンザや指導のあれやこれやで試合ができる状態でなかったとのこと。中学野球あるあるです。ともかく、2校とベストメンバーで臨む「変則ダブル」で練習試合をしました。写真はそのH中。大阪市のど真ん中にある学校なので、見事なビルの谷間にあります。こういうオフィス街に住む子もいるということです。近くのある学校の生徒はマンション暮らしの生徒のみ。そんな環境だと「野球部」という存在が貴重になってきます。
H中は大阪市の学校が有志で参加している「WBC」(ウィンター・ベースボール・カップ)の今年の覇者。確かに強い。ムードもいいチームです。エース君が故障で様子を見ながらだったのでウチとの対戦はかないませんでした。引き分け。M中は秋のブロック大会で決勝トーナメントがけで負けたチーム。こことの対戦は雪辱を果たしました。
審判部の先生がアンパイアをしてくれたので、練習試合レベルでは流されてしまうようなプレーが俎上にあがります。今日はウチが守りのときにタッグアッププレーがありました。キャッチャーがランナーの走路を妨害したということで「オブストラクション」を宣告され、本塁上でのアウトのプレーが一転、ホームインが認められました。これは勉強になりました。僕も塁審をしたときに、H中のエース君のボークをとりました。制止不十分。こういうプレーは流さず、宣告する。審判としての視野もこうしていくことで広くなると、偉い先生に教わりました。
さて本題。このシーズンで生徒に言っていることはピッチャーについてのこと。「不調を『調子が悪い』といった雑な分析にとどめるな」ということ。調子が悪いなら悪いなりにゲームメイクをするのが先発投手の役目。これを「調子が悪いので」と中身に迫ろうとしない分析で思考停止していてはうまくなりません。技術的なレベルで何が良くなかったか、ということに必ず目を向けなさいと言っています。ヒザの開きが早い、肩が外を向いていた、踏み込み位置がいつもと違っていた、など、不調の原因を必ず考えさせるようにしています。修正のポイントをわかったうえで練習に活かすためです。ダルビッシュがいつかどこかで「エースは悪いなりに試合を作る」ということを言っていました。まさしくそれ。先発投手が適当な「感想」だけで自分の結果を捉えていてはならんわけです。
一日おいて、明後日もゲーム。夕方に子どもをつれて公園に行きました。体は疲れていたけど、これくらいしてやらないと今日は父親の仕事をしていません。その日のベストを尽くすのは何事においても同じです。

2016年2月7日日曜日

初試合(今季初戦)

今日は雹がちらつくなかの初試合でした。1勝1敗。冬の成果がちょっとだけ見えたゲームでした。今日は試合中につけている手帳の記録が役に立ちました。ランナー1・3塁のケースに課題があったので、月曜からここを克服していこうという話になりました。
今年もやはりこだわりたいのでは試合中のノイズ。雑音ではなく、目に見えないタイムロスです。ピッチャーがわざわざマウンドからおりて返球をもらう、キャッチャーがわけもなく立ってピッチャーに返す、投げるまでに時間がかかる、攻守交代のときにラストバッターのヘルメットを回収したりグラブを持っていってやらない。こういう目に見えないロスが僕はとても嫌いです。試合時間が長くなると集中が切れるのは当たり前。攻撃ならまだしも、守りで長いのは全くの害悪です。ここの認識を共有していこうと強調しました。
8時過ぎに始まって、2試合が終わったのが11時過ぎ。ゲーム間のインタバルを含めてもこういう試合運びができてくると無駄な時間に対する意識が変わってくると思います。思うに「一歩目」。次の行動に移るときの「一歩目」がいかにスッと出せるか。「グランド整備!」「はい!」と返事まではよろしい。歩いてのんびりしているようでは、行動が伴っていなければ意味がないということです。言行一致。これはもっと強調して言っていくようにします。
部の決め事も今日は効き目のあったゲームでした。うまいとか下手とかではない部分の決め事。ここを簡単にクリアしてやっと野球です。技術指導はデザートのようなもの。普段の仕込みや指導者の勉強があってこそ、そこまで生徒が行き着けるのだと思います。

2016年2月4日木曜日

「個人練習」考

僕が中学校、高校のときにあまり体験がなかった個人練習。自主練と個人練習は違います。個人練習は活動の枠内で、自分で課題を見つけて練習します。いまの学校に赴任してから取り入れるようになりました。最近は練習のラスト30分は個人練習です。これからゲームが本格的に始まっていくので、実戦での課題を解消していく練習になっていくと思います。
中学生がどこまで自分の課題と向き合っているか、というのは確かに気になるところです。ウチは週1回のクラブ会議や、毎日の野球ノートで個々の取り組走りこみはみを確認しています。会議や指導でグランドにほとんど出られないときは、この個人練習の場面から、ということがあります。
「いま、これ何の練習やってんの?」と聞いたときに、必ずきちんと答えられるように。これが個人練種のルールです。グランドが狭いので走り込は校舎で。僕が作ったグランドの隅のブルペンで投げ込み。ミニボールでスイングチェック。渡り廊下でチューブ。こんな風景です。個人練習に飽きてくるとどうしても遊びになってしまう。こういうこともよくあります。でも、しっかりやれている子もいるので、ここはピンポイントで指導。「遊ぶヤツがおるから個人練習やめや」と言いたくなるのを堪えます。適切な課題を与えるのも僕らの仕事。そういう子にはその子に応じた課題を与えます。やりたい練習ではなく、やるべき練習(やらなあかん練習)に向き合ってほしいといつも話しています。
30分1パッケージ練習もなかなかうまくいってます。これで毎日始めから終わりまでグランドにいられるといいのですが。中学校の学校現場ではここが何よりもの課題になると思います。

2016年1月31日日曜日

適切な時間の感覚 〜惰性は誰のせいか〜

昨日はグランド不良で今年の初練習試合が中止。校舎でランニングとトレーニングをしました。
先日の智弁和歌山の古宮コーチの実践を取り入れ、30秒トレーニング、30秒休憩。この間隔で5種類3セットやりました。指導者講習会では5セットと紹介されたようですが、後半いい加減になってもいけないので3セット。これでもたいへんそうでした。実際は7セットくらいを軽くクリアしていくそうです。甲子園レベルはすごい。
このあと体幹トレーニングを5種類5セット。さっきは息を切らしていた子たちが次はじんわり効き目を実感していました。そのあとは個人練習に。
最近気づいたのですが、一つの練習が30分のパッケージで作れないと集中力が切れてくるということです。これが試合であれば、どこに切り換えのスイッチをもってくるかということを考えねばならない。個人練習も30分。これ以上長くなると「練習と称した」無意味な動きや、ふざけが入ってきます。ここのグループにアップされているようなどんどん勝ち進むようなチームとそのあたりが違うのかもしれませんが、こういうチームの実態をわかった上で適切な刺激が必要になります。皮肉ではなく、これが僕らの実態。ここを意識させて、フォーカルポイントを作らせたり、言葉がけを変えさせたりして対応してきます。先のサーキットしかり、適切な時間の感覚さえ持ち合わせれば、積極的な練習が持続できるようです。30分1セットの気づきは僕には大きなものでした。
ちょっと早めに上がったので、女子バレーボール部の練習を見学に。いつも熱心に活動されているのを知っていたので、思い切って見せてもらいまいした。女バレは1年生主体のチーム。これは人数の都合からです。一つのプレーに先生が解説。一枚ずつ「気づき」を重ねていくようなスタイル。ポジショニングの話は野球でも取り入れられるな、と勉強になりました。同時に、自分がバレーボール部を持ちなさいと言われたら、こうやって教えてくれる先生がいないときにどうやって生徒に指導するのかな、と考えました。最近考えている問題です。
来週も試合が続きます。生徒には実戦を意識した取り組みを提案していこうと思います。

2016年1月26日火曜日

「『クラブ会議』についての連投」

昨日ツイッターに投稿した、僕の「クラブ会議」に関するツイートです。

毎週月曜日に実施。会議の日には原則それ以外の活動は行わない。したがって制服で話し合う。議題はこちらが提供し、円形になって座る。「トーキングスティック」を用い、スティックを持たない者は発言しない。議論が散らからない工夫。(上越教育大の赤坂先生の実践をベース)

月曜日は会議の日、とすると生徒も顧問も気分の切り換えられる。生徒は普段言えないこと悩みなどを話し合えるし、何より「野球しなくていい」。矛盾するが、毎日活動していたら休みたくなるもの。そこを否定せず、ソフトランディングする形で会議という形式を提案。

顧問もリフレッシュできる日。会議で放課後実施できないときは昼休みに。放課後は自主練習(自由参加)。レギュラー、エース、4番が帰っても良い。自由参加だから。会議は普段の練習より放置できない。会議には顧問が必ず参加し、ファシリテートする。

会議を実施してから、定期的に部の課題に触れられるようになった。一方的なこちらからの申し渡しではなく、部員・顧問相互の意見交換ができる。日常からトップダウンでやっているチームはきっとすぐには運用できない。皮肉ではなく、現実的に。

グランドにペンを、というのは僕のポリシー。発言が消えていく部活動の場面で、いろんな課題を可視化していくためにはこういう場の設定は必須。プレーはボールが動いている時間しかできないが、振り返りや反省は止まっていてもできる。というより、そのときしかできない。

野球はボールがプレー中に動く時間は10分ほど。あとは準備のための動き。キャッチャーからの返球や、外野から内野に転送されるなど。間の多い野球において、この間を意識化させない手はない。ダラダラの練習は単なる惰性。惰性では上達はない。

僕は何より、顧問にとって非常に効果的だと感じている。精神衛生上、週初めはしんどい。生徒も同じ。だとすれば、無理をしなくてもいいんじゃないの?と僕は思う。会議であれば1時間ほど。これ以降は自由。僕も仕事ができるし、つけるときは濃密に指導できる。

練習量が減る。この問題は避けられないが、リスクの多い月曜日に惰性でやっているいつもの練習よりよほど効果が上がると思う。やり続けなければ勝てない、というのは一理あるが、残念ながら現行のシステムでは先生がそう抱え込みすぎるきらいがある。そんな環境ではしんどくなるだけ。

僕らはプロではない。学校でやっている、好きで集まった子たちをいっしょにやる「部活動」なのです。自分たちの自治能力を育む「部活動」を僕はやっているつもりです。連投以上です。みなさん、クラブ会議いいですよ。おすすめです。
動画や写真は載せませんが、なかなかおもしろい活動です。技術指導のバックボーンに、学校の部活動としてはいいと考えています。

2016年1月21日木曜日

生徒に聴く

昨日、トレーニングのときに思ったような活動ができず、反省点が残りました。ちょっと様子が気になっていた、2年生たちです。ミーティングのときに不十分だった「なぜそういうことになったのか」ということについて、今日どうやって反省してきているかな、と野球ノートを読みました。結果、こちらが思ったより深いところまで考えられていないようだったので、2年生はミーティング。1年生だけでグランド練習ということにしました。
今日は大きな会議だったので、話し合いの筋を伝えて2年生に場をあずけてきました。1時間半。まだ終らない様子だったので、ミーティングの場に様子を見に行くと、いろいろ考えたことが渡してあったペーパーに書いてありました。目標を見失いがちなこの時期に、注意をする存在である顧問が不在がちで、自浄作用が弱まっていたようです。もう一度気持ちを奮い立たせるべく、こちらの考えていることも話しました。同じテーブルに座り、議事録を見ながらチェックします。字を見れば誰が書いたかわかるので、「◯◯が書いてくれたんやな」というと驚いた様子。国語科の教員でもあるし、毎日君たちの字を見ているわけですから当然。字で誰かわかる、というのがヒドゥン・カリキュラムで「これはウソをつけない」と感じたようです。
話し合いで出た内容はいたってシンプル。でもこれを吐露させ、言いたいことを言い合う場を持たせることに意義を感じての今日の活動です。キャプテンが考えていることがおおよそ察しがついていたので、改めてそれも確認。野球が好きで集まっているのに、チームのために、勝つために活動をするということがぼやけていたようです。今日は僕も生徒もお互いにとってデトックスできた時間だったように思います。
明日は1年生のミーティングをするつもりです。同じ組織にいて違うことを考えているようでは困る。2年生の良くない部分だけに目がいって、先輩後輩の関係がおかしくなるのは本意ではありません。ゲームが始まってくる来週を目前にし、しっかり今の自分たちを省みさせたいと思います。
制服を着た部活動。ボールが動いている時間をいかに有意義にしていくか。ゆっくり彼らは良いチームになり、力をつけていくのだろうと今日話していて思いました。困ったときは生徒に聴く。指導者側から見えない部分は聴くしかない。良い意味でのフラットな関係がこれからの信頼関係には必要だと思います。フラットというか、指導者が生徒に対して誠意のある対応をするということです。

2016年1月9日土曜日

駅伝本番

今日は駅伝大会の本番。年末年始の休み明けから、できるだけ走るメニューはやってきたものの、2.8キロの距離をカバーするまではできていません。ここは冬の積み重ねと、生徒たちの個々のトレーニングに任せるしかない。不安がありました。

この大会は個人の部と駅伝の部があり、はじめに学年別に個人の部があります。今日で3回目の長居公園のコースでした。1走目。やはりタイムが落ちている。しかも体調を崩す子もいて、冬のある時期のいい状態とは程遠い本番となりました。駅伝大会の7名の選抜選手のなかからメンバー変更をすることになり、迷う。補欠の2年生の生徒もどうも万全でない。かと言って、次の補欠の1年生に任せていいものか。迷いました。先の個人の部では1年生のほうがタイムもよく、2年生より1年生を抜擢しようとしました。でも考えていくと、2年生の代わりに1年生というのがどうもしっくりいかない。チームとしてタイムでいくとベストは1年生。でも、いいのかこれで。その2年生に「もう『今日のベスト』でいいから、2年生が走ったり。2年の代わりは2年でやってあげーや」と言い、結局、1走のタイムでは劣る2年生に代わりを頼みました。

駅伝の部。トップのキャプテンがこの冬最高の走りを見せてくれて、2走にその代打の2年生。不安そうな顔をしています。一声かけて、待っていると、かなりのハイペースで帰ってきています。先のタイムとは比べものにならないくらいのタイムで2区を完走。ありがとうな、がんばったな。

結果的にチームの成績はトップからはほど遠いものでした。しかし、チームとしては前走より5分も縮めるタイム。見せ場はあったので、まさにウチのチームのゲームやなと思いつつ、ミーティングでそんな話をしました。2年生の意地が、今日はとてもいいなと思う場面でした。まだまだ鍛えていく部分があるので、週明けのクラブ会議で確認していきたいと思います。春までもうすぐ。

2016年1月6日水曜日

始動しました

今年の初の部活動。やっと、です。宿題チェックからスタートしました。やっぱり積み残しがある子もいて、明日も引き続き宿題に取りかからせることになりました。朝イチのチェックで終わりそうな子が大半なので明日は早出です。

メニューは10分間走、キャッチボール、トス、バント、ノックのオーソドックスなもの。テスト期間明けにやっている「リハビリメニュー」です。そのあとランダウンプレーと個人練習。ラストにロングダッシュをしました。体が重いのは重々承知のうえでの今日の練習。今日でリハビリは終わりです。時間にしたら4時間ほどの軽いものでした。

宿題をやっていない者や遅刻する者、こういう想定内にきっちりハマってしまうのがウチの課題。意識のスイッチをオンにしていくスタートだったと思います。

今年もあれこれと考えていることを発信していきます。去年は部活動の単著を出したこともあり、自分のアンテナが飛躍的に広くなりました。ここからまたやっていきます。自分たちで考えて、動き、律し、高め合えるチームになってほしいと願いつつ、理想と現実との間で頑張っていきます。

今年もよろしくお願いいたします。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...