2018年2月18日日曜日

「前任校との対戦は」


忌引で2日間、空けた。抽選会と練習試合をお願いし、今日から復帰した。僕がいないしばらくのうちにいろいろあったそうだ。つくづく、中学校の野球部の顧問の「居る教育効果」の大きさを感じる。居たらいいわけではなくて、居るからできることがあるということ。
さて、今日は前任校と対戦。2年間いっしょに学年も野球もお世話になったT先生のチーム。弱々しかった横書きの細いゴシックの字体から縦書きの太い字に変えたユニフォーム。このユニフォームに本当にたくさんの思い出があるし、ここで多くのことを学んだ。

僕がナンバー3として赴任し、3年めに監督になった。そこからY先生(この方もすごい人)、H先生(市で3位チームを指導)、T先生(市で準優勝監督)と、専門の先生が4人いた贅沢なスタッフだった。しかも年齢がほぼ同年代。たまに会うと誰かれなしに懐かしい話になったり、年齢問わずふざけあって楽しい時間が流れる。僕もこの4人体制で野球をやっていたときが最高の時間だったと自負している。それをどこかでまだ追いかけ続けている自分がいて、同じことはできないのにそれを求めてしんどくなる。やっと最近になってここが自分の中で整理され、もう一段あがった感じがする。
試合は自チームの課題がたくさん見えた。技術面、メンタルの面。中学生は失敗して当たり前。当たり前というのは諦観ではなく、心の準備として。いま書いている原稿がちょうどそのことを書いている。失敗にとことんつきあって、いっしょにしんどい思いをしたい。見どころも多くなったこのチーム。あとちょっと足りない。そのあとちょっとを精神的なものの物足りなさでまとめようと、これまではしていた。絶対そうじゃない。具体的な方法、具体的なプレー、具体的な行動。何をすればそれが解決できるのか、という簡単そうで難しいことに今まで向き合っていなかった。生徒が苦しむのは僕が勉強不足で、具体的な言葉を持っていないからだ。ここがわかってからは生徒を責めることは全くなくなった。人は弱いところに目を向けたくなる。ここの強さが必要だ。
前任校との対戦はいつも何かに気づく。あと何回するだろう。そして今の学校もいずれ前任校になり、いろいろなことを思うのだろう。
〈結果〉
H30.2.18(日) ✕ 此花
① 0−3 ●
② 3−4 ●
此花は好投手が多かった。いいチームだった。「杉本先生が作ったチームを維持するのたいへんやで」って言われたけど、もうすっかり違う素晴らしいチームだった。

2018年2月3日土曜日

「『最大の味方は努力』か」



寒いこの時期の小さな大会。今年は合同チームなので、一年の過ごし方がいつもと違う。ちょっとハードながら、ペアの他校の先生に運営を任せているのでとても勉強になる。今日、大会が終わった。
会場をお借りした北淀高校。ここも人数不足でやりくりが苦しいそうだ。いっしょにチームを組んでいる茨田(まった)高校の生徒さんと、2校の子たちが運営を手伝ってくれた。部員が100人を超えるチームもある。甲子園の選抜も近い。でも、こういう野球部も全国には珍しくない。

茨田高校の先生とは個人的にお付き合いもあり、久しぶりにじっくり話せた。話せば話すほど、こういうやりくりがしんどいチームは中学校の部活動と似ている。ハードルを下げると気がかりなことが増えるし、上げると部員が集まらない。得てして、中学校のしんどい学校の運営に実に似ている。普通の活動がしんどくなるので、手のかかる子たちは部に入ってこない。もしくは自然淘汰される。こういうのは部や学校の方針と密接に関わっており、逆にしんどい子を抱えるケースもある。そんなときは学校あげてのサポートで成り立つこともあるが、多くは「やめささないでほしい」と当事者の苦労を措いて運用される。このあたりの話題は主義主張が各人であろう。でも、当事者にとってはその日その日、胃が痛い思いをし、しかも活動日が少なくなると真面目な子も物足りなさを感じる。同僚も「野球部やのに休みが多いね」などと言わないまでもそんな空気を醸し出す。やってられるはずがない。
さて、抜群のグランドで、ダッグアウトに言葉が掲げてあった。こういうのは個人的に好きだ。毎日この言葉を見ながら活動する生徒に刷り込まれていく。大切なことだ。ウチの子たちもベンチに入ったときに、これらをじっと眺めていた。時間が経てばそれは風景になる。言葉は風景にならないためには、言い続けないといけない。僕は今日の最後のミーティングでやっぱり「カバンを揃えて置きなさい」「帰りのミーティングまでの待ち時間に片付けが終わっていなかったのはなぜだろう」と、いつも言っていることを繰り返した。こういう繰り言を言っているうちは野球の話に行き着かない。うまくなるチャンスを逃しているよ、ということを今日も言った。言い続けるのが顧問の仕事。やめるのはいつも指導者なのだ。
 いい選手である前に
 いい生徒であろう
 いい生徒である前に
 いい人間になろう
2段落目、こういうこと言っているから野球は敬遠される。いい人間になろうって、まず大人はどうなのだろうか。いい生徒を目指す。これこそ、部活動の最大の意味だと僕は痛切に思う。最大の味方は「努力」ではなく、最大の味方は「見方」なのだ。同じ景色でも欲望、関心の度合いによって引っかかる部分が変わる。その欲望や関心をどこに向けていくのか、向けさせるのかが顧問の仕事。たとえば「努力」に向けさせたいなら、なぜ努力に向かうべきなのかということを言い続けなければならない。これは途方もない仕事。だから同じことを言い続けるのだと思う。
〈結果〉
H30..2.3 住吉高校杯 3位決定戦
✕ 金岡  ○8−0 (5回コールド)
今日はウチの子が勝ち投手。センスのある子が伸び悩んでいたのでサイドスローをすすめた。やっと結実。見方を変えた結果が出た。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...