2017年3月25日土曜日

「何のための大会なのだろう」


春の大会が終わって初戦。今日は春の大会で負けたチームと対戦。公式戦のあとで、どんな様子だろうなと楽しみなゲームだった。
楽しみにしていた相手のエースがコンディションがすぐれず登板なし。これは仕方ない。でも相手校の先生との会話から、僕らが今後考えていかないといけない課題がはっきりした。
初戦に登板したあと、どうも次に投げられそうにないということで登板を回避。そうして次のゲームを落としてしまったらしい。監督としたらなんとももどかしいだろうなあという話だった。もしそれで勝ち進んでいたら、本戦の日程が4月の8日と9日。きっとここでは本調子ではない中でも登板させていただろうという話になった。きっと僕がその選択に迫られても、同じようなことを考えていただろう。そういう意味では負けてしまったので投げなくていい、彼の先々を考えると絶対望ましい結果。でも、大会で勝つためには力が必要。勝てば官軍。負けたら何もないのか。ないことはないのに、残るのは「◯回戦敗退」というレッテル。ええやん、そんなの。でもやっているときは気が付かないもの。確かに健康や趣味でやっている部活動ではない。勝てば生徒の成長も見込める。このあたり、まだ自分でも整理ができていない。まあたぶん行ったり来たりするのだろうと思う。
2試合目、久しぶりにプレートアンパイアを務めた。生徒の様子がよくわかった。こういう視点でのアドバイスも生徒にプラスになるだろうと思う。
明日から所用でちょっとしたオフ期間に入る。人数が少ないなかの活動なので、少し物足りないくらいの量でいいかと自分の中では折り合っ
ている。大会が終わったのは残念だけど、勝ち負けにばっかりこだわらずにチャレンジできる期間と考えれば、ゲームもまた楽しい。この感覚が生徒にもわかってもらえるよう、また声をかけていきたい。
(結果)
H29.3.25 対 本庄
① 0−1 ✕(7回サヨナラ負け)
② 9−6 ◯

2017年3月22日水曜日

「甲子園大会と部活動指導」(Twitter連投転載)


1 1試合に200球も投げるゲームがあっていいのかなあ。高校生ってこれからやのに。

2 甲子園で先発は100球まで、ってルールができると高校野球が変わる。たぶんプロ野球の選手生命も長くなる。ジュニア期の消耗がどれほどのものか、自覚しないと。

3 だからトーナメントに僕は否定的な感情を持っています。絶対負けられないから無理が通る。

4 ここで道理は引っ込んでるのではなく、見て見ぬふりをされているのです。

5 そんなことを言ったら、学生の野球は成立しない。学校行事はあるし、長い期間使って大会をやっていけない。だからトーナメントになる。勝たないといけないから、試合に出られる生徒が固定化される。

6 固定化されたメンバーで、レギュラーは誇りが傲りになり、補欠は言いようもない壁を感じて試合に臨む。試合に出たいけど、僕が出たら迷惑になってしまう。自分のせいで負けたら申し訳ない。

7 生徒にここまで背負わせる大会の在り方は考えもの。大会が悪いというより、野球界には特にそういう空気感が蔓延しているように思う。

8 トライに消極的になり、ミスに感情的になる。成功に鈍感になり、失敗に敏感になる。

9 できて当たり前。僕はできなくて当たり前、できたらラッキーくらいに思っている。

10 失敗とうまく付き合うのが野球。実は野球だけじゃなく、大人になったらあれもこれも日常は失敗とどう向き合うか。「失敗をそのままにするのが本当に失敗」というのに懐疑的。そのままにしたくなる、見たくもない育て方を大人はしていないのか。

11 ファンブルして次のプレーをやめる。ファンブルしてはいけない、と思ってしまうムードこそ問題。

12 「試合」=「ゲーム」、「プレー」=「遊ぶ」。そういうことにもっと目を向ける部活動にしていきたいと思って日々やっています。

13 今日、帰りのミーティングでこんなことを話した。ウチは人数が少ない。だから土日の連戦はポジションによったらかなりの負担になる。もし休みのどっちかしかゲームができなくても、そういうことを考えて組んでいくつもり。もし雨で中止になったら?その次の週まで待とうや。

14 試合をどんどんしたい子にとれば物足りないかもしれないけど、ウチの現場を考えたらそれがベストやからそうしていくよ。というような話。

15 部活動の顧問を拒否するのも一手。僕は自分のサイズ、方針に合わせてもらって、これでいいならいっしょにやろうぜ、というやり方。

16 迎合じゃなくて、こういうやり方ですよ、という意思表示です。

17 野球は生活の一部であって、生活ではない。生徒も同じなのに、なぜ顧問は後者の姿勢を求めるのか。

寛容と迎合のあいだ。
美談は角度が変わると過酷な物語。

2017年3月21日火曜日

「毎日書くことの有用性〜リフレクションの大切さについて〜」

生徒が書いてきた野球ノートを読む。大きな試合は勝っても負けても収穫が多いので、どんな言葉をつむいでくるか楽しみだった。みんな冷静にリフレクションをし、次のことを書いていた。正直なところ、安心した。部活動でもリフレクションが大切だと感じた。毎日だとどうも惰性になりがち。僕はこれ惰性と思わず、リフレクションの素地の育成のために貴重な営みだと思っている。指導者はすぐに「量」を求める。少ししか書けていなかったら、すぐに「熱意がない」やら「やる気に欠ける」やら。そうじゃなくて、そんな日もあるとこちらが受け入れたら、しっかり振り返るべきときに思わぬ言葉がつむがれる。いかに自分の活動にあとからアプローチできたか。そんなものしなくても明日は来る。でもその明日、次をどう迎えるか。穏やかに笑える部の子たちを見てホッとした。

朝に僕が作ったリフレクションからまとめたシートをサイドカットして提示した。また明日から。授業や学年は終わりに近づいているけど、部活動は年度をまたいでも連続していく。ここの過ごさせ方も生徒を育てていくのに大切な視点。また頑張ります。

2017年3月20日月曜日

「2回戦、そのあと」

連休の初日、延長サヨナラで負けた。なかなか切り換えができなくて、時間がかかった。残りの2日間はオフに。すぐに練習を始めたほうがいいという人もいれば、しっかり充電という人も。僕は休みたかったのでオフにした。責任を感じたけど、残りのチャンスを活かすことに時間をかけていこうと、やっと思えるようになった。
相手は自分の中学時代の恩師。なかなか勝てない。公式戦であたるのは2回め。勝つことが恩師孝行だと思ったのに、僕の未熟さが出た。試合後に真剣に勝負の分かれ目について会話をした。たぶんこうやって話してもらうのは初めてだったかもしれない。
今日、大学時代の友人が監督をする西宮南高校にお邪魔した。相手は東海大仰星高校。僕が初めて教師として勤めた学校。ご縁あって、二つの学校がゲームをするということでうかがった。
西宮南高校のベンチ裏にこそっといた。監督の彼がどんな声かけをするか。それを見てほしいと言われ、おもしろく拝見した。彼の声のかけ方が浸透しているように見える。誰もネガティブなことを言わない。打ち損じても、打たれても、ミスが有っても「OK!」。もう結果が出ているのでどうこうできない。できないのに、さっきはこうだったとか拘泥して目の前の現象についていけない。僕もよくあるし、中学生のゲームでもよくある。
高校生だから監督の彼の姿勢が腑に落ちたときに徹底して実践できるようにみえるけど、僕は中学生にはない難しさがあると考える。きっとかなりの時間と現象の積み重ねがあるのだと思う。
ベンチで監督がずっと動いている。おもしろい声をかけている。相手は強豪校。でも自分たちのやるべきことをやっている。やるべきことというか、やれることをやろうとしている。それが結局やるべきことになっていくのだろうと見えた。うらやましいムードだった。
仰星の監督さんにも声をかける。もともとは僕と同じ業界の先生。ちょっとだけこっちの側のベンチの裏にも居たけど、いろいろと違った。そうかー、と気づいたことがあった。収穫だった。
明日の朝、生徒を集めている。ちょっと話したいことができたのでレジュメを作った。僕は生徒に「何を考えているか」ということをあまり話していなかったように思う。ちょっとの時間だけど、クラスと同じで、理解してくれる生徒を一人でも増やしたい。そうやな、と思っている子に自信を持って振る舞えるようにしたい。僕は、自分が考えていることを理解してもらうためには人数分の回数話さないといけないと思っている。それでもかなうかわからない。技

術の巧拙で、試合の結果で生徒の人間関係やチームのムードが変わっていくのは悲しい。だからそこは監督である、顧問の先生の仕事なのだと思う。強い学校でもウチみたいに負けたところがある。顧問の仕事は険しく、実にたのしい。ここから。
(結果)
H29.3.18 春季総体 2回戦
対 八阪 1−2(延長サヨナラ) ✕

2017年3月16日木曜日

「外部指導者と顧問」

いよいよ外部指導者が、本格的に部活動の指導に従事できるようになる。これは僕は朗報だと考える。これだけ教員の仕事の負担増が話題になっていて、何も救済措置がないのは問題。これでホッとできる先生は多いはず。休日の活動、大会の引率の権限ももてるという。ここではっきりと線が引ける。
ただ、僕は一方で違うことを考える。
顧問の先生の立ち位置はどうなっていくのだろう。前々から、僕は「やってもやらなくても、どっちでもいい」という制度設計は教員にとっては踏み絵になると言ってきた。「あの部は先生が見ているのに、ウチは違う」みたいな、そんな周囲の目といかにつきあっていくかに思い至る。やっていないことが、熱意の有無の判断材料になってしまうということ。ここはシステムがうまく浸透していくことを願う。
もう一点。教員養成段階で、しっかりとした部活動指導論を取り込んでいくべきだと考える。中学校、高校の先生の仕事のなかで、現行のシステムでどうやっていくかについてほぼ丸腰で現場に立つことになる。学級経営と同じくらいに、部活動指導、部活動経営は難しい。しかも、ほとんどお手本もなく、競技性、専門性の延長線上で部活動が行われているのが実情。野球はこう、サッカーはこう、吹奏楽はこう、文芸部はこう。「俺はこう教わってきた」「休み? そんなの与えたら何をしでかすかわからない」という風潮が今も現場では根強く残る。今日的な部活動指導がもっと研究、開発されていくことが求められている。
いたずらに外国の制度やコーチングの理論を取り入れて、というのではない。日本で脈々と続いてきた部活動指導の流れをふまえた、今日的な指導法、経営法。そういうものが外部指導者についての制度設計がなされる一方で、しっかりと開発されていってほしい。
最近でこそ「部活動指導」を謳った書物が見られるようになった。お叱り覚悟でいうと、その多くは現場発のものではない。いま実際に従事している人からの調査や取材のもと、構成されたものがほとんど。これで救われる人がいればいいが、その効果については今後しっかりと現場や研究者が精査していかねばならない。「で、結局どうすればいいの?」について、きちんとした答えを出せているのか。個々の事象から理論を抽出したものも、指導法、経営法を考えていくなかで出てこないといけない。「休んだほうがいい。こういう先生もいる。こういう法律もある」という「ありがたい主張」に「それはわかっているんですよ、でも……」となってしまう、本当にしんどい人が救われる一手。現場と研究者、(この言葉は好きではないが)有識者が必死に考えていかないと。今日も苦しい人はいる。明日の部活動で、先生たちが救われる、やりやすくなる方法。実は大切なのは方法じゃなくて、考え方だと思っているのだが。これについては、いずれまた書きたい。
外部の力を借りるという施策はひとつ発信された。次は、中がどう変わっていくか。仕事が増えていくようなものではなく、現場の先生が本当にやっていけるようなもの。養成段階の学生、初任者、若手がうまく部活動指導をやっていくには。授業には指導案がある。学級経営には先人の知恵が文献、資料、書物に残っている。部活動にせっかくスポットが当たってきたのだから、学校の先生の仕事としての部活動指導をどうやっていくか。そもそも、これは仕事ではないという声には積極的に外部の力を借りていけばいい。でも、教育効果を考えていくときに、先生が従事する部活動指導は僕は捨てがたいと思う。捨てがたいというか、残っていってほしい。苦行としての部活動指導はもう時代の要請ではない。
次はどうなるのか。上から降りてくるのを待つのではなく、現場にいる一人として、発信していきたい。熱心な研究者の先生もいらっしゃる。対立構造でとらえるのではなく、せっかくなのだから一緒に考えていけばいいと思う。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170315-00050054-yom-soci

2017年3月12日日曜日

「1回戦」

やっとこの日を迎えた。朝早くのゲーム。この時期、朝昼夕の気温差が激しい。生徒の体のことが気になる。
今日は後攻。序盤に加点して、楽ではないけど優位に試合が進められた。緊張を緩和させる方法って、どうすればいいのか。暗示のように、みんなで同じキーワードでやっていくしかない。今日もそれを言い続けた。1回戦、なんとか突破。
次の試合は来週土曜日。土日と連戦の可能性も。コンディションとモチベーションを整えて次に臨みたい。明日はオフ。ウチのペースで週末にむけて調整していきます。

(結果)
H29.3.12 春季総体 1回戦
対 北稜 6−0 ◯

2017年3月5日日曜日

「大会直前でやはり思うこと」



























土日のゲーム。どちらも港区、最寄り駅が同じ学校とのゲーム。
昨日は野暮用で午前中バタバタと走り回って午後から。着いてすぐ、バックネットに「常勝校の条件」というのが掲げてあった。ネットではこういうのが出回っているらしい。あれこれとおもしろいことが書いてあった。でもウチとはちょっと毛色が違うなあ、と思って眺めていた。この日、久しぶりに塁審に入った。さすがにもうプレーはできないけど、フィールドに入って生徒のすぐそばで声をかけられるのはいい。ルールの勉強にもなった。外と内ではずいぶんと違う。たくさんヒットが出て、みんなの良い顔が見られた。
今日は早朝から。アクシデントでちょっと出るのが遅くなったけど、無事2試合ができた。朝の試合はいい。午後も有意義に使えるし、野球もできる。僕は午前の活動が理想だと思っている。今日はいいところと課題がたくさん見えた。これも収穫。
昨日も今日も、やっぱり顧問の先生との話から何かと考えることが多い。「気持ちが大切」という言葉。これが特に野球の現場では独り歩きして、野球をすること=修業、みたいな発想が往々にしてあると感じる。野球も生徒の生活の一部。確かに、野球の時間が多くなってほしい。でもそれを強いること、それを受け容れないことを根性がないなどと一蹴してしまうこと、そういう向きが非常に強い。なぜ部活動の顧問は毎日の活動にずっとついてやれていないのに、生徒に完璧を求めてしまうのか。これは昨日今日の学校の顧問の先生の話ではなくて、一般論。僕もやはりそういう気持ちがどこかにある。
野球だけじゃないのか、こういうのは。野球人口が減っているのに、野球界だけやり方考え方を変えないままでいいのかと思う。バントなし、サインなし、変化球なし、こういう野球の試合があってもいいと思う。でも今は大会前。そういうことは言ってられない。なぜ言ってられないのか。僕はまだこのあたりをウロウロしている。大会になった途端に練習試合でもやっていないような慎重な動きをしてしまう。なぜか。負けたくない。なぜか。ここにまだ僕の弱さがある。
明日は自主練習の日。僕は今日試合を終えたあと、生徒に「積極的に休みなさい」と言った。大会前だからやるのではなく、大会前だから休ませる。自分でストレスマネジメントをしてもらいたい。僕も土日仕事をためたままでちょっと詰まり気味。そこまで切羽詰まってもいいことがない。やらないという活動。技術論に偏重していくのは異常なまでの勝ちへの執念。そういう世界があってもいい。きっとそういう競争の社会が生徒にもいずれ待っている。でも単に、僕がそれをここでやらないだけ。自分がいま何をしなければいけないのかに気づく、ということを僕が関わる部活動では勉強してほしい。結果だけで評価するな。多くの場合は、ダメなときにどう向き合っているかで評価される。勝っても負けても、結果だけしか興味ない人にならないように。そのへんは世の中うまいことなっていると思う。
そんなことをこの2日間に考えた。すっかり夜明けが早くなりました。
(結果)
H29.3.4 対 港
① 11−0 ◯
② 13−0 ◯
H29.3.5 対 港南
① 2−0 ◯
② 6−4 ◯
これにて大会前の練習試合終わり。来週の日曜日が初戦です。無事に1回戦が迎えられますように。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...