2021年11月19日金曜日

高校版 修学旅行に行ってきた


二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。

ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉を伝えようと企画した。みんなが彼の姿を見てそうしたいと。レク大会は大成功で、みんなほっこりした。サプライズも大成功。彼は大泣き。僕も泣けた。この仕事の、中学校の先生の仕事の良さを実感した。

就寝の点呼に回ったとき、部屋の子が「あいつずっと泣いているんです」と教えてくれた。泣けた。僕の教師としての修学旅行デビュー戦。最高の時間だった。(次の朝、見事に杉本は寝坊して学年主任の先生に怒られるのですが…笑)

今回、高校教師として修学旅行に引率した。僕は担任もないし、写真を撮ったり、主任、副主任、担任の先生方をお手伝いする役目。要領がわからないから、周りを見渡して教えてもらいながら。やっぱり、高校生の修学旅行は違った。

「苦労話合戦」の中学校の修学旅行の引率とは違って、高校生の良さを堪能できた。授業に行っていないクラスのバスに乗り、ついでに誕生日だった自分を祝福してくれた。みんなが楽しめた行事。写真の整理をしていても、良い表情だった。

ここで小休止。思考の整理をしたい。

時間を経るごとに「中学校より」「中学では」と比較している自分がいる。政治家やプロアスリートでもそうだけど、離れると途端に饒舌になる。利害がなくなるからか、割と気軽に批判めいたことも言える。実態を赤裸々に。いとも簡単にそんなことができる。当事者の苦しみを知っているくせに、それを批判、非難めいた論調で声高々に主張し、これみよがしに持論を展開する。他でそんな人がいれば辟易するのに、自分もそんなことをしている。

当事者が語れないことを笑うな。その場で咲け。

少しく経験がある者や聞きかじった人ほど言いたがる。僕も僕で、自分の経験なんか何の積み上げもないのにわかったことを言いたがる。OSの見直しを大いに感じた。

「どうせつまらないだろう」と思った最終日の水族館がすごくよかった。どこに行っても生徒は楽しめる。去年コロナで青春をめちゃくちゃにされたクラスの子たちが、修学旅行で見せたあの姿。評論家でなくプレーヤーでいること。

良い時間でした。

2021年11月9日火曜日

オープンハイスクール


 今日から2日間、オープンハイスクール。去年まで送り出す、お世話になるほうだったのに、なんか不思議な感覚。感慨もある。

おかげさまでかなりたくさんの中学生と関係者の方が来られているようで、僕も明日案内係と授業を担当する。

放課後は部活動見学。寒い中、遠いところから来てくれていたり、最後までいてくれたりと、充実したものになった。来てくれた生徒さんたちが今日のウチの部の様子を見て、ウチの学校に行きたいなと思ってくれる一因になったらうれしい。

今日をきっかけに「行きたい」と思う人もいれば「ガッカリや」という人もいるはず。これだけはご縁の話になる。縁のある方と良い時間を過ごしたい。

今日3年生の選択の授業でフィナンシェを作った。桜の時期には造形を。

高校で勤めるのは本当に楽しいです。

2021年11月5日金曜日

最良の生徒指導は「親切」


漢文の授業で書き下し文をする時間になった。屈原の「漁夫辞」。文学史と作者の紹介、5月5日との関連性を話して、後半はこういう活動の時間。

何もしない生徒がいる。

みなさんならどうしますか。

よくあるのは教卓(教壇)から「おい、手が止まってるぞ」「なにサボってるねん」とやりこめるやり方。これをご覧になっている方はきっとそういう接し方はしないと思うけど、いまだにそういう声かけ(と言っておこう)があることに驚く。

生徒の気になる動きがあれば、近くに言って声をかける。これでおおかた変な受け止められ方にならない。

「なんでやろ。あの子もこの子もやってない」と思ったので、しばらく観察。わかった。

もし、ノートがなくなって今作業がストップしているなら、ここに余っているプリントあるから、裏に書いてノートに貼るといいよ。必要な人は取りにおいで。

懸案の生徒たちがこぞってきた。単にノートがなくなっていただけだった。

「それならそうと、自分から言いに来たらいいのに」というのは確かにあるけど、そういうのはもう横において、生徒ができる環境を提供できるならそれでいい。不自由して工夫するのもひとつ。でも、それを見取って声をかけるのは先生。高校生に? それでいい。正しいか親切なほうか、迷ったら後者。「Wonder」という小説の一節を実践し続けている。生徒の手が動くなら、別に僕はこういうのは気にしない。時間がかかる場合もある。でも、自分で手と頭と動かすほうを選びたい。

今日は模試だった。みんな、志望校はどこと書いたのだろう。お世話になった人に、余裕があるときは周りの人に、自分の近い人に、親切にできる大人になってほしいなと、つくづく思います。




2021年11月3日水曜日

Be My Eyes

 3年生の選択の授業で視覚障がい者の方からお話をうかがった。

その中で、「これだけ便利になった時代で、よかったことと逆に困ったことを教えてください」と質問した。

困った話はこうだった。駅で点字ブロック上を歩いているときに歩きスマホをしている男性とぶつかったそう。そのときにその男性のスマホが落ちたらしく、どうやら傷がいったらしい。「何してるねん! どないしてくれるねん!」とかなりやりこめられたそうで。これだけでも十分悲しいのに「こういうときのための保険があるんです。不慮で壊したり傷つけたりしたときに保障してもらえるもので」というのを聞き、それも弁済しないといけなのだな、許してもらえるっていうのは甘いんだなと、じわじわとつらくなった。

結局話し合いは平行線で、弁償しますという話をしたら「もうええわ!」とすごい剣幕で帰っていったらしい。これは現実の話。

聴いていた生徒が「そういう場面に出くわしたときは、仲裁に入ったほうがいいのでしょうか」と質問した。勇気ある子だなと思った。「そういうときに、特に私たちのような者は状況がわからないから入ってもらえると非常にありがたいです」とおっしゃった。「たいてい、そういうトラブルになったらみんな素通りです。今回もそうでした。私たちは一人では困ることが多いので、入ってもらえると大体は「もうええわ」とその場を去ってくれるケースが多いです」と。これは仲裁というか、なんとかその場を平穏に、しかも障がい者側が「折れる」形で一応の解決とする話。僕たちはそんな世間を生きているのだなと思った。

よかった話。スマホの普及は一気に生活を変えたという話だった。iPhoneは音声でいま何のアプリを使っているか知らせてくれる機能がある。僕もiPhoneを使って長いが、知らなかった。僕の知っていることなんかほんの一部。その中で「Be My Eyes」というアプリを知った。これは視覚障がい者が何かお手伝いをお願いしたいときに、ここにエントリーしたボランティアがそれに応えるというものだ。「あなたの目になる」というアプリ。お話を聴いているときにすぐインストールした。全世界で530万人のボランティアがいて、35万人の視覚障がい者が登録している。圧倒的にボランティアのほうが多いが、障がい者ご自身がこのアプリを知らない人が多いとのことだった。

「本当にこれ助かるんです」ということで、改めて知らないことが多いなと思った。「あなたの目になる」というのは、ちょうど人の話を聴くのと同じことだ。あなたが見たことを、私がまた体験することになる。人の話というのはそういうもの。

僕にとっても貴重な時間となりました。

2021年10月30日土曜日

2勝目

今日は練習試合。2チーム来ていただいてのゲームでした。

練習試合は自分を試す場と言いながら、目の前の結果に一喜一憂してしまうもの。そういう「憂い」と正しい方向に向けるのが監督の仕事だ。今日はできたかな。

練習試合をしていて好きなのは、応援に来てくださった保護者の方との会話。何気ない会話から彼女たちの行動の根拠が見えることもあり、僕は野球部を見ているときからけっこうこの時間を大切にしてきた。選手としての生徒、我が子としてのあの子。このすり合わせは貴重な時間。顧問は勝っても負けても一番のファンでないと、というのが僕の持論。これは僕の本でも書いた。

偶然、今日は試合会場にウチの野球部も来ていた。生徒が僕に気づいてあいさつしてくれた。1試合目のあと。いつも制服を来たり、練習着を着ている子たちがかっこいいユニフォームで、いろいろと話してくれる。貴重な時間。

「勝ったんか?」「ウチは0−11で負けたから偉そうに言われへんのやけど」そんな他愛のないやりとりをした。それに気づき、野球部の保護者の方ともお話ができた。貴重な時間。

2試合目、最終回に一気に大量得点をとって逆転勝利だった。最後の守り、勝ちたい気持ちが強すぎて守りに入った。こうなると固くなる。やっぱり失点したのでそれをみんなに話した。

今日はメンバーが少ない中、いつもベンチにいる子がフル出場だった。「めっちゃ楽しかったです」「こわかったです」悲喜こもごも。僕は楽しかったけど。

やっと2勝目。みんなうまくなってきているし、僕も求めたいことが増えたきた。またみんなと頑張ろう。あたたかくソフト日和、野球日和の一日でした。

2021年10月29日金曜日

わかった人ほど語れない

 3年生の選択の授業で手話の授業をやってきた。まとめの位置づけで、僕が担当した。(ペアでやっている授業です)

前任校では聴覚支援学校と近かったご縁もあって、1年生が毎年交流行事をやっていた。当時のエピソードや写真を交えながら、聴覚障害者について自分が知っている話をした。6回も授業をやれば興味をこえた感情を抱く。「おもしろい」のあとの感情。大事なのはここからだと思う。

最後に大阪市で起きた、生野特別支援学校の生徒の事故について話した。ポジティブな話のあとに「我々はそういう社会を生きているのだ」と、しっかり考えてもらうために。事故で我が子を失った両親が民事で起こした訴訟。その内容が看過できないものであった。

2021年10月28日木曜日

もう過去の人なのに

もう自分の居場所ではないのに、自分がまだそこには必要な存在だ、求められている人だと勘違いしてしまう。何度かそういう思いをしたことがある。

初任校を転勤して、ある席に招待された。つい数ヶ月前まで一緒にいたのに、行ってみれば簡素なものだった。かつての仲間が声をかけてくれるけど、もうすっかり僕は過去の人。懐かしいメンバーと楽しい時間を過ごせると思ったら単に置き物みたいに、隅にいるだけだった。さすがにヘソを曲げて帰りはしなかったけど、これなら来なかったら良かったと席の途中で思った。自尊心が挫かれた。そもそも自分は何者でもないのに。

野球でもあった。ねぎらいの電話、時間を割いての訪問。喜んでもらえると思ってやってみたのに、ほとんど無反応。そもそも相手のためにやっていることではないから、それは仕方がないことだ。それなのに、失意で帰路につくのはなぜだろう。

「近くに行くから」と連絡があった恩師。久しぶりに会えると思って、休みを頂いてそこに行ったのに、話したのは数分。あれ、このために?

過去の人でしかない自分と、いまいる場所の自分と。連絡がないくらいが忙しい証拠で、元気な証拠だと昔から言う。

過去のあれこれを後生大事に持ち続けるのは愚かだと、そろそろ気づかないといけない。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...