2021年11月19日金曜日

高校版 修学旅行に行ってきた


二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。

ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉を伝えようと企画した。みんなが彼の姿を見てそうしたいと。レク大会は大成功で、みんなほっこりした。サプライズも大成功。彼は大泣き。僕も泣けた。この仕事の、中学校の先生の仕事の良さを実感した。

就寝の点呼に回ったとき、部屋の子が「あいつずっと泣いているんです」と教えてくれた。泣けた。僕の教師としての修学旅行デビュー戦。最高の時間だった。(次の朝、見事に杉本は寝坊して学年主任の先生に怒られるのですが…笑)

今回、高校教師として修学旅行に引率した。僕は担任もないし、写真を撮ったり、主任、副主任、担任の先生方をお手伝いする役目。要領がわからないから、周りを見渡して教えてもらいながら。やっぱり、高校生の修学旅行は違った。

「苦労話合戦」の中学校の修学旅行の引率とは違って、高校生の良さを堪能できた。授業に行っていないクラスのバスに乗り、ついでに誕生日だった自分を祝福してくれた。みんなが楽しめた行事。写真の整理をしていても、良い表情だった。

ここで小休止。思考の整理をしたい。

時間を経るごとに「中学校より」「中学では」と比較している自分がいる。政治家やプロアスリートでもそうだけど、離れると途端に饒舌になる。利害がなくなるからか、割と気軽に批判めいたことも言える。実態を赤裸々に。いとも簡単にそんなことができる。当事者の苦しみを知っているくせに、それを批判、非難めいた論調で声高々に主張し、これみよがしに持論を展開する。他でそんな人がいれば辟易するのに、自分もそんなことをしている。

当事者が語れないことを笑うな。その場で咲け。

少しく経験がある者や聞きかじった人ほど言いたがる。僕も僕で、自分の経験なんか何の積み上げもないのにわかったことを言いたがる。OSの見直しを大いに感じた。

「どうせつまらないだろう」と思った最終日の水族館がすごくよかった。どこに行っても生徒は楽しめる。去年コロナで青春をめちゃくちゃにされたクラスの子たちが、修学旅行で見せたあの姿。評論家でなくプレーヤーでいること。

良い時間でした。

2021年11月9日火曜日

オープンハイスクール


 今日から2日間、オープンハイスクール。去年まで送り出す、お世話になるほうだったのに、なんか不思議な感覚。感慨もある。

おかげさまでかなりたくさんの中学生と関係者の方が来られているようで、僕も明日案内係と授業を担当する。

放課後は部活動見学。寒い中、遠いところから来てくれていたり、最後までいてくれたりと、充実したものになった。来てくれた生徒さんたちが今日のウチの部の様子を見て、ウチの学校に行きたいなと思ってくれる一因になったらうれしい。

今日をきっかけに「行きたい」と思う人もいれば「ガッカリや」という人もいるはず。これだけはご縁の話になる。縁のある方と良い時間を過ごしたい。

今日3年生の選択の授業でフィナンシェを作った。桜の時期には造形を。

高校で勤めるのは本当に楽しいです。

2021年11月5日金曜日

最良の生徒指導は「親切」


漢文の授業で書き下し文をする時間になった。屈原の「漁夫辞」。文学史と作者の紹介、5月5日との関連性を話して、後半はこういう活動の時間。

何もしない生徒がいる。

みなさんならどうしますか。

よくあるのは教卓(教壇)から「おい、手が止まってるぞ」「なにサボってるねん」とやりこめるやり方。これをご覧になっている方はきっとそういう接し方はしないと思うけど、いまだにそういう声かけ(と言っておこう)があることに驚く。

生徒の気になる動きがあれば、近くに言って声をかける。これでおおかた変な受け止められ方にならない。

「なんでやろ。あの子もこの子もやってない」と思ったので、しばらく観察。わかった。

もし、ノートがなくなって今作業がストップしているなら、ここに余っているプリントあるから、裏に書いてノートに貼るといいよ。必要な人は取りにおいで。

懸案の生徒たちがこぞってきた。単にノートがなくなっていただけだった。

「それならそうと、自分から言いに来たらいいのに」というのは確かにあるけど、そういうのはもう横において、生徒ができる環境を提供できるならそれでいい。不自由して工夫するのもひとつ。でも、それを見取って声をかけるのは先生。高校生に? それでいい。正しいか親切なほうか、迷ったら後者。「Wonder」という小説の一節を実践し続けている。生徒の手が動くなら、別に僕はこういうのは気にしない。時間がかかる場合もある。でも、自分で手と頭と動かすほうを選びたい。

今日は模試だった。みんな、志望校はどこと書いたのだろう。お世話になった人に、余裕があるときは周りの人に、自分の近い人に、親切にできる大人になってほしいなと、つくづく思います。




2021年11月3日水曜日

Be My Eyes

 3年生の選択の授業で視覚障がい者の方からお話をうかがった。

その中で、「これだけ便利になった時代で、よかったことと逆に困ったことを教えてください」と質問した。

困った話はこうだった。駅で点字ブロック上を歩いているときに歩きスマホをしている男性とぶつかったそう。そのときにその男性のスマホが落ちたらしく、どうやら傷がいったらしい。「何してるねん! どないしてくれるねん!」とかなりやりこめられたそうで。これだけでも十分悲しいのに「こういうときのための保険があるんです。不慮で壊したり傷つけたりしたときに保障してもらえるもので」というのを聞き、それも弁済しないといけなのだな、許してもらえるっていうのは甘いんだなと、じわじわとつらくなった。

結局話し合いは平行線で、弁償しますという話をしたら「もうええわ!」とすごい剣幕で帰っていったらしい。これは現実の話。

聴いていた生徒が「そういう場面に出くわしたときは、仲裁に入ったほうがいいのでしょうか」と質問した。勇気ある子だなと思った。「そういうときに、特に私たちのような者は状況がわからないから入ってもらえると非常にありがたいです」とおっしゃった。「たいてい、そういうトラブルになったらみんな素通りです。今回もそうでした。私たちは一人では困ることが多いので、入ってもらえると大体は「もうええわ」とその場を去ってくれるケースが多いです」と。これは仲裁というか、なんとかその場を平穏に、しかも障がい者側が「折れる」形で一応の解決とする話。僕たちはそんな世間を生きているのだなと思った。

よかった話。スマホの普及は一気に生活を変えたという話だった。iPhoneは音声でいま何のアプリを使っているか知らせてくれる機能がある。僕もiPhoneを使って長いが、知らなかった。僕の知っていることなんかほんの一部。その中で「Be My Eyes」というアプリを知った。これは視覚障がい者が何かお手伝いをお願いしたいときに、ここにエントリーしたボランティアがそれに応えるというものだ。「あなたの目になる」というアプリ。お話を聴いているときにすぐインストールした。全世界で530万人のボランティアがいて、35万人の視覚障がい者が登録している。圧倒的にボランティアのほうが多いが、障がい者ご自身がこのアプリを知らない人が多いとのことだった。

「本当にこれ助かるんです」ということで、改めて知らないことが多いなと思った。「あなたの目になる」というのは、ちょうど人の話を聴くのと同じことだ。あなたが見たことを、私がまた体験することになる。人の話というのはそういうもの。

僕にとっても貴重な時間となりました。

2021年10月30日土曜日

2勝目

今日は練習試合。2チーム来ていただいてのゲームでした。

練習試合は自分を試す場と言いながら、目の前の結果に一喜一憂してしまうもの。そういう「憂い」と正しい方向に向けるのが監督の仕事だ。今日はできたかな。

練習試合をしていて好きなのは、応援に来てくださった保護者の方との会話。何気ない会話から彼女たちの行動の根拠が見えることもあり、僕は野球部を見ているときからけっこうこの時間を大切にしてきた。選手としての生徒、我が子としてのあの子。このすり合わせは貴重な時間。顧問は勝っても負けても一番のファンでないと、というのが僕の持論。これは僕の本でも書いた。

偶然、今日は試合会場にウチの野球部も来ていた。生徒が僕に気づいてあいさつしてくれた。1試合目のあと。いつも制服を来たり、練習着を着ている子たちがかっこいいユニフォームで、いろいろと話してくれる。貴重な時間。

「勝ったんか?」「ウチは0−11で負けたから偉そうに言われへんのやけど」そんな他愛のないやりとりをした。それに気づき、野球部の保護者の方ともお話ができた。貴重な時間。

2試合目、最終回に一気に大量得点をとって逆転勝利だった。最後の守り、勝ちたい気持ちが強すぎて守りに入った。こうなると固くなる。やっぱり失点したのでそれをみんなに話した。

今日はメンバーが少ない中、いつもベンチにいる子がフル出場だった。「めっちゃ楽しかったです」「こわかったです」悲喜こもごも。僕は楽しかったけど。

やっと2勝目。みんなうまくなってきているし、僕も求めたいことが増えたきた。またみんなと頑張ろう。あたたかくソフト日和、野球日和の一日でした。

2021年10月29日金曜日

わかった人ほど語れない

 3年生の選択の授業で手話の授業をやってきた。まとめの位置づけで、僕が担当した。(ペアでやっている授業です)

前任校では聴覚支援学校と近かったご縁もあって、1年生が毎年交流行事をやっていた。当時のエピソードや写真を交えながら、聴覚障害者について自分が知っている話をした。6回も授業をやれば興味をこえた感情を抱く。「おもしろい」のあとの感情。大事なのはここからだと思う。

最後に大阪市で起きた、生野特別支援学校の生徒の事故について話した。ポジティブな話のあとに「我々はそういう社会を生きているのだ」と、しっかり考えてもらうために。事故で我が子を失った両親が民事で起こした訴訟。その内容が看過できないものであった。

2021年10月28日木曜日

もう過去の人なのに

もう自分の居場所ではないのに、自分がまだそこには必要な存在だ、求められている人だと勘違いしてしまう。何度かそういう思いをしたことがある。

初任校を転勤して、ある席に招待された。つい数ヶ月前まで一緒にいたのに、行ってみれば簡素なものだった。かつての仲間が声をかけてくれるけど、もうすっかり僕は過去の人。懐かしいメンバーと楽しい時間を過ごせると思ったら単に置き物みたいに、隅にいるだけだった。さすがにヘソを曲げて帰りはしなかったけど、これなら来なかったら良かったと席の途中で思った。自尊心が挫かれた。そもそも自分は何者でもないのに。

野球でもあった。ねぎらいの電話、時間を割いての訪問。喜んでもらえると思ってやってみたのに、ほとんど無反応。そもそも相手のためにやっていることではないから、それは仕方がないことだ。それなのに、失意で帰路につくのはなぜだろう。

「近くに行くから」と連絡があった恩師。久しぶりに会えると思って、休みを頂いてそこに行ったのに、話したのは数分。あれ、このために?

過去の人でしかない自分と、いまいる場所の自分と。連絡がないくらいが忙しい証拠で、元気な証拠だと昔から言う。

過去のあれこれを後生大事に持ち続けるのは愚かだと、そろそろ気づかないといけない。

2021年10月27日水曜日

ノート点検は必要か


高校生に授業をするようになり、ノート点検の意味を考えるようになった。中学校では1年生のノートはまだまだ整理できていない。日を追うごと、年を経るごとに自分で整理できるようになり、だんだんと見返せるようになっていったものだ。しかし、高校生。

僕が用意した板書の「レプリカ」を見て、これは評価になるのだろうか。プリントはロイロノートで提出。貼っているかどうかなんて、学力をつけるというところから見たらまったく本質からズレたことだ。ノート点検しませんよ、というとノートを取らない生徒も出てくるだろう。そういうのも個人的にはあってもいいんじゃないかな、とさえ思う。

じゃあ点さえ取れたらいいのか。極論、そういうことになってしまうかもしれないが、論点は「板書が反映されたノート」を僕がチェックすることに何の意味があるのだろう、ということ。オリジナリティのあるノートもある。それはあくまでその生徒の学習の跡であって、見てもらうために「映える」ノートを作るようでは意味がない。

見直して、見返して学習になる。もちろん、授業を受けているときにノートを作ることで思考が言語化され、フレーム化され、自身の考えていることがまとまっていく。

じゃあ古典では? やはりノウハウめいたものを網羅したノートになりがち。果たして考える時間が授業のうちにどれくらいあるだろう。生徒を指名する意味も。考えを共有する、とかいうが、高校生にどこまでそういうことが必要なのだろう。いらないとは言わない。どこまでか、ということ。

学習に向かう以外の力学が働いている。生徒の頭がヘトヘトになる授業がしたい。ノートはあってもなくてもいい。授業をちゃんと受けるためのお作法のためのノートであれば、双方にとってよろしくない。ノート点検、いるんかねえ。

2021年10月26日火曜日

清濁併呑


人にやさしくすること、すぐに腹を立てないこと、どんなことでも受け入れること。そういうものがアダになり、まぶしく感じる人からは妬まれるものだ。

寛容でいることが人のためじゃなくて、実はそうできる、いようとしている自分のためのものであれば単なる自己愛だ。

オールマイティは結局何の役にも立たない。芳しい香水のもとは、鼻をつくようなニオイのもとからできている。何でもできることというのは何かしかできないことより価値のないものだ。

巧妙に、他者のためであることを装っている人と距離を置くこと。己の信ずるところに基づいて行動すること。安易に金儲けや成功を語る輩に伍することのないこと。

若い人の周りには可能性と危険とがたくさんある。自己愛を他者への愛と見紛うな。

中学校の教師時代の教え子と話し込んだ。悩む姿はあのときと同じだ。

困ったときに話し相手になる。

教師の仕事はお金儲けには向いてないが、愛に溢れた仕事です。

月曜から夜ふかし

すいません、番組じゃありません。

いまやっと授業の準備が終わったところです。


今日は明日の3年生の選択の授業の仕込み。6回にわたって手話の授業をした。それ以来、僕も手話を勉強しようと決めた。細々とやっている。

前任の中学校では1年生が近くの聴覚特別支援学校と交流する行事があった。あのときにもっとちゃんとやっていれば、と思ったけど、後の祭り。でも、所属した学年で3回ほど交流したので資料がたくさんある。明日はそれを使って。何が役に立つかわからない。

この選択の授業はボランティアについて学ぶ授業。僕自身、ボランティアについてよく知っているわけじゃない。ただ、自分の位置から話せることはいろいろとある。前は災害ボランティアについて、その前は車椅子の実習。これも全部自分のストックのうち。経験はしておくに限る。

大阪の生野特別支援学校の事故の裁判の話を最後にしようと思っている。前任校の近くで起きた悲しい事故。裁判はまだ続いている。僕たちはこういう出来事と地続きの世界に生きている、という話をしようと思っている。

たった数名のための、1回きりの授業。使い回し無し。これも僕にとっては本当にいい機会だと思う。

月曜から夜ふかし、終わります。

みなさんもほどほどに。

2021年10月24日日曜日

40歳の教員採用試験 体験記 ②

 ①の続きいきます。

面接対策ということで、聞かれそうな質問のQ&Aを作った。中学校から高校、大阪から兵庫への鞍替えは必ず聞かれる。ここは当然のように準備。

高校で勤めてみたいと思ったのは学生の頃はやはり甲子園だったけど、今は違った。中学で長いこと勤めると「この子はこの先、卒業したらどうなっていくのかなあ」と先に思いを馳せるようなことがあった。実際は追跡調査まではしていないものの、卒業させて終わり、みたいな感覚はちょっと寂しい、この先が見られるなら見てみたいという気持ちがあった。しんどい子ばかりの学校もある。高校の先生は本当にたいへんだなといつも思っていた。

大阪から兵庫に関しては、プライベートなところで答えを用意した。大阪は生まれ育ったところ。そこを離れるとなるとやはり寂しさはあった。これもまたいつか。

兵庫は一次で集団討論がある。自分の話ばかりでもいけないし、主張しないのもいけない。あらかじめテーマが試験より先立って発表されるので、これをもとにして。3つのうち、一つが選ばれる。どれもこれも、「なぜ先生になりたいのか」「どんな先生になりたいのか」が明確にあれば答えられる。確かに最新の情報の予備知識は必要だけど、それは枝葉末節。自分より年齢が若い方と討論をするはずなので、うまくやれるかちょっと心配だった。

そういう感じでコロナの休校期間やテレワークで空いた時間を利用して爆発的に勉強した。猛勉強という言葉がふさわしい。このトシになるとすぐに忘れる。特に一般教養は骨が折れた。每日地道にやり続けることを日課にした。しんどくても必ず少しでも。同僚で採用試験を受ける人たちと励まし合いながらやった。

もし今年ダメならどうするか、とかそんなことは一切考えず、仕事と両立することを心がけた。何より自分の武器は長いこと生徒たちと過ごした時間がある。これを言語化することも日々やってきた。あとは地道にやっていくだけ。特に古文、古典文法、漢文はほとんどやっていなかったから来年のことを見越して、YouTubeなどの授業動画を活用して必死にやった。これが今でも確実に活きている。クラスの子たちにもうまく使うといいよと、アドバイスした。

仕事に学歴は関係ないとよく言う。本当だろうか。少なくとも大学生になっても「猛」がつくような勉強をしてきたことのなかった僕は、本当の努力を知らなかった。しんどい思いをして志望校に合格した人はこういう練磨に耐えてきたのだろうと察する。そういう意味で学歴はある程度必要と思う。ないならないでいい。どこかで僕みたいにガツンガツンと頭を打って、そこからやればいい。なんとかかんとか中学校では勤めはできたし、勉強する意味をもう一度確認しながらの受験勉強の時間になった。矛盾するが、いい仕事はきっと学歴でするものではない。ただ、努力の跡としての学歴はウソはつかないのじゃないかと思う。

さて、今回はここまで。実際の試験のことは守秘義務もあるのであまり書けませんが、ほんのりと書けるところを探して次回は綴ることにします。③に続く(かな?笑)。

2021年10月23日土曜日

40歳の教員採用試験 体験記 ①

コロナのこういう騒ぎになり始めた去年のはじめ。たびたび休校になり、僕はそこで勉強を始めた。学生時代との違いはいろいろとあった。

まず情報集め。

兵庫県の採用試験は初受験だったので、何が必要かわからない。HPを見ると、中学校の17年間のキャリアは試験上全く有利に働かないことが判明した。大阪市の中学校→兵庫県の中学校ならかなりの優遇。確か面接だけでよかったはず(1次も免除だったかな)。以前に少し調べてこれを知り、ひるんでやめたことがある。思えば本気じゃなかったのだろう。

僕の場合は大阪市の中学校→兵庫県の高等学校ということで、どこもリンクしない。ということで一般受験。これはあとからよく言われたことだけど、てっきりいろんな免除を使って合格したと思ったと。いえいえ、イチからの勉強でした。1次から学生さんと同じ土俵です。

次に教材。学生時代、一ツ橋書店の教員採用試験の関連書籍をよく活用した。

これはスグレモノでサイドにメモができる。これで目一杯やった。でも、今さらこういうのもどうかと思い、とりあえず兵庫の過去問をゲットした。尼崎にある県の施設に行ってコピーをした。担当のおじさん以外誰もいない事務所。どこに問題あるねん、と思ったけど、あった(笑)

教職教養忘れてるなあ、ということで学生時代にやったネットの教採問題サイトでお世話になった。すぐ思い出した。兵庫の過去問、めちゃくちゃ問題数が多いんですよ。しかも難しい。中学生レベルの問題だけど、いまさらできません。困った。わからない問題はネットと、同僚に教えてもらった。何人かには受験のことを話していたので協力してくれた。中3の所属だったので実力テストももらった。目の前の子たちと同じテストをする。恥ずかしいけど僕よりできる子がいっぱい。「ちょっと気になるねんこれ」と教師の道楽のフリをして生徒にも聞いた。なりふり構わず(笑)理科の圧力の問題と数学の比の問題に苦労した。(さすがに国語はやってません笑)英語も自信があったのでそういやしなかったな。何の根拠もない「国語と英語はかかってこい」という自信で他の教科を頑張りました。

次に教採の傾向分析。

兵庫はローカルの教育施策の問題が出る。きっとオリンピック関連も出るはず。県の教育関連の手引をネットで。今はダウンロードできるので冊子にして熟読した。へー、そうでしたか、というものばっかり。そういや、大阪のもあまり読んだことなかったな…。

長くなったので、今日はここまで。まだまだ書けそうな話題。②はいつになるかわかりませんが、また書きます。

2021年10月22日金曜日

ごく普通の平和な一日

 


今日は朝からボリューム満点の一日でした。

球技大会。最高の天気でした。僕は特に割り当てがなかったので写真を撮ったり、試合の合間にみんなと話したり。こういうときの会話は学校の中での「非日常」。いつもは話す側、聴く側の関係が一気に打ち解ける。

「先生、古典のテストどうでしたか」「私、こういうのあんまり好きじゃないんです」「こういうときに一生懸命やる子にキュンキュンします」「女子の前で本気ハズいっす」

ちょっとしたやりとりだったけど、生徒の中に少しずつ入っていけているような気になる。試合を見守る先生方とも会話を交わす。担任の先生のまなざしを垣間見る。

午後からはボランティア清掃。校長先生の発案で有志を募って学校の掃除をした。おもしろそうなので僕は参加した。教師も生徒も有志。やり始めると止まらない。僕がいないうちにソフトの子たちは自主練習。こういうのに部活生徒を駆り出して、というのをよくやってたなあ。ちょっと懐かしかった。掃除の謝礼にジュースとお菓子が机上にあった。ちょっとしたことだけど、こんなちょっとした計らいが僕は好きだ。

掃除のあとはノックを打ちに。明石市はこの時間、雨が降ったり止んだり。ノックを小一時間打って、明日の準備をして終わった。今日は5人。この人数で頑張れる部員たちを誇りに思う。ソフトボールのノックも慣れてきた。軟式のノックとは違う。これはまた別の機会に。

部活のあと、採点業務。教頭先生に「話があるから、時間とってもらえますか」と朝に打診されていた。採点の合間に聴くと、ある調査に協力してほしいとのことだった。できそうなので受諾。若手の先生に声をかけているようだった。僕はもうヤキが回っているけど、いいとのこと。

トイレに行った折に、近くにいた生徒会の子に「今日はおつかれさま」とねぎらいの声をかけた。球技大会、昼の清掃、昨日の緑化運動と連日の取り組み。ホッと一息つけたと思う。「今日はもうヘトヘトちゃうの?」と授業に行っていないけど、名前を聞いたことのある2年生の子。「みんな楽しそうだったのでそれで十分っす」

カッコええこと言うやないの。「立派やなー、今日は楽しかったよ」と再度ねぎらった。

帰路。帰りがけに晩酌用のお酒を買う。今日はもう仕事をしないので、いいやと思って。みんなおつかれさまでした。もう絶対に戻ってこない、今日の時間を懐かしく思うのはいつだろう。テスト明けの絶妙な時期の行事。楽しい一日でした。

2021年10月21日木曜日

中学校と高校、同じ生徒だけど

 今日は中高の生徒の違いについて。語弊を恐れず言えば「こんなに放っておいていいんや」というのが率直な感想。放っておくというか、今までが僕はかまいすぎてたのだな、とつくづく感じる。

給食、部活の引率、行事の取り組みなど、中学校の先生はいかに前面に出て生徒に指示していたのかを自覚することが多くなった。その前面に出るのがある意味でいう「おもしろさ」かもしれない。小学校はもっとかも。憶測が交じるが、教師が自分のやりたいようにでき、ややもすると自分の代わりになってそれをする。そんなことも可能だ。

そういう文脈で言っていくと、高校は本当にそばにいるだけ。勉強をやりなさい、こうしなさい。頭では絶対にわかっている。しないのはしたくないからだ。中学校も高校も同じ。同じだけど、高校のほうがより強固(頑固?)だ。言っただけですぐにやるなら自分でやっている。そういう話になる。

だとすれば、高校生は何を教師に求めているのだろう。それがいまの最大の関心事。当然、勉強を教えるのは言うまでもない。中学校とは比にならないくらいに量も多し、難しい。科目数も増え、さばくのもひと苦労の質量。そんな子たちが教師に求めるものは。大人なんて、というメガネはすでに持っている。そんな子たちに。これは仮説だけど、大人が話すにあたり、「何に心を傾けたか」「熱くなったか」「どんなことで悔しい思いをしたか」を求めているように思う。伝え方は難しい。言い古されてきた表現や無味乾燥なものでは受け付けないだろうから。

中学校ではこういう大人の話は中3になってようやくできたように思う。いや、別に1年生にやってもいい。でも、伝わり方が違うし、言葉も選ばないといけない。大人までの距離、時間が遠すぎてイメージすることがままならない。中1のときにした話を3年でも話す。僕はよくこれをやってきた。こういう時間は教師にとってはとてもいい時間で、いわばデザートのような、教師の仕事の真骨頂とも言える。(授業でもう伝わっている、というのは言われなくてもわかっています)

高校ではそれがデザートとしではなく、サーブの仕方で、求められている。時期が来たら食いつくような話はすでに経験済み。自分そのもので向き合っていかないと見向きもされない。すごい環境だ。一人の「人」として向き合うことに尽きる。

今は勉強をしっかり教えてほしい。困ったとき、わからないことがあったときは呼ぶから、それまではそっとしておいてほしい。たまに手伝うくらいでいいから。そんなふうに見える。心配性のおせっかいな先生もいれば、年相応に接している先生もいる。それは中も高も同じ。結局は「その人」だ。

僕が見ているのはまだ数ヶ月だけだし、他の学校はもちろん知らない。かまわなくていい気楽さと、かまわなくていい寂しさが共存している。あと何年かしたら青いなあ、と思うことを書いてみた。こういうのは今しか感じられないので鮮度のいいうちに。

今日は出張だった。学校の前のテニスコートに授業で行っているクラスの男の子たちがいた。一瞥して、あ、と思ってもう一度見て手を振った。ぺこりと頭を下げる子、同じように手を振り返してくれる子。高校には高校のおもしろさと、生徒のかわいさがあるなと思ったので、こんな文を綴ってみました。

2021年10月20日水曜日

完答と完解

 大阪市から兵庫県にうつって、気になる言葉の違いがある。

2つあって一つ◯、というような解答のシステムを

「完答(かんとう)」って

大阪で勤めていたときに言ってたけど、兵庫では

「完解(かんかい)」という。

もう一つ、大きな問題のくくりを「大問」と書いて

「だいもん」と呼んでいた。兵庫では

「たいもん」と呼ぶ。(ウチの学校だけ?)

こういう微妙な差異を、郷に入りては郷に従え的に言い換えてもいいのだけれど、長年使っていた語を言い換えるのは気恥ずかしいな…。

2021年10月19日火曜日

それらしくないそれ 〜O先生のこと〜

 一緒に働いていた体育の先生の話。今日は少し長くなります。

その先生は体育の先生″なのに″詩人の心をもった方だった。それでまた筆ペンで麗しい字を書かれる。おそらく書道のたしなみのある方で。でも、とてもその字は麗しかった。生活指導部から「生指部通信」を出すときは決まって自分の言葉で書かれる。「授業に遅刻しないように」とか決まりきった、誰も読まないようなことは書かない。「それでええんか?」というような語り口調をまぜて、話すように綴られていたのを覚えている。文面チェックもこの先生だから、ということで決裁が通ったのだろうと思う。

生徒からもあだ名で呼ばれ、その代その代で呼ばれ方も違った。僕が出会ったころはあるサッカー選手の名で呼ばれ、同じ学年で働かせてもらったときはまた違うサッカー選手のTシャツを着ていたので、それ。通信にもその名で俳句を詠んだり。そんな方だった。体育の先生″らしく″体格はがっしりされていたが、本当に柔らかい感性をお持ちで、そのアンビバレンスが羨ましかった。

思うに、自分の言葉で語れる人は、それらしくないそれに見えるものだ。見せようとしていないからそう見えない。また、見せようするのではなくそうしている姿が、単にそれらしく見えないだけだ。言葉は立場から出るものではない。言葉とは自分自身から出るものなのだ。

空き時間によく元気な子たちの相手を一緒にやった。ゴミを拾う、話し相手になる、授業に入るよう促したり、学校の外にいるときはとりあえず戻ろうと諭した。ほんまはこんなんじゃあかんねんけどな」「俺ら、一緒におることしかでけへんって悔しいよな」とよくやりとりしたのを覚えている。こんな感じだから、元気な子たちも一発でその先生の言うことを聞くことはない。

でも、何かあったときは「◯◯と話をさせろ」とその先生を必ず要求してきた。僕はその姿も羨ましかった。件の先生が出てきたところで解決なんかしない。彼らは窓口を求めているのだ。それは、自分たちをわかってくれる人を、自分たちの言葉をわかってくれる人を求めているということ。僕にはそれがよくわかった。

これを甘やかしていると見る人たちも、もちろんいた。甘やかしているように見えるのは、自分に彼らと話せるチャンネルがないからだ。チャンネルがあれば関われる。外でタムロしている子たちに何の関係もない普通の人が話せるチャンネルが存在しないのと同じだ。彼らとの会話は甘やかしているだけ。外からはそうとしか見えない。ここには見えざる、それこそ膨大に積み上げた彼らとの時間があった。本来チャンネルをもつ人が関わること以上のベストはない。

体育だから、学校の先生だからじゃなくて、自分の言葉で語ること。そうやって語って、一緒にいた時間はれっきとした生徒指導の時間だったと僕は思う。

たいへんな学年を卒業させて、同じタイミングで転勤になった。違う学校になり、年賀状をやりとりしたり、たまに会ったら話すくらいのほんのりとつながっているような関係になった。その先生が行かれた学校の先生に聞くと「いま一番しんどい子の面倒見てるよ」と教えてもらった。関わってもらえる子たちの心が豊かなものになることが想像できた。あ、またあの感じなんやろな、と。

あたたかい人になるためには我慢強さに似た、本当にその子を信じようとする気持ちなのだと思う。できそうなことって、えてして難しい。そういうことを教えてくださった先生でした。

2021年10月18日月曜日

言ったあとで困るのは誰だ

「野球部の教科書」という小冊子をせっせと配っていた時期がある。自分は良かれと思ってやっていたけど、これを真似てやって、困るのは誰だろう。そういうことを全く考えず、ここ数年いた。本も書かせてもらったし、原稿もいくつか。せっせとせっせと、僕は自分のために書いていたような節が正直ある。いい気になって書いていた。今思えば本当に拙いものばかりだ。

僕ぐらいの教師の小さな成功譚でも、学生や若い人にはプラスになる。それが方法だけ抜き取られ、それを実践した人たちが待っているものは。今日はそれに言及したい。その人のオリジナルは結局その人のものでしかない。集団も違うし、それにいたったマインドも違う。それなのに、うまくいったことをテクニックめいて披露することで、やっぱりやりたくなる人が出てくる。場合によってはそれを望んで発信する。これが実に怖いことなのだ。

方法の真似のあとで待ち構えるのは自分の本質を問われる出来事に直面することになる。ドラえもんの道具でうまくいったあとにのび太が持て余して失敗してチャンチャン。漫画ならそれでいいけど。こと先生の仕事の先に待っているのは子どもたち。手柄をツイートして、せっせと原稿を書いて。ちょっと僕はそれが怖くなったので、しばらく離れたほうがいいなと思うようになった。高校の先生になりたいというのもあったけど、言いたいことはだいたいうまく伝わらないもの。小さな集団で有名になっていい気持ちになるのは悪いことじゃないけど、いいのかなーという気持ちもある。

言ったあとで困るのは誰なのだろう。GIGA構想の実践のただ中だけど、大切なものは変わらない。僕はそれを地でいくように、生徒と接したいし、心根に迫る話がしたい。挫折なんかしょっちゅうだ。そういう大切なものを言葉にできるような、日々の実践をしていきたいと思います。

2021年10月17日日曜日

話を聴くこと


 聴くことは〇〇、という定義をするつもりはなく、思いつきで書いてます。

先日、教え子から手紙をもらった。その手紙を読んでいて、「話を聴くってこういうことだな」と直感めいたものがあった。その子は大阪のある強豪校で部活を続けている。奮闘ぶりや今の生活での所感が綴られていた。最後に「先生、高校はどうですか?」と。

もちろん、手紙なのでこちらが受け応えしていないから、一方的にあちらが好きなことを書き、最後に尋ねるような文面になるのは仕方ない。でも、人に話をするときって、聞いてほしいからしたり、意見を聴きたいからするものだ。アドバイスをしてほしいときはそれもそれでわかる。こうやって好きなことを目一杯話して、そして「それで、どう?」みたいなやりとりが理想的だよなと思った。つい、自分の話がしたくなるものだ。

最近やっと生徒と廊下で雑談するようになった。僕は今年担任がないので、授業でしか関わらない。だからオフのバージョンではなかなか相対することができない。ここでは僕はひとえに「◯◯さんはこうなの?」と「訊く」に徹している。これがけっこうよくて、僕も新しいことを知れるし、話す方も聞かれて悪い気にならない。次話す場面で「こないだのあれ、どうなったん?」と切り出す。僕はあなたのことに興味があるから、というスタンス。割とうまくいっている。向こうから話してくれるようになるまでは時間がかかる。まして、相手は高校生。まだまだ時間はかかりそうだ。自分の話は聞かれてから。聞かれてなくて話すときは1割で。

みんな聴いてほしい。関係性は聴くことでより話せる間柄になるのだと思います。

2021年10月16日土曜日

図書館に行くと

 今日は昼から図書館へ。明石に通勤するようになって、電車の時間が長くなった。小説なら往復で1冊読めてしまう。久しぶりに読書の熱が加熱している。


借りてみて、ミステリー系が多いと気づく。警察ものと。純文学といわれるものも、とりあえず借りた。ただ、硬派な昔のものは今回はやめた。


図書館に行くと今日はお年寄りが多かった。窓口の人とやりとりしている会話が、とてもあたたかかった。


ドラゴンクエストのサントラを借りに来たおじいさん。すぎやまさんが亡くなったから、思い立って借りに来たそうで。ちょっと聞こえたから聞いてみると、オーケストラバージョンを探していて、それがあーで、こーでとレクチャーされている。「よくご存知ですねえ。とても勉強になりました。いま貸出中のようですので、ご予約でいいですか」きっとこういうやりとりに長けた方なのだろう。おじいさんもCDはなかったけど満足そうに帰っていった。


次におばあさん。探していた本をいっしょに探してくれたそうで「◯◯さんにもお礼言っててね」と告げて、狭い歩幅をせっせと歩みながら帰路につかれた。


久しぶりの図書館。一人がけのソファに座ると坂道と行き交う車が窓から見える。帰って仕事しようと思っていたけど、今日はここで借りる本をちょっと読んでおもしろそうなものを選んでみようという気になった。図書館に行くと、時間がゆっくり進む。帰ってきても同じ。今日は今日でこんな時間だった。


夕方になり、教え子からもらった手紙の返事を書いた。久しぶりに万年筆を使うとやたら手が汚れた。いつも班ノートは万年筆、青インクだったので、そうした。夕飯の餃子を包むとまた手が汚れた。図書館のおかげで今日は仕事から解放された。たまにはいいかな。

2021年10月15日金曜日

突き抜ける言葉と、突き抜ける勇気

 ずっと昔の話。


この日は娘の誕生日。ケーキを買って、ささやかながらお祝いをしようとしていた。たぶんそんなやりとりが前日までにあったと思う。


その日、ウチのクラスの子が喫煙。「あーあ、帰りが遅くなる」と思った。こういうとき、熱血先生なら「娘の誕生日なのに生徒指導で遅くなった。若いうちは子どもにもかわいそうなことをした」とか言うかもしれない。


僕は率直に、彼に「今日な、娘の誕生日やねん。まだ小さくてな。みんなでお祝いしようって、言ってたんやけどな。おまえのせいで帰るの遅くなりそうやわ。悪いけど、今日のことは迷惑や。教師やから指導せなあかんとかあるけど、お前に腹立つわ」と静かにこぼした。


「先生、ごめんな」

そいつからそんな言葉が出た。そのあとどうなったか、覚えていない。きっと保護者に連絡をし、来校してもらって、ひととおりのことを言って連れて帰ってもらったと思う。


こういうとき、正論で彼の瑕疵を責めて反省を促すのもいい。それが正攻法。でも、僕は自分にも家族がいて、お前の家族もそう思っているように、小さくてかわいいときがあるからアホなことをしても面倒見てくれるんやぞって、そういう話をした記憶がある。正直言って、彼がタバコを吸おうが、僕には関係ない。でも、今日はダメ。大事な日だから。


大事な日。そういう、自分を慈しんでくれる人に悲しい思いをさせるな。そんな話をした。彼は根は本当にいい子で、1年と3年で担任をし、特に3年のときはアホなことをするけどかわいい奴やなと思って過ごせた。たぶん彼もそういう僕の気持ちを汲み取って、卒業していったはずだ。


「教師だからこういう話をしないといけない」という、しょうもないタテマエが自分を縛っているなら、早いうちに取っ払ったほうがいい。腹が立つから腹が立つ、それでいい。ハイリスク・ハイリターンではあるけど、指導は恋愛と似ていて、ええカッコしたらずっとし続けないといけなくなる。それがしんどいからさらけ出す。さらけ出すから、生徒は僕の話をちゃんと聴こうとしてくれると信じ、関わってきた。


教師という枠を突き抜ける言葉は、突き抜けてもいいという勇気とセット。教師である前に、一人の人。「謝るんやったらお母ちゃんに謝れ」と言ったら黙っていた。


今ならどんなふうにあいつを諭すかなあ。そんなことを思います。

2021年10月14日木曜日

言葉を紡ぐプラットフォームとして

 先日、ある方とのやりとりで「杉本さんの言葉は、Facebookのタイムラインに流すのはもったいない」と言われました。僕には身に余るお言葉でした。自分の言葉はどう見えているのか。


Facebookは「いいね」という承認システムがあって、どうしてもこれを気にしてええカッコしてしまうときがあります。僕もよくその陥穽にはまってしまいます。


いつか自分の言葉を見返したくなるとき、ブログなら言葉を拾いやすいはず。noteという手もありましたが、しばらくはここを本拠地にしたいと思います。


言葉を紡ぐプラットフォームとして。出発も到着もここ。そんな場にしたいと思います。これはひとえに自分のため。そう思いつつ、オープンにして思っていることを発信してみようと決めました。


学校の仕事のこと、世間のこと、子どもとの関わり方のこと。それがメインになっていくと思います。続くかな。でも、続けていきます。

2021年4月3日土曜日

高校へ

 しばらく更新が滞っておりました。


このたび17年間の大阪市の中学校教員の職を辞し、兵庫県の公立高校の教員となりました。

それに伴い、野球部顧問から女子ソフトボール部の顧問に。

小学生にソフトボールを指導していたことはありますが、高校生、女子は初めて。

あまり頻繁に更新はできなくなると思います。またイチから勉強の日々です。

なぜ高校へ? なぜ兵庫へ?

教員採用試験の面接でも、会う人、会う人に言われましたがこれが今の最善です。

まさかこの歳で採用試験を受け直し、初任者になるとは。

一生懸命頑張ろうと思います。


今日、初の週末練習。楽しくできました。

みんなで頑張ります。

2021年2月14日日曜日

監督のためのミーティング

 今日は受験組のために学校待機。練習はオフにしていたので、ずっと片付けだった。しまいこんでいたものを分別し、ほとんどを処分した。


そのなかで野球部のミーティング資料が出てきた。講義形式で一時やっていたので、いわゆるレジュメ。これがまあ、ひどいことひどいこと。前任校と、今の学校の初期の頃の分。


生徒のうまくいっていない部分をあげつらい、「だからうまくかない」と結果論でぶつ。これをやられると子どもたちは屈服するしかない。そう、屈服させるためのミーティングだったのだ。「こうするとうまくいくよ」がことごとく、印象、イメージ、抽象論。野球がシンプルにうまくなりたいと思う子には実に不親切なものだった。技術論が精神論にすり替えられ、得意の精神論で忠誠心や訴求力を高めていく。それもタチの悪いタイプのそれ。


これは一部の生徒からは求心力を得るが、不満に思う子が不信を募らせていくやり方だ。それも全然不思議なことではない。監督が自分のためにやっているだけだからだ。


ただ、自分の根っこにあるものの萌芽はあり、これが自分の指導の血肉になっていったのは間違いがない。それは生徒を「学校に順応するように」育てるためのもので、まだまだこれから生きていくための代物ではない。まるで監督が育つためのミーティングになっていることに、今ではすぐに気がつく。生徒の声がそこにない。それでは自己満足の域を出ない。メタ的に使い分けができていないと勘違い指導者がめでたくできあがる。危険な成長だ。


特に野球の技術論はYou Tubeで検索すると数千にものぼる動画がアップされている。これでは自分の考えや本来あるべき姿など埋没してしまう。ダシのとり方を知らない料理を見よう見真似で振る舞い、食べ方が違うとか首をかしげる様子に「わかってないなあ」とごちる。子どもを育てようという意識はそこにない。自分がいいカッコをしたいだけのものだ。


では、子どものため、生徒のためのミーティングとはどんなものだろう。そもそも、そういう必要があるか、それを求める集団になっているか。そこに視点をおかないと、監督のために子どもを集めてただ単にその時間を強いているだけになる。僕らは監督である前に、一人の教員であることを忘れてはいけない。選手と監督の前に、生徒と先生。そこを忘れると、勝ち負けだけに生きる自己中心的な暴君になる。自己陶酔型の指導者ほど見苦しい者はいない。


資料を職場に忘れたので今日はレジュメをアップしないが、またの機会に「なぜこのミーティング資料は良くないか」と分析してお示ししたい。


こういう指導者は子どもにとっては迷惑だ、という格好の例として、僕の至らなさを共有できたらと思います。授業でも先生が賢くなるだけの授業がありますよね…。

2021年2月11日木曜日

「みんな」の中の「個」


 今週は強めの練習をしている。プロ野球のキャンプのイメージで。昨日はたくさんトレーニングとダッシュ系、今日はたくさん振った。

多めのノルマを課し、あとは自分のペースで取り組んでいく。僕はこの営みのなかに、これから子どもたちが大人になっていく上でとても大切なことがあると感じている。

たくさんやるべきことがあるとき、コソッとサボりたくなる。サボりについては既述なのでここでは語らないが、自分に挑戦する自分を発見することが一番の目的だ。

みんな同じようにひいひい言いながらやっている。でもやっているのは自分。みんなのなかにいる自分は、どうここを乗り切るのか。みんながいるから個である自分を発見することができる。

強めの練習は一人ではできない。近頃、プロフェッショナルの世界では量の練習は否定されるが、型がないジュニア期の段階ではある程度必要だと僕は考えている。

漢字を書けない子が字の美しさに必死になる。確かにそれもいい。でも、まずはその字がかけることが大切であって、書けるから次の段階がある。そこでにじみ出る個性は否定しない。読めたらいいからだ。今はその「書ける」を目指している段階で、それをあえて「みんなで」「たくさん」やっている。

自分の可能性に挑戦する自分を、大人になるまでに発見できたら幸運だ。

「俺ってすぐやめてしまうよなあ」「みんなもやってるし、よっしゃもうちょっとやったるか」「しんどくなってきたからここは休もう」「あいつには負けたくないわ」

みんながいるから個があり、個の格闘の末に集団に属す自分がいる。格闘する自分。へこたれるし楽をしたいと思う自分。ここに行き着いたときに、次のドアが目の前に出てくる。

明日はオール個人練習。今週課した1500スイングの残りをしてもいいし、違うことをしてもいい。今の自分の課題を見つけて挑戦してほしい。またそのときに自分を見つめる自分と格闘してほしい。それだけです。

今週の土日はオフ。僕もみんなといっしょに休みたいと思います。

2021年2月6日土曜日

「飽きる」のは子どもじゃない


今日はかねてから続けているドリルの反復練習だった。

ゴロ、キャッチボール、スイング。とにかくドリルばかり。

以前教えていただいたものを、飽くまで繰り返し繰り返ししているのだけれど、生徒が「つまらんなあ」という表情をしたらすぐにやめてしまう人がいる。

これは生徒が飽きてきているのではなく、指導者の側が飽きてしまっているのだ。

そして指導者はすぐに精神論に走ってしまう。

「一生懸命さが足りない」だとか「気持ちが入っていない」とか、そう言ってしまう原因は、その活動の意味が理解できていないからに尽きる。だから自分の発信できるフィールドに持ってきてついやり込めてしまう。それでは生徒がやりたくなくなるのは当然だ。


そんなときは素直に、忠実にドリルの基本に立ち返る。そうすると自分が見落としていた基本動作や根本的な考えの誤りに気づく。この作業に耐えうるものだけが、生徒に提示してしかるべきメソッドだと思う。

「おいしいとこ取り」は生徒を苦しめるだけ。このドリルを教えてくださった方がおっしゃっていた。本当にそのとおりだ。

本質的な理解がないのに上辺だけで提示して、行き詰まったらまた違うやり方で。対処療法の繰り返しで、たまたまうまくいったのを誉め、うまくいかないのを叱る。そんなのは「卑怯」だとさえ思う。僕はずっと卑怯だった。もっと突き詰めないといけない。

生徒と探究する作業はこれからも続きます。


【今日のメニュー】

・アップ

・中庭でショートダッシュと30mダッシュ

・渡り廊下でシャトル打ち(兼スイングのドリル)

・キャッチボールのドリル

・ポジションノック(兼ゴロのドリル)とティーバッティング

・1打席バッティング ×3

・三角ベース(テニスボールで4アウト制の3イニング) 

2021年2月2日火曜日

「サボり」は放置せよ

 ラストメニューのインターバル走。今日は20本。


僕は使っていないところのグランド整備をしながら、生徒の様子を見ていた。そうするうちに「あと2本ちゃうやろ!」などと、本数の不正を暴くようなやりとりをしている。気になったけど、僕はずっと整備を続けた。


僕は基本的に「サボり」は放置する。注意しても意味がないからだ。


こういう現象に目くじら立てて、糾弾したところで誰が浮かばれるのだろう。


一番の根本原因は、指導者がそういう空気感を演出してしまっていることに尽きる。演出、というか、そういう場にしてしまっているのが原因。生徒は何も悪くない。


最後のミーティングで「サボりたければサボればいいよ。別に叱らんから。ただそれが、何のために、誰のためになっているのかを考えてほしい。サボって損をするのはそいつや。もっと言うと、そのサボりはチームの迷惑になる。そこまでいくと『20本ならこそっと自分だけもう2本多くやろう』って思えるチームが理想。サボるヤツなんか放っておいたらいいねん。そうやってみんなが頑張るチームになればいい。いいよ、数をカウントしていちいち指摘しないから。全部自分に返ってくるねん、そういうのは」と話した。


掃除をするときにしない、片付けも人任せ。そういう子を呼び立てて「おまえな」と、昔はやっていた。今は放置。もちろん、誰がやっていないかわかっている。でも、僕が言ってやり始める、頑張り始めたところでもう違う。そういうことをみんながわかったうえで活動してほしい。


サボりに反応しない。そういう空気にならないように、指導者は仕掛けをつくり、声をかけたのだろうか。「サボったらペナルティ」「数をウソついたら◯◯」とか、そういう縛りで頑張ったところで知れている。懲罰で人は動かないし、サボって逃げる人が将来うまくやっていけるはずがない。その場を凌ぐのは技術。でもそれが生き方になってはいけない。


「サボり」は放置。好きなだけサボってください。勝負するところはそこじゃないのです。

2021年1月25日月曜日

野球離れは坊主頭が理由じゃない

 ダルビッシュが、


「高校野球の体罰も多かったし、高校生みんな坊主だし…誰がこの時代に坊主にしたい?って話だと思うんですよ」


と、テレビでコメントしたのがネットニュースになっていた。中学校野球の現場では、すでにこの天秤は経験している。坊主頭に合理性がない上に時代錯誤。校則の話にしていくとややこしいので今回は野球の慣習の話にとどめる。


野球部の顧問の界隈で、どこどこが強いとかいう話は2番、3番の話題。

「今年何人入った?」「いま部員どれくらいいる?」

これがここ数年のトレンド。中学生の中ではもう野球は選ばれるスポーツではない。野球はどうも根性とか、漢字をふんだんに使ったTシャツとかがイメージとしてある。汗だくで甲子園を目指す子たち。それはそれでいい。


中学校では髪を伸ばしていた子も、高校で野球をするというとすぐに髪を切る。何のためらいもなしに。甲子園というごほうびがそうさせる。これは大人もそう。指導者、保護者、周りの人たちがみんな通過儀礼というふうに考えている。


野球ってそんな神聖な、崇め奉られるスポーツなのか。


そう思うとあだち充の「タッチ」は預言書のようだ。あれくらいドライな感じが現代の子たちの感覚に近い。一瞬だけ踏ん張る。そういう力の入れ方。甲子園も一つの大会に過ぎない。でも、もうあんなコンテンツになってしまっているので取り返しがつかなくなっている。


僕は特にダルビッシュの信奉者ではないが、彼の発言はいつもおもしろいなと思う。そうだそうだと、うなずいているのは指導者じゃなくて生徒、子どもたちではないか。もう子どもたちは大人たちの欺瞞にはすっかり気がついているのだ。


一方で、本当に心血注いで甲子園を目指す。僕はこういうのはあっていいと思っている。自分の限界に挑戦する体験。そういう体験をする場としての装置。その意味で野球に打ち込むのは大いに賛成。自分で決めたことなのだから。ここは外野の「とやかく」に耳を貸さず、一心不乱にやったらいい。坊主がどうの、という次元ではない。それはそれであっていい話。


野球が本当におもしろいもので、みんなが大好きなものに変わるためにはボトムアップ。公園でやる野球が一番おもしろいって言われているようじゃ駄目だ。


野球離れは坊主頭が理由じゃない。もっとおもしろいもので世の中はあふれているし、古臭いスポーツというイメージが強い。野球じゃなくてもいいから、何でも打ち込んでみると目の前に壁が現れる。これとどう対峙するのか、自分はどうやってこれを乗り越えるのか。ここと真剣勝負していないなら、坊主がどうのは議論の筋とは違ってくる。じゃあ違うもので勝負すればいいのだから。おそらく、ダルビッシュは門前払い的な野球の旧態依然としている、君臨しようとしている、その姿を戒めようとしているのだ。


自分を磨ける場をどう用意するか。野球をやってみたいと思う子が時代遅れの大きな楯の前に、あきらめて違うものに目を向けてしまうのは悲しい。でも、今となればそれも必然。桑田氏の言葉で言う「現実はパーフェクト」だ。なるべくしてなっている。先の高校サッカーの選手権で決勝での、ベンチのあり方が対照的だったとネットニュースで見た。この手の現象へのレスポンスは実に正直。時代が許さなくなってきたのだろう。


子どもの代弁者としてのトップアスリートがもっと増えてくればいいなと、切に願います。

2021年1月24日日曜日

部活動のことはこっちで

 もう1年以上も更新していませんでした。

コロナでも野球部はしっかり活動しています。


さて、ここに来ていろいろと変化がありました。

「部活動指導の心得」(明治図書)という2冊めの本を出し、日本部活動学会の理事を辞任し、学会も退会。時間とともに考え方も変わるものです。


最近どこにも書いていないので、ここで。僕の2冊めの話です。


1冊めの「部活動指導スタートブック」は4刷までおかげさまで読んでいただき、少しはお困りのみなさんに貢献できたと思います。


2冊め。どこまでお読みいただけるかな、1冊めくらいは…、と思っていたのですが、2刷で今のところとどまっています。おそらくこれ以上は伸びないでしょう。

ここ数年の僕の考え方をうまくまとめられたと思っています。しかし、書いていることは方法ではありません。しかも、少し部活動に携わった方なら「もっと現場にすぐ使えるものにしろよ」とか「どうしたら勝てるか」とか、そういうものを求められるでしょう。でも、僕はそういうことには無縁で、地道にやってきました。


長くやっている先生は自分の考え方を変えることは容易ではありません。僕もここに来て、このブログに書いてあることを赤面しながら読むに到ります。恥ずかしい限りです。


2冊めは発展途上だった僕の考え方の萌芽をしっかりと捉えたものになっています。古本でもいいので、この記事をご覧になった方はぜひとも読んでいただきたいなあと思います。割とうまく書いてます(笑)


大きな声も、バントも最近全くやっていません。これもまだ勉強中。


大会のたびにベンチ裏で交わされる監督たちの戦術論に最近疲れてきて、支度が終わればすぐに辞すようにしています。悪口とかではなく、僕は自分の考えに素直にしたがい、子どもたちと一緒にいたいと思っています。いずれこれももっと具体的に話せる日がくると思います。(本を書くとかじゃありません)。


Facebookに上げていた部活関連の投稿はこちらにしていこうと思います。更新も増やします。よろしければ読んでください。


徳は孤ならず、必ず隣あり。これでまた頑張っていきます。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...