寒いこの時期の小さな大会。今年は合同チームなので、一年の過ごし方がいつもと違う。ちょっとハードながら、ペアの他校の先生に運営を任せているのでとても勉強になる。今日、大会が終わった。
会場をお借りした北淀高校。ここも人数不足でやりくりが苦しいそうだ。いっしょにチームを組んでいる茨田(まった)高校の生徒さんと、2校の子たちが運営を手伝ってくれた。部員が100人を超えるチームもある。甲子園の選抜も近い。でも、こういう野球部も全国には珍しくない。
茨田高校の先生とは個人的にお付き合いもあり、久しぶりにじっくり話せた。話せば話すほど、こういうやりくりがしんどいチームは中学校の部活動と似ている。ハードルを下げると気がかりなことが増えるし、上げると部員が集まらない。得てして、中学校のしんどい学校の運営に実に似ている。普通の活動がしんどくなるので、手のかかる子たちは部に入ってこない。もしくは自然淘汰される。こういうのは部や学校の方針と密接に関わっており、逆にしんどい子を抱えるケースもある。そんなときは学校あげてのサポートで成り立つこともあるが、多くは「やめささないでほしい」と当事者の苦労を措いて運用される。このあたりの話題は主義主張が各人であろう。でも、当事者にとってはその日その日、胃が痛い思いをし、しかも活動日が少なくなると真面目な子も物足りなさを感じる。同僚も「野球部やのに休みが多いね」などと言わないまでもそんな空気を醸し出す。やってられるはずがない。
さて、抜群のグランドで、ダッグアウトに言葉が掲げてあった。こういうのは個人的に好きだ。毎日この言葉を見ながら活動する生徒に刷り込まれていく。大切なことだ。ウチの子たちもベンチに入ったときに、これらをじっと眺めていた。時間が経てばそれは風景になる。言葉は風景にならないためには、言い続けないといけない。僕は今日の最後のミーティングでやっぱり「カバンを揃えて置きなさい」「帰りのミーティングまでの待ち時間に片付けが終わっていなかったのはなぜだろう」と、いつも言っていることを繰り返した。こういう繰り言を言っているうちは野球の話に行き着かない。うまくなるチャンスを逃しているよ、ということを今日も言った。言い続けるのが顧問の仕事。やめるのはいつも指導者なのだ。
いい選手である前に
いい生徒であろう
いい生徒である前に
いい人間になろう
いい生徒であろう
いい生徒である前に
いい人間になろう
2段落目、こういうこと言っているから野球は敬遠される。いい人間になろうって、まず大人はどうなのだろうか。いい生徒を目指す。これこそ、部活動の最大の意味だと僕は痛切に思う。最大の味方は「努力」ではなく、最大の味方は「見方」なのだ。同じ景色でも欲望、関心の度合いによって引っかかる部分が変わる。その欲望や関心をどこに向けていくのか、向けさせるのかが顧問の仕事。たとえば「努力」に向けさせたいなら、なぜ努力に向かうべきなのかということを言い続けなければならない。これは途方もない仕事。だから同じことを言い続けるのだと思う。
〈結果〉
H30..2.3 住吉高校杯 3位決定戦
✕ 金岡 ○8−0 (5回コールド)
✕ 金岡 ○8−0 (5回コールド)
今日はウチの子が勝ち投手。センスのある子が伸び悩んでいたのでサイドスローをすすめた。やっと結実。見方を変えた結果が出た。
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