2018年7月25日水曜日

「『中学生らしいチーム』とは」



今日も大会のお手伝い。ウチの生徒も不慣れながら少しだけ運営の補助をさせてもらった。大会は多くの人の協力のもとで成り立っているとあらためて実感した。
本部に詰めていると「中学生らしい良いチームやなあ」という言葉をたまに聞く。「たまに」というのは皮肉ではなく、本当になかなかお目にかかることができない。

行動が機敏であり、反応が正確。プレーに派手さはないが、ひたむきにボールに向かい、味方を応援する。劣勢でも常に鼓舞し続け、1点に歓喜する。こういうチームに勝ってほしいな、と思ってしまうようなチームだ。
ややもすると勝つことだけに価値がいき、球場の裏で取っ組み合ってふざけていたり、僕らの姿を見ても何の反応もしない。先生がこちらを一瞥しても会釈すらしない。残念ながらそういうチームもいる。
先日、新チームになったウチの子たちが学校で練習をしていた。僕はたまたま教室に用があったので廊下の窓から様子を眺めていた。すると、先生がグランドのそばを通っても、ほとんど反応していない。申し訳程度に「座りながら」あいさつをしている子も。ちょっと悲しくなった。
「暑いから休憩するのはもっともなこと。でも、立ち上がれないくらい疲れて、先生たちに挨拶ができないくらいだとすれば、挨拶ができるくらいの体力を残す練習をしなさい。いつお世話になるかわからない人に反応もできないのなら、そんな練習は単なる自己満足。そんなので勝っても値打ちはないんやで」
今日も良いチームがいた。勝ってほしいな、と思った。小手先でプロの真似をして勝っていくチームではなく、良識のある、中学生として応援したくなるようなチームに。この声が届くようになるまでどれくらい時間が必要かわからない。奇を衒って「常識を疑う」と喧伝して常識が蔑ろにされるのであればそんなものいらない。僕たちが接しているのは生徒だ。選手である前に生徒。そこの認識を忘れずにいたい。
高校野球の勝敗について、メディアがいろいろと報道している。美談は記事になる。ちょっと取材で行き来し、顧問と懇意だからといって身内面しようとする。ここの距離感を大事にしてほしい。どうしようもないときも僕らは毎日日常をともにしている。そういう人にしかわからないものがある。これは敬意の問題。
明日は球場で練習するよ、というと嬉しそうにしていた。そういう気持ちを大切にしてほしい。そして、大切にできる指導をしていきたい。「らしさ」は一日してならず。

2018年7月1日日曜日

「ラストゲーム」

ずいぶんとご無沙汰になりました。この間(かん)にたくさんの方が新しくメンバーに入られました。ありがとうございます。
さて、昨日は夏の大会までの最後の練習試合。昨年度までいっしょに合同チームを組んでいた学校とのゲーム。春、解散する直前にゲームをしたときはノーガードのゲームで、取って取られての大味な試合だった。
それから約3ヶ月。お互いの成長を存分に感じるゲーム内容だった。最終回、2点ビハインドで奮起を促すとなんとか追いついて同点に。夕立が来たのでここまで。勝ちも負けもない終わりに、何かとても満足のいくものを感じた。
試合前、三年生が忘れ物。土曜参観のあとの懇談会の間に待ち時間があったはずなのに、到着してから僕に言いに来る。しかも2人。ゲーム前に指導。あくまで部活動は勝ち負けより、こういうお作法を徹底することのほうがよほど大切だと言っている。もどかしいけど、これも一つの成果で僕がそのように育ててきたからと腹をくくるしかない。育ってほしいようには育たない。育てたように育つのだ。
ゲーム途中で出番を与え、三年生が全員出場し始めたところでムードが俄然よくなる。ミーティングのときにこれも話した。今日は何のために試合をしに来たのだ、と。僕がやってもらっているのではなく、させてもらっているというのをもう一度考えなさいと話す。
ずっとこういうことを言い続けてきたチーム。生徒に責任なし。次のチームにむけて課題をたくさんつきつけられたような時間だった。
夏の雲。来週の日曜が初戦。できる準備をしていこう。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...