夏休み後半。新チームになってからずいぶんと経ちました。
新チームになったばかりのときは子どもたちも新鮮な気持ちで臨めますが、毎日の練習、他校との練習試合を経ていくなかで「あ、今年はこういう感じか」と落ち着くところに落ち着いていっているように思います。暑さにかまけて、ダラダラしているように見えることも。これはモチベーションの固定化が原因かと思います。
さて、本題。新チームは何かとうまくいかないことが多発します。プレーはもちろん、決めたはずのことがウヤムヤになっていくことも。つい大きな声を出してしまいそうになります。他校にお邪魔したとき、顧問の先生の多くは叱咤激励をこえた声かけをしていました。非難ではなく、きっとこれはスタンダードなのだと思います。なぜ僕ら指導者は怒鳴りつけたくなるのでしょうか。
あるとき、キャプテンにノックを任せて僕らが守備の指導に回るということをしました。すると、普段声が出ないような子からも大きな声。全員とまではいきませんが、いつもとは違う光景でした。僕は夏休み後半になって大反省しました。放任にならないような委任。こちらの方向性を共有さえできれば、生徒にもっともっと考える場面を与えていくべきだったなあ、と。
どうしても基本的な繰り返しで単調になりがちですが、ゲーム要素を入れたり、試合のミスのケーススタディなど、我々のニーズを生徒のニーズの共有が図られていないところに、指導者の権威がよろしくない方向に発揮されている。生徒の考えていることに耳を傾けない時間が多すぎたかな、とここに来て思います。個人練習を少しずつ入れてみてはいるものの、まだ機能していない。だからつい大きな声を出してしまいそうになる。大きな声は何かを伝えるのに最も適していないと、グランドを離れたらわかる。当事者として、もっと目標を共有していく時間が必要です。
怒鳴って達成するのは訓練。訓練も、ときには必要。でも毎日「野球の訓練」ではギチギチした空気で活動せざるをえなくなります。学校の部活動では実力差は本当に大きなものです。うまくなりたいけどキツイことはイヤ。勝ちたいけど自分のやりたいこと以外はやりたくない。ここを踏まえて指導しないと、指導者の顔色をうかがう生徒になってしまいます。教室でそんな怒鳴り散らす先生はいないはず。「いや、部活動は好きで入ってきた子たちなのだから、ある程度の縛りは必要」論はごもっとも。要は縛り方なのかな、と。
東大阪の福島くんと今日ちょっと表題のようなやりとりがあって、いろいろ思いました。彼はいま『学び合い』で自分の授業だけでなく。生徒との関わり方を模索しているカッコいい先生です。(見た目もナイスガイ 笑)同世代に自分のやり方を議論できる友人がいるのはありがたいことです。甲子園で躍動するの生徒たちの様子も変わりました。量で勝負、強烈な縦糸、自己犠牲。憧憬を覚えつつ、昔気質の指導に頼るのは指導者の怠慢なのかと一人で思っていました。もっと自分がおもしろがって勉強しないといけません。
怒鳴らず作る組織。生徒の良い部分を前面に出せる指導がしたいものです。うまくいかなくて当たり前。そこと向き合い続ける指導者を目指して頑張ります。
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