2017年4月2日日曜日

「投球制限について」


今日は市大会ベスト16に残っているチームと対戦。左の好投手と一回り大きくなったメンバーに完敗でした。
今日はエースが所用で欠席。こういうこともある。今日いるメンバーでやりくりした。あれこれしているうちに、5回でかなりの投球数になった。登板した子は「まだいけます」と言ったけど、僕はすぐにスイッチした。ここで使い減りしてしまうことが今日の目的ではない。いつも投げている子も、今日はゲームに入る前からコンディションに不安があったので登板回避。2試合目は初登板の子に。こういうときにいろんなチャレンジをさせたい。

Twitterに投稿した投球制限の所感。今回のセンバツの様子からの私見。
1 高校野球の投球制限。僕は賛成だけど、投手の技術的な成長の妨げにならないか、という意見があるらしい。タイブレークしかり。根性主義、自己犠牲を美化する風潮の最たるものだと思う。
2 投球制限について、僕は違うことを考える。プロと同じような運用で制限をしたとして、選手の絶対数が必要になる。ベンチ入りの数をもっと増やす必要が出てくる。出ないと、ゲームが成立するための投げる子がいないという事態も出てくる。
3 そのためにはストライクボールを投げるための指導がより必要になり、技術的な指導が試合の行方を左右することになる。いまもそうだけど、より、だ。
4 勝利至上主義でいくとどうしても選手の出場機会が偏ってくる。大胆な選手起用もジュニアの指導者には必須の感覚になる。勝てなくても選手の負担過多を防ぐ感覚。当たり前なはずなのに、勝ちたいときはこういうバランス感覚がおかしくなる。
5 そんなんしたら勝てないだろうが!って、ジュニアのスポーツがそこまでのものなのかという疑問もある。今日はもうええよ、という声が子どもの本当の成長につながる。投げたいなら、ゲームメイクの妙にもっと思いを馳せるべきだ。
6 でも小中の指導者がそんなことまで求められるとすれば、もっともっと野球離れは加速する。部活動の顧問の先生にそんなことを求められては、未経験先生には負担でしかない。
7 ベンチ入りの数を増やす?もとより、昨今は部員が減っている。どうやったら野球をやりたくなるだろうか。失敗がつきもののスポーツなのに指導者の怒声や叱責であふれるグランドでは、子どもが楽しいはずがない。
8 たかが野球。されど野球。されどのドラマに、極度に美化される風潮が拍車をかける。野球離れをまじめに考えていく話であると、投球制限の話題から思う次第です。
ジュニア期で大切なのは勝ち負けより育成。でも勝ち負けの世界も僕はあっていいと思う。指導者の方針にしっかり納得して取り組めていればそれでいい。プロの世界のあれこれをそのまま流用するのはちょっと違う。ジュニアはジュニアの課題があって、それに真正面から取り組むのは様子を知る大人。外野にわかったことを言われたままではいけない。当事者でしかわからないこともある。でもやはり、外からわかることもあるのはわかる。両者に敬意がなければ議論は進まない。最近このあたりが揺るがせになっている。とても気になる。これもいつか書きたい。

投球制限は野球のあり方に関わる大きなトピック。もっと活発に議論されてもいい。子どもを壊す指導だけはやってはならない、という共通点はゆるがない。と、思いたい。
(結果)
H29.4.2 対 市岡
① 1−6 ✕
② 3−2 ◯
良いチームでした。来週の本選も頑張ってください。

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