2017年4月8日土曜日

「プレースタイル」(指導者の「語り」について)

ここ最近、練習の様子が冴えなかった。大会が早々に終わり、会議などで春休みながらオフが多かったこともある。目に余ったので、生徒にいろんな話をしている。生徒の声も聴いた。こういう時間を最近とってこなかったことに今さら気づく。技術的なことだけに偏重しがちだった最近の声かけが、良くなかったのかもしれない。そうじゃない。技術的なことはピラミッドの頂点。どれだけ日常のあれこれに根ざした活動なのかで上に載っかるものの大きさが変わる。頂点を支えるベースが揺らいでいたのだと思う。
こんな話をした。ある高校の監督さんの話。評判を聞いてある生徒の様子を見学に行ったときのこと。その子は確かに力はある。でも、一人だけ様子が違う。明らかに他の子と違う態度で練習している。しかもそれが集団からも指導者からも許されている。許されているというより、誰からも注意されていない。それを良いことに、自分本位で練習をしていたとのこと。力がある子かもしれないけど、その子から全く興味がなくなったとお話しされていた。ややもすると指導者批判のように聞こえるが、僕は違うと思う。こういう子を適切に指導してやるのが指導者だろうし、許してはいけないということが徹底されているのが良い集団。こういう子がいくら有名校で鳴り物入りで入ったところでたかだか知れている。そして「監督と合わなかった」「先輩とケンカした」とこれみよがしに自分の不当さを棚上げして野球部をやめる。
こんな話もした。ある中学校が抜群の強さを誇り、ほとんど負けなしで快進撃を続けていた。最後は負けてしまったけど、何事にも一生懸命取り組む生徒たちを学校の仲間も先生たちも応援した。それを見て、外野球の子たちが羨ましがったそうだ。
いわく「俺らがどれだけ頑張っても応援してもらえない」と。そんなことはないけど、全校生徒の前で表彰され、それを誇りにもっと励み、みんなから応援される一方で、自分がどれだけ大会で頑張って成績を残しても思うようにならない。これは仕方がないことでもある。でも、これは野球部と外野球のいろんな面を体現している話だと思う。生徒たちには、自分たちを誇れるような活動にしていかなければいけないと話した。僕のええカッコではない。応援されて頑張らない子はいない。そういう姿に今は程遠いという話。
今日の野球ノートに自分の「思い過ごしだった」「勘違いだった」と書いている子がいた。あとはそれを行動に移せるか。そこは僕が生徒に適宜声をかけて確認していけばいい。僕も忙しいという理由を作ってきちんと野球の勉強をしていない。育ってほしいようには育たない。育てたように育つのだ。そうある先生に教えてもらった。生徒への「語り」は指導者の一番の仕事。そのために書くし、読むし、悩むのだと思う。最近は語る時間をとっていなかった。大いに反省した数日だった。
今日は雨で練習試合が中止。明日は審判業務があるのでオフにした。狭いとか人数が少ないとか、忙しいとか時間がないとか。みんな一生懸命言い訳を作る。この姿勢を僕は悪いとは思わない。ストイックにいられる人はそれでいい。僕はそういうのともどううまく向き合っていけばいいか、と考える。腹を決めるとか、覚悟とか。もっと違った言葉がないものか。次の版の「野球部の教科書」にはそういう自分の感覚を謳いたい。応援してもらえるプレースタイル。みんな性格が違うなかでどうやって…、と思う。

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