僕が思っていることを返信して、それからしばらく世間話をしてそのやりとりは終わった。違う仕事をしている人からしたら「相手は子どもやで」という感覚かもしれない。僕らがいつもやっていることは、子どもを変に子ども扱いしてもちろん成立するものではない。でもね、という話。
罵声の趣旨はわからないけど、いまその子はどんな気持ちで明日の活動をむかえるのだろう。きっとほとんど覚えていないだろう。だからこちらとしても気づかないのだ。子どもの失敗はだいたい「ごめんなさい」で済む。済まないならそれこそ大人の出番だろう。
厳しさはしつこさ。罵声は指導者のカタルシス。もう一度、立ち止まって僕らがやっていることを考えないといけない。他の立場からはそういうふうに見えているのです。
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