文科省が打ち出した改善策が議論を呼んでいます。僕は時代の流れを考えると仕方がないというか、当然だと思ってこの動きを見ています。一方で、現行のシステムが築いてきた歴史も無視できないよな、という気もあります。僕はどっぷり「昔気質」で育ててもらいました。
このグループにいらっしゃる学校の先生は、日常の教材研究はどうされていますか。
僕は週1回はオフにすることが多いので、そこである程度の授業の準備をします。しかし、ある程度です。もっと詰めてやりたいなあ、と思いつつ、甘さを残して授業をすることも正直あります。これが手抜きだと言われるならそうかもしれません。
午前中練習で、午後からは職員室で仕事。夕方に帰宅し、次の日も活動。遠征で他校に行っても、仕事があるので昼過ぎに職場に行き、業務の準備。週明けは朝練。こういう方も珍しくないと思います。関われば関わるほど生徒の様子が気になり、テスト前までも「勉強会」と称して自分の教室でテスト勉強をさせる。授業中居眠りしていたら「授業中寝てるらしいやんか」などと生徒に迫る。こんなことも珍しくないと思います。でもこれは生徒に対する熱意なのか何なのか、僕にはよくわかりません。自分の前ではきちんとしていてほしい、見えていないところでも「◯◯部の子は頑張っているよね」などとほめてほしい。関わりが深くなれば自分の一部のような錯覚をもつのも無理はないと思います。
以前どこかで書きましたが、たとえば野球は子どもたちにとってすでに通過儀礼ではなくなっています。ちょっと昔なら必ず野球はやっているはずで、そこにとどまるか他に進むかというものだったはずです。今は野球ができる公園が少なくなったり、他の楽しいことが多くなりました。
熱意は関わる時間ではなく、関わり方や関係の結び方にシフトしてきています。「うらぁ」と巻き舌で生徒をコントロールして、勝ち負けに一喜一憂する(指導ではなくコントロールです)。生徒のモチベーションに変化があるのと同様で、指導者のモチベーションもあきらかに変わっています。部活関連で大会運営に従事し、一銭もならない仕事をすることがあります。代休ももらえません。僕はこれに今まで特に何も感じなかったのですが、昨今の騒ぎ(あえて騒ぎと述べます)に「そう言われたらそうなのかな」と思うようになりました。でも、自分が大会の役員や審判で試合に駆りだされてもあまり負担に感じません。周囲の理解もあるから、というのは重々承知です。でも、たぶん好きだからだと思います。子育てがもうちょっと落ち着けば、もっと本腰入れて指導に関わりたいと思っているくらいです。中途半端な活動の実態に生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいです。試合に負けたら責任をどっと感じます。
休養日が制定されても、きっと何の改善にもならないと思います。なぜなら、いまだ関わる時間=熱意という式がこの業界にあるからです。効率的にとか要領よくとか、あまりよく思われません。実際にこれが本当に運用されたら大会期間が異常に長引き、普通の大会が成り立ちません。土曜授業やりなさい、部活も減らしなさい、でも大会はなんとかやりなさい。なんとかじゃ現場は回りません。大阪の夏の大会だったら、いったいいつスタートすれば終わるのでしょうか。
一方で、夏の甲子園大会が近づいています。もうすぐそれの宣伝が始まるでしょう。ただ、これほど盛大になってくると、甲子園出場にはいかなる犠牲も払うという価値観が出てきても不思議ではありません。文科省が一生懸命教員の負担軽減の名目で部活動に発言をしていますが、本気でやるなら甲子園大会のあり方を見直すのが第一です。(当然のことながら、僕は高校野球が大好きです)極度に美化された世界に、世界観に憧れるのは当たり前です。日本の部活動は夏の甲子園に集約されていくと僕は考えています。
ともあれ、あと何年もつかわからない現行の部活動システムで、生徒も先生も疲弊してつらい思いするような人が減ればいいなと本気で思います。もともと教師の善意で成り立っているような、それでいて責任が重すぎる現状に現場がやっと本音を語りだしたところです。僕は自分の目の前の子たちがもっと野球を好きになってくれればと思って関わるのみです。それしかできません。
以上、雑感でした。あえて編集せず、粗いまま載せます。
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