2016年7月8日金曜日

『遠隔操作』としての部活動指導(長文です)

先日、今年高校1年生になった野球部の卒業生たちが陣中見舞いに来てくれました。それぞれの学校の制服で、後輩たちに声をかけてくれている様子は卒業生たちの成長を感じました。手のかかることもありましたが、野球を続ける子たちがこんなにいたのか、と改めて嬉しく思います。
さて、その子たちが口々に「中学で先生に言われてたことを高校でも言われます」「いつも先生が言ってたことがやっとわかりました」と言います。なぜ中学校でそれがわからなかったのかな、と口惜しく思う一方で、僕には心当たりがあります。
高校の先生は毎日生徒の活動にちゃんとついて指導されています。僕が高校生のとき、中学校で先生が来ないことがあった部活動で監督の先生が毎日グランドに出てこられることに不思議な思いを持っていました。きっと、仕事のシステムが中学校のそれと違うのだろうと察します。生徒につきっきりで、浸透させたい思いや動きを伝え続けることができている。毎日居続けてもなかなか自分の理想に近づいていかない、と聞くことさえあります。モノの分別ができてくる高校生を相手にしているから、とは決して思いません。いっしょについてやれる時間の長短が生徒の実力や意識、士気に影響しているように思うのです。
中学校で部活動の指導をしてきた今日までのことを振り返ると、指導に従事できない日があります。出張であったり、私用であったり。突発的な生徒指導で放課後どころか数日関わることもあります。そういうことがあっても、なんとかやる方法はあるかもしれません。ただ、それが持続可能なやり方なのかというと、僕は自信がありません。そのくせ、生徒が自分の思っているようにできていない、思っているようにしていなかったら「あいつら何やねん」「意識が低い」「自分らででけへんのか」と生徒に責任を転嫁する。僕も恥ずかしながらそんなときがあります。野球ノートが告げ口ノートのような、そんな意味合いを持つこともあります。そういうためにノートを課しているのでは当然ありません。
横についていてもなかなかできない子たちを、言葉ひとつで「遠隔操作」しようとし、またそれができると思い込んでいるのは幻想です。強いチームがキビキビ動いているのはたゆまぬ指導の蓄積があるからです。勝てば勝手に士気があがるのか、というとやはりそれは違うと思います。
先日、高校ラグビーで全国制覇をした東海大仰星高校の監督でいらっしゃる湯浅大智先生と話す機会がありました。おっしゃるに、困っていることは僕みたいな一介の野球部顧問が悩むようなこと。それこそつきっきりで、生徒のためチームのために尽力されている姿に心を打たれました。いっしょに居続ける先生がこれほど悩んでらっしゃるのに、僕が同じことで悩むのはおこがましいとさえ思いました。同時に、中学校の指導者はいかに生徒に良い習慣をつけて送り出すか、ということにもっと敏感にならねばならないと反省しました。
勝たせてやることはできませんでしたが、卒業生たちはまた野球をしたいと思って高校でも続けています。もちろん、違う道を選んだ子もいます。ただ、続ける理由に少しでも中学校のときの部活動が寄与できていたなら、それはとても嬉しいことです。ちょっとの言葉かけだけで生徒が自分の思うように動くはずがありません。多忙を極める学校の現場で、生徒を遠隔操作しようとして失敗する。まずは僕自信がそれを自覚し、真摯に生徒と向き合う活動を、自分のできる限りでやっていこうと思います。
「じゃあ遅くまで活動して教師が指導につける時間まで活動すればいい」「強い指導をすればいい」「土日休みなく一日中活動すればいい」こういう考えも頭にあることはあります。そういう向きにシフトを考えることもあります。でも、何かを犠牲にしていると思った瞬間に部活動指導は成立しないという持論があります。こことどう向き合うか。これも頭にあります。
明日から大阪の夏が開幕。高校も中学校も明日からいよいよ3年生の最後の夏がはじまります。経てきた道は違えど、一日でも長い夏になりますように。

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