2016年10月18日火曜日

「部活動の外部委託で学校が失うもの」

【今回より文体をおおよそ常体に変えます】
基本的に僕は外部委託に賛成。きっとこれで救われる先生がたくさんいることだと思う。ただし、これによって既存の生徒指導の仕組みの一端がほころぶ可能性も同時にあるということをここで述べてみたい。
生徒と教育相談をしていると、やはり部活動のことが話題になる。多くの子たちは楽しんで部活動に参加しているとわかる。教室を離れて場合によったら異学年の先生に指導してもらう。これだけでも、生徒を見る目が一つ増えることになる。部活動の表情というのは、生徒を見ていくうえでとても重要な視点。勉強が苦手でもここで輝ける子がいる。ここで頑張って自信をつけて、日常の学習などに反映される子もいる。
もし部活動が外部委託になるとおそらく技術指導は充実していくと考えられる。面倒を見るだけ、みたいな部活動でいいのであれば誰でもできる。きっとそれに飽き足らない部がこれを求めていくことになるはず。ただ、そうなると部活動の表情は全くわからなくなる。「部活のときもちょっかいを出される」など、生徒にしたらわざわざ学校の部活動という場でその競技(ここではあえて運動部に限定して論及したい)をするわけだから、学校での出来事になる。生徒の見取りに聡い指導者であればまだ良いが、生徒の育成を「勝利」という視点でしか見られない指導者であれば生徒は厳しい。
生徒は絶対失敗する。ここで学校の日常を知っている者が話すのと、そうじゃないのとでは教育効果が違う。プロ野球選手に一流の技術指導を仰げても、我々は生徒と接するプロ。生徒の感情の機微や日常の変化など、生徒を連続した時間の中で見ていけるという、学校での部活動指導の最大のメリットがある。制度疲労を起こしているので、もはや改善の一途をたどるしかない部活動の現行システムで、完全に部活動を学校の活動から切り離せない最大要因はこれだと僕は考えている。要するに、生徒の様子を多くの目で見ている学校の先生が教えるから、生徒への細かい指導が可能になるということ。技術指導のことではない。生徒を育てるための指導のこと。外部の指導者が指導してくださるのはありがたいが、様子を聴く相手が増えることを忘れてはならない。丸投げできるのは実はほんの一部ではないかと考えている。社会教育のカテゴリーに委任するのであれば、もはやそれは「学校の部活動」ではなくなる。そうなって初めて教員の仕事から部活動が離れる。
会議や行事に追い立てまくられ、かつ日々の生徒指導。突発的な事案。授業準備、教材研究などのやり始めたら終わりがない先生の仕事の第一義。制度設計の見直しとともに、「本当にこれは必要なのか?」という会議や行事、取り組みなどの精査をもっと奨励すべきだ。減らすことが悪、サボりと見られがちな学校の活動で、惰性で続いている取り組みはおそらく多いのではないか。ここから先はこれを読まれる方の想像力にお願いしたい。
たとえば時間外勤務の手当や怪我や事故の責任の所在など、放置してはならない問題は山ほどある。その本格的な制度への手入れと学校の活動として機能してきた部活動の良い面を天秤にかけたとき、両者がバランス良く釣り合う制度が理想的。果たしてそれが可能なのかわからないけど、悪い面はある程度表面化してきたと思うので、ではなぜ部活動が根強く支持されるのか、というのを「生徒育成」という視点にシンプルに重点をおいて現場が発信していく時期にきていると思う。美談ではなく、日常のどこの学校でもある生徒の成長譚を。根性だけで全てが解決する時代は終わった。
教員の良心を阻害するような外野のざわめきで外部委託、および一連の問題を考えてほしくない。一教員の訴えです。

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