ラストメニューのインターバル走。今日は20本。
僕は使っていないところのグランド整備をしながら、生徒の様子を見ていた。そうするうちに「あと2本ちゃうやろ!」などと、本数の不正を暴くようなやりとりをしている。気になったけど、僕はずっと整備を続けた。
僕は基本的に「サボり」は放置する。注意しても意味がないからだ。
こういう現象に目くじら立てて、糾弾したところで誰が浮かばれるのだろう。
一番の根本原因は、指導者がそういう空気感を演出してしまっていることに尽きる。演出、というか、そういう場にしてしまっているのが原因。生徒は何も悪くない。
最後のミーティングで「サボりたければサボればいいよ。別に叱らんから。ただそれが、何のために、誰のためになっているのかを考えてほしい。サボって損をするのはそいつや。もっと言うと、そのサボりはチームの迷惑になる。そこまでいくと『20本ならこそっと自分だけもう2本多くやろう』って思えるチームが理想。サボるヤツなんか放っておいたらいいねん。そうやってみんなが頑張るチームになればいい。いいよ、数をカウントしていちいち指摘しないから。全部自分に返ってくるねん、そういうのは」と話した。
掃除をするときにしない、片付けも人任せ。そういう子を呼び立てて「おまえな」と、昔はやっていた。今は放置。もちろん、誰がやっていないかわかっている。でも、僕が言ってやり始める、頑張り始めたところでもう違う。そういうことをみんながわかったうえで活動してほしい。
サボりに反応しない。そういう空気にならないように、指導者は仕掛けをつくり、声をかけたのだろうか。「サボったらペナルティ」「数をウソついたら◯◯」とか、そういう縛りで頑張ったところで知れている。懲罰で人は動かないし、サボって逃げる人が将来うまくやっていけるはずがない。その場を凌ぐのは技術。でもそれが生き方になってはいけない。
「サボり」は放置。好きなだけサボってください。勝負するところはそこじゃないのです。
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