3年生の選択の授業で視覚障がい者の方からお話をうかがった。
その中で、「これだけ便利になった時代で、よかったことと逆に困ったことを教えてください」と質問した。
困った話はこうだった。駅で点字ブロック上を歩いているときに歩きスマホをしている男性とぶつかったそう。そのときにその男性のスマホが落ちたらしく、どうやら傷がいったらしい。「何してるねん! どないしてくれるねん!」とかなりやりこめられたそうで。これだけでも十分悲しいのに「こういうときのための保険があるんです。不慮で壊したり傷つけたりしたときに保障してもらえるもので」というのを聞き、それも弁済しないといけなのだな、許してもらえるっていうのは甘いんだなと、じわじわとつらくなった。
結局話し合いは平行線で、弁償しますという話をしたら「もうええわ!」とすごい剣幕で帰っていったらしい。これは現実の話。
聴いていた生徒が「そういう場面に出くわしたときは、仲裁に入ったほうがいいのでしょうか」と質問した。勇気ある子だなと思った。「そういうときに、特に私たちのような者は状況がわからないから入ってもらえると非常にありがたいです」とおっしゃった。「たいてい、そういうトラブルになったらみんな素通りです。今回もそうでした。私たちは一人では困ることが多いので、入ってもらえると大体は「もうええわ」とその場を去ってくれるケースが多いです」と。これは仲裁というか、なんとかその場を平穏に、しかも障がい者側が「折れる」形で一応の解決とする話。僕たちはそんな世間を生きているのだなと思った。
よかった話。スマホの普及は一気に生活を変えたという話だった。iPhoneは音声でいま何のアプリを使っているか知らせてくれる機能がある。僕もiPhoneを使って長いが、知らなかった。僕の知っていることなんかほんの一部。その中で「Be My Eyes」というアプリを知った。これは視覚障がい者が何かお手伝いをお願いしたいときに、ここにエントリーしたボランティアがそれに応えるというものだ。「あなたの目になる」というアプリ。お話を聴いているときにすぐインストールした。全世界で530万人のボランティアがいて、35万人の視覚障がい者が登録している。圧倒的にボランティアのほうが多いが、障がい者ご自身がこのアプリを知らない人が多いとのことだった。
「本当にこれ助かるんです」ということで、改めて知らないことが多いなと思った。「あなたの目になる」というのは、ちょうど人の話を聴くのと同じことだ。あなたが見たことを、私がまた体験することになる。人の話というのはそういうもの。
僕にとっても貴重な時間となりました。
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