2021年10月15日金曜日

突き抜ける言葉と、突き抜ける勇気

 ずっと昔の話。


この日は娘の誕生日。ケーキを買って、ささやかながらお祝いをしようとしていた。たぶんそんなやりとりが前日までにあったと思う。


その日、ウチのクラスの子が喫煙。「あーあ、帰りが遅くなる」と思った。こういうとき、熱血先生なら「娘の誕生日なのに生徒指導で遅くなった。若いうちは子どもにもかわいそうなことをした」とか言うかもしれない。


僕は率直に、彼に「今日な、娘の誕生日やねん。まだ小さくてな。みんなでお祝いしようって、言ってたんやけどな。おまえのせいで帰るの遅くなりそうやわ。悪いけど、今日のことは迷惑や。教師やから指導せなあかんとかあるけど、お前に腹立つわ」と静かにこぼした。


「先生、ごめんな」

そいつからそんな言葉が出た。そのあとどうなったか、覚えていない。きっと保護者に連絡をし、来校してもらって、ひととおりのことを言って連れて帰ってもらったと思う。


こういうとき、正論で彼の瑕疵を責めて反省を促すのもいい。それが正攻法。でも、僕は自分にも家族がいて、お前の家族もそう思っているように、小さくてかわいいときがあるからアホなことをしても面倒見てくれるんやぞって、そういう話をした記憶がある。正直言って、彼がタバコを吸おうが、僕には関係ない。でも、今日はダメ。大事な日だから。


大事な日。そういう、自分を慈しんでくれる人に悲しい思いをさせるな。そんな話をした。彼は根は本当にいい子で、1年と3年で担任をし、特に3年のときはアホなことをするけどかわいい奴やなと思って過ごせた。たぶん彼もそういう僕の気持ちを汲み取って、卒業していったはずだ。


「教師だからこういう話をしないといけない」という、しょうもないタテマエが自分を縛っているなら、早いうちに取っ払ったほうがいい。腹が立つから腹が立つ、それでいい。ハイリスク・ハイリターンではあるけど、指導は恋愛と似ていて、ええカッコしたらずっとし続けないといけなくなる。それがしんどいからさらけ出す。さらけ出すから、生徒は僕の話をちゃんと聴こうとしてくれると信じ、関わってきた。


教師という枠を突き抜ける言葉は、突き抜けてもいいという勇気とセット。教師である前に、一人の人。「謝るんやったらお母ちゃんに謝れ」と言ったら黙っていた。


今ならどんなふうにあいつを諭すかなあ。そんなことを思います。

2 件のコメント:

  1. 生徒と教師という関係性だけではなく、双方に個人的な文脈があることを言葉になさったのですね。「生活指導」を超える実践ですね。

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  2. プライベートのことを話さずにできる指導もあるし、そうされている方もいます。僕は若いうちはこれでいいか、と思ってやってましたが、これしかできないようになっていました。生徒にもじんわりと伝わることが多く、タテマエはすぐにバレるということもわかりました。

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