2016年5月11日水曜日

いないことに納得できるかどうか


今日はサッカー部の活動がオフと聞いて、雨上がりだけど久しぶりにバッティングをしようと思いました。

ところがフタを開けてみると、3年生は取り組み、2年生は取り組みと居残りで、活動できそうな生徒が数名。しかも小雨がパラパラ。僕も会議。なんやろなあ、と思いつつ、できる活動をしておくよう伝えました。

特に3年生は修学旅行と体育大会の取り組みを、それこそ日替わりでやっています。同じ係でも部活動に来ている子と取り組みに行っている子がいます。部活動に来ている子の心情としては「あいつ絶対野球来れるのに何してるねん」と思うことでしょう。実は僕もそんなことを思うことがあります。そういうときに、声のかけ方を誤れば大きく信頼関係に傷が付きます。

「おお、野球に来ないのか…」と内心思っている子に、学年の先生が「今日はありがとうな!助かったわ」と声をかけていました。こんな瞬間に自分本位でしか生徒を見ていないことに気づきます。100%、取り組みに従事しているのかどうかは知りません。うまくやれば野球に来る時間はあるかもしれない。そこは否定しません。ただ、感謝されている子を訳も分からず否定的な捉えでいるのは自分の修業不足としか言えません。

生徒会に立候補する、と中学校のときに顧問の先生に相談に行ったことがあります。練習に行けないときもある、ということを伝えに、それとそういうことで引き止めてくれるかと淡い期待をしながら(笑)。「ええやんか、学校のためにやるなら野球よりも値打ちあるわ。そっちで頑張ったらええ。来れるときにちゃんと頑張れ」と言われました。下手な選手だったのでこういう声をかけられたのかもしれませんが、当時の僕は予想外の返答に驚いたのを覚えています。今では同じことで相談に来るような生徒には、やはり同じようなことを話します。頑張れる場所があるならどこでもかまわないと思うからです。

さて、取り組みの話。僕は練習から抜けても周りが納得するものだったら胸を張っていればいいと思っています。補習やサボりでなければ、何らやましいことはないはず。要は当人にどういう自覚があって活動してるのか、ということが僕は大切だと考えます。そこらの線引きがあいまいだと、結局どちらも中途半端になるだけ、周りが誤解するだけ。ひいては不信感を持つでしょう。これではいけない。

明日はテスト期間に入るので、休み中のトレーニングシートを配り、そこらの話をします。中学生はいろいろ忙しい。わかっているはずなのに、こっち側の論理で考えていすぎないか。そんなことを考えました。

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