2016年6月30日木曜日

長時間の練習について

前回はTwitterで広めていただき、たくさんの方にお読みいただいたようです。ありがとうございました。以下、新規の投稿です。

今日でテストが終わり、昼食をとってすぐに練習でした。雨がちながら狭いグランドで外野の連係の練習ができました。そのあと対応があってグランドをもう一人の先生にバトンタッチ。全体の練習は3時間ほど。残って練習をやりたいという生徒がいたので、時間を確保してテスト明け初日が終了しました。
僕が選手であったとき、毎日長い時間練習がありました。休みの日は当然のように一日。Aチームがよそに遠征に行く日くらいが半日で終われる日でした。今も2部練(午前と午後)をしている中学校の話を聴くと「いいな」と思うのと「自分にはできるかな」と半々の気持ちになります。高校野球なら一日練習はまだデフォルトではないかと思います。
もし、ウチのグランドが広くて、思いっきりバッティングができるスペースがあったり、次々に練習が組める環境であったりだと工夫のしようもありますが、現状では非常に難しい環境です。環境と練習時間はリンクしないのかもしれません。それをわかりつつここでは持論を述べると「今日はこれ」というのをしっかり意識して練習ができたらあまり「時間の長さ」には執着しなくていいように思います。「時間の長さ」は免罪符です。自分がつきっきりで、しかもこれが本業であるなら時間の長短に重点を置くのもいいと思いますが、そうはいかない実態もあります。学年で打ち合わせが入ることもあるし、指導が入ることも。電話や来客もあります。かいくぐって時間をやりくりしていますが、僕がいない時間も彼らは活動をしているのです。ここのところが特に中学校の現場で部活動の時間が「浪費」されている原因だと思います。
つけない時間は原則的に活動は禁止。もしそうなると現行のシステムでは成立しません。だったら、顧問が納得するための活動(特に時間だけに重きを置いた活動)は特に禁忌されるべきだと思います。生徒の体感時間で一番の活動。そこに気を置きながら、かつ、かいくぐりながら自分の最大限。これを一言で表現できる言葉を有しませんので、言うならこうなります。
短い時間だけど効率的に。その前提はずっといっしょにいるということ。長い時間の活動は生徒の気持ちを疲弊させます。「ウチは全国大会に目標をおいて……」ということなら別かもしれません。ただ、そういう空気によって苦しい思いをしている部活動の顧問もいるという事実。まだまだ思案は続きそうです。
練習は訓練なのか。ちょっと考えてしまいます。

2016年6月15日水曜日

「部活休養日雑感」(長文です)

文科省が打ち出した改善策が議論を呼んでいます。僕は時代の流れを考えると仕方がないというか、当然だと思ってこの動きを見ています。一方で、現行のシステムが築いてきた歴史も無視できないよな、という気もあります。僕はどっぷり「昔気質」で育ててもらいました。
このグループにいらっしゃる学校の先生は、日常の教材研究はどうされていますか。
僕は週1回はオフにすることが多いので、そこである程度の授業の準備をします。しかし、ある程度です。もっと詰めてやりたいなあ、と思いつつ、甘さを残して授業をすることも正直あります。これが手抜きだと言われるならそうかもしれません。
午前中練習で、午後からは職員室で仕事。夕方に帰宅し、次の日も活動。遠征で他校に行っても、仕事があるので昼過ぎに職場に行き、業務の準備。週明けは朝練。こういう方も珍しくないと思います。関われば関わるほど生徒の様子が気になり、テスト前までも「勉強会」と称して自分の教室でテスト勉強をさせる。授業中居眠りしていたら「授業中寝てるらしいやんか」などと生徒に迫る。こんなことも珍しくないと思います。でもこれは生徒に対する熱意なのか何なのか、僕にはよくわかりません。自分の前ではきちんとしていてほしい、見えていないところでも「◯◯部の子は頑張っているよね」などとほめてほしい。関わりが深くなれば自分の一部のような錯覚をもつのも無理はないと思います。
以前どこかで書きましたが、たとえば野球は子どもたちにとってすでに通過儀礼ではなくなっています。ちょっと昔なら必ず野球はやっているはずで、そこにとどまるか他に進むかというものだったはずです。今は野球ができる公園が少なくなったり、他の楽しいことが多くなりました。
熱意は関わる時間ではなく、関わり方や関係の結び方にシフトしてきています。「うらぁ」と巻き舌で生徒をコントロールして、勝ち負けに一喜一憂する(指導ではなくコントロールです)。生徒のモチベーションに変化があるのと同様で、指導者のモチベーションもあきらかに変わっています。部活関連で大会運営に従事し、一銭もならない仕事をすることがあります。代休ももらえません。僕はこれに今まで特に何も感じなかったのですが、昨今の騒ぎ(あえて騒ぎと述べます)に「そう言われたらそうなのかな」と思うようになりました。でも、自分が大会の役員や審判で試合に駆りだされてもあまり負担に感じません。周囲の理解もあるから、というのは重々承知です。でも、たぶん好きだからだと思います。子育てがもうちょっと落ち着けば、もっと本腰入れて指導に関わりたいと思っているくらいです。中途半端な活動の実態に生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいです。試合に負けたら責任をどっと感じます。
休養日が制定されても、きっと何の改善にもならないと思います。なぜなら、いまだ関わる時間=熱意という式がこの業界にあるからです。効率的にとか要領よくとか、あまりよく思われません。実際にこれが本当に運用されたら大会期間が異常に長引き、普通の大会が成り立ちません。土曜授業やりなさい、部活も減らしなさい、でも大会はなんとかやりなさい。なんとかじゃ現場は回りません。大阪の夏の大会だったら、いったいいつスタートすれば終わるのでしょうか。
一方で、夏の甲子園大会が近づいています。もうすぐそれの宣伝が始まるでしょう。ただ、これほど盛大になってくると、甲子園出場にはいかなる犠牲も払うという価値観が出てきても不思議ではありません。文科省が一生懸命教員の負担軽減の名目で部活動に発言をしていますが、本気でやるなら甲子園大会のあり方を見直すのが第一です。(当然のことながら、僕は高校野球が大好きです)極度に美化された世界に、世界観に憧れるのは当たり前です。日本の部活動は夏の甲子園に集約されていくと僕は考えています。
ともあれ、あと何年もつかわからない現行の部活動システムで、生徒も先生も疲弊してつらい思いするような人が減ればいいなと本気で思います。もともと教師の善意で成り立っているような、それでいて責任が重すぎる現状に現場がやっと本音を語りだしたところです。僕は自分の目の前の子たちがもっと野球を好きになってくれればと思って関わるのみです。それしかできません。
以上、雑感でした。あえて編集せず、粗いまま載せます。

2016年6月11日土曜日

裏方業務

今日は午後から大阪市の野球部顧問を対象にした審判講習会。今年度は数年ぶりにブロックの専門委員をやっています。書類を作るのでも「こうやったらいいのにな」というのを提案できるので、思いの外楽しくやっています。
みなさんが講習を受けてらっしゃる横で、僕は訳あって参加せずに待機していました。総務の先生方や、要職の先生方は会議。こういう先生方がいるので大きな組織は回っていくのだろうな、と一人で考えていました。審判講習も講師の先生方は実に素晴らしい提案で、ひとつひとつのプレーを解説されます。奔走される先生方に頭が下がります。
大会の役員をやっていると、同じ野球部の顧問のはずなのに非常に残念なケースを目にします。せめて大人同士は心が通い合ってすすめていきたいものです。今日は懸案の「コリジョンルール」について、本部審判としての心得を確認しました。語弊を恐れずに述べると、野球を知っていると自負している保護者が「今のはコリジョンルールで……やろが!!」とか、今度の夏の大会でどこぞの会場で問題になることが出てこようと想像できます。別にこの保護者さんを責めるのではなく、我々がきちんとそのルール改正に備えてジャッジメントをしようというような常識的なコンセンサスだったと理解しました。もちろん、技術的な押さえはあった上です。きっとアマチュアのいろいろなところで議論されているのだと思います。
ともあれ、こういう裏方を知らないまま退職される先生もきっといるでしょう。たいへんではありますが、バックヤードの苦労と楽しみは野球部顧問のもう一つの醍醐味といえます。夏が近づいています。

2016年6月5日日曜日

春季大会雑感(スタンドの様子を中心に)

昨日は一日かけて準決勝と決勝。良い試合が続きました。僕が球場の当番にあたっていたので、野球部も見学に。
この「見学」というのが難しくて、どうしても観戦している様子が気になります。一年生は球場に驚いていたようで「ここで試合してみたいなあ」と。この気持ちを大切にしてほしいと思いました。上級生たちは残念ながら集中力が続かない。お昼を境に解散にしました。
僕が球場当番だから見学ということにしましたが、そもそも「何のために」観戦をさせたのか。アンテナの感度が低いところにレベルの高い発信はどこまで受信できるのか。結局観戦の態度に注文がつき、お小言を繰り返す。自分のチームでありながら、なかなかうまくいかないもんやな、と一人で思っていました。僕は一日中野球を見ていられますが、今の中学生でそういう子はどれくらいいるものでしょうか。大会見学というフレーム自体が正しかったのかを考えなおすべきかなと思いました。生徒を一喝して静まらせ、我慢させて観戦させる。こうなったらこっちにも責任があると僕は思います。2試合、じっと見ていられる集団にできていないのは反省です。
スタンドにもいくつかの学校が見学に来ていました。学校の様子は実に様々。いやいや来ているような子が多い学校は残念ながら先生がしんどそうでした。球場のお仕事を担当してくれる学校もあります。前任校で、ある時期に球場の担当を任せてもらえるようになりました。当然、我慢して観戦できないような集団では仕事どころではないので、任せてもらえたときはちょっとした喜びでした。(球場近くの学校に会場のお手伝いをしてもらうのはよくあることです)
うまくいかなさの原因は実は違うところで感じてはいます。しかし、ここには書きません。僕らの仕事の多くは、しかも悩みの多くは書けないことがほとんどです。スタンドの様子から、昨日もいろんなことを考えていました。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...