2016年11月28日月曜日

7人の走り込み

今日は会議。キャプテンにメニューを渡しておいた。僕がグランドに出た頃にはもう外は真っ暗。グランドの入れ替えがあり、小さな面で何やらコーンの用意をしていた。僕が決めたメニューができなかったのかもしれないと思い、生徒に聞くと、もうすでに終わったとのこと。プラスアルファで、走るメニューをやっておくようにと言ってあったのを受けて。30メートルを計って、ダッシュをするみたいだった。
先に走るメニューをやったあとなので、ダラダラと走るかと思いきや、ラインまでしっかり走っていた。僕が居ても、だらだらとするときはやってしまう子たち。でも今日はキャプテンが走る前に声の出し方や、走り方を自分たちで決めてやっていた。
横でエースの子が先のメニューをまだ終えてなかったようで、長い距離を走っている。休憩もそこそこに、こっちに入ってきた。細かいことを言い出すと「みんなが終わってから」「休憩をしっかりとってから」などあれこれと注文をつけたくなるところもある。でもこれで十分。自分たちで考えて、その枠の中できちんとやりきっていたので僕はメニューが終わったあとに整備を手伝った。暗い中、残ったのは7人。塾などの用でどんどん抜けていく。その中で一番つまらないはずの走るメニューをやっていた。(「走るメニューは楽しいんです!大きな声をみんなで出して助け合って!」とかいう意見もあるのはわかっています。単に僕がそれに与しないだけです)
最後までいた子だけがうまくなる、鍛えられていくやり方は確かに一考の余地はある。それにめげず取り組む子たちに場と環境をどうやって与えてやればいいかずっと考えていた。
横で「がんばれよ!」「最後まで!」と声をかけるだけ。7人の走り込みを横で見ているだけの日。こんな日もある。

2016年11月23日水曜日

「ブロック選抜大会」〜盛況の観客席を見ながら〜


今日は有志の大会、ブロック選抜大会。各ブロックの大会を経て、有望な選手を集めての大会。いわばオールスター。高校の関係者も見に来られるおもしろいイベント。良い選手が多く、見どころの多い初日だった。ヒット性の当たりをアウトにしたり、快速球で三振の山を築いたり。フェンスオーバーや直撃の当たりも何本も見られた。僕は1つめの試合の2塁塁審。接戦だったので緊張感のある試合。良いゲームだった。審判をするのにも緊張。たくさんの先生方や保護者が見ているなかのゲーム。いろいろ勉強になった。
ウチのチームからはバッテリーが選出され、2試合目の先発出場を果たした。近年、試合の主要な場面での出場がなかったウチの子たちが、今日は先発出場。しかもバッテリー。今年のバッテリーは荒削りだけどおもしろい二人。思うようにいかない展開に失点もあったけど、試合後は清々しかった。監督の先生も誉めてくださり、こういう機会を与えていただいたこと、与えてやれたことにとても満足した。
自チームの生徒を謙遜からか、なかなか誉めない人もいる。このタイプの先生のほうがきっと多い。僕は、最近こういうのには素直に応じる。今年の二人もいろんな先生に誉めていただいた。今年は本当にしっかりしたバッテリーだと思う。チームとしては課題が多いので勝ちきれない。この二人にも当然課題はある。こういう課題を直視して向き合う機会になれば。今回の大会はそう思って臨んでいる。チームにそれを持ち帰って研鑽し、自チームに還元して冬を越える。いろんな意味合いがある大会。
観客席は大盛況だった。保護者や歓声をあげ、ベンチが沸く。部活動の処遇をめぐって議論がやまないが、こういう場面を見るとやっぱりいいなと思う。自分のチームの子が出られないときに、ふと、自分の子どもが出番を待つのを見守る保護者の気持ちになった。いつ出られるのかな、活躍するかな。僕はこういう子たちを指導する立場にある。こういう感覚を大切にしないといけない。生徒を邪険に扱い、プレーの拙さに猛烈に怒(いか)る。勝つためには必要な要素なのかもしれないが、楽しそうにプレーをする今日の姿は指導者の反省の材料にしなくてはならないと切に感じる。ウチのブロックの監督やスタッフの先生がいみじくも言っていた「やらされている声なのか、自分からの声か」ということ。ブロック屈指の選手たちを集めても、指導していく言葉は普段かけているそれと違わない。おそらく部活動指導の根本はこういうところなのだと思う。「野球で教える」つもりが「野球を教える」指導になり、いつか関わる僕らも「野球が教える」部分を忘れてしまっている。育てたように育つのが生徒。地道な1ページずつの積み重ねでしか成長はきっとないのだと思う。
「楽しかったです」「悔しかったです」とウチの二人が今日の感想を話していた。野球が楽しいという感覚を、もっと普段の活動の場面に感じてほしい。感じさせるのは僕たち。寒風のなか、詰めかけた生徒の保護者や関係者の気持ちを少しでも感じて生徒に向き合いたい。

2016年11月13日日曜日

裏方としてのブロック大会

今日で全日程終了。おかげさまで日程の順延などなく、無事終えることができた。僕は数年ぶりのブロック委員(いわば地区の世話役)になり、今回とても勉強になった。数年前は先輩といっしょにやればよかったし、わからないときは周りの人に聞いていればよかった。失敗しても「まあしゃあないやん」と許してもらえた。でももう僕もいい年なのでそういうのがそろそろ通用しない。というより、意見を求められるときさえある。頼りないブロック委員だと改めて思う。
今回、会場校のご準備がこんなにありがたいのかと実感した。誰よりも早く学校に出向いてカギを開け、生徒に指示をして会場を作ってくださる会場校の先生方。そして生徒。せめて会場校が試合のときはお手伝いを、と思って当番を回そうとするも、ウチは練習試合さえできない狭小グランドで「他人のためにグランドを作る」ということを経験していない。一方で、てきぱきと1年生でもよく動く会場校の子たち。しつけがどうとか言うけど、OJTで得られる経験知は大きい。
ウチにとっては裏方の仕事は生徒にとれば面倒なものかもしれないけど、僕としては教育効果の大きいものだと思った。ネットの裏で、このブロックで指折りのピッチャーが出てきたときに密かにタイミングを合わせるウチの生徒。ボールが飛んだら走ってもらいに行く子。隣に座ったこと「歓談」している子もいる。こそっと見えないところに行く子もいる。2試合の当番に我慢できず、しんどいと感じる子がほとんどだったと思う。ウチの課題がここでも確認できたので刺激していくしかない。
こちらの不手際、準備不足で会場校に無用な負担をかけてしまった。昔からよく知る先生がそのことを終わってから指摘してくれた。こういうのはきっと言いにくいことだと思うのに、わざわざ忠言しに来てくれてありがたいと思った。来年の反省にしていこうと思う。
賞状の準備、ボールの手配、優勝盾の確認、日程の調整。自分の雑なところがはっきり出て、まだまだいい加減な仕事をしていると思った。周りの先生方や生徒に助けてもらってなんとか終わった。
人任せにできる年齢ではなくなった。今更だけど、本当に反省の多い大会だった。みなさんに感謝。スムーズな進行ができず申し訳ありませんでした。また明日からもよろしくお願いします。
今日はナイスゲームの連続。ここでウチが野球できないことをみんなはどう思ったか。野球ノート2,3行で反省とも言えない「反省」を明日確認する。生徒の成長につなげるために、僕はもっと汗をかかなくてはいけない。反省です。

2016年11月12日土曜日

練習第一

先日のブロック大会に敗れたのでこの土曜日は練習試合をお願いしようと思っていた。でも試合は出られない子にとってはつらい時間。「見るのも練習」とか言うのは大人の勝手な都合であって、やっぱりベンチにいる子はしんどい。ということで今日は試合前の調整でもない普通の練習。こういうのも悪くない。
今日はたっぷり二時間のノック。ウチは打ち取っても守備で乱れることが多いのでシンプルに数を取らせたい。エラーもよし。ただ、前に出てこないエラーにはみんなで叱る。こういう中でじっくりやれた。暖かくなってきて打つ練習。これがいつも課題。冗長になってしまう。でも個々で課題をクリアすべく、しっかり振っていた。走り込みはショートダッシュ。5Mを20本、10Mを10本。朝のアップのときにランニングメニューを組んでいたのでこれでよし。今日はこれであがった。
今日の練習に2人の遅刻。ウチはどうもこういうところが締まらない。遅刻について、ウチは特にペナルティを課していない。試合であれば出られないが、今日は普通の練習。考えようによっては痛くも痒くもない。いろいろ考えた。
「明日、遅刻者が出たら明後日以降……」「明日全員時間通りに来たら月曜の朝清掃なし…」「遅刻者が…」
やめた。たぶんそういうことじゃない。地道に「遅刻はあかん。野球以前のことで失敗してたら野球どころじゃない」と言い続けることにした。いつもの注意。ひょっとしたらまた遅刻する者がいるかもしれない。明日も。でも、ペナルティや厳しい叱責で縛り上げても意味がない。こういうのは本当に時間がかかる。チームの意識をもっと底上げするのが第一。練習を大切にする、活動の時間を大切にする気持ちをもっと高めるだけ。言い続けること。しんどいけどこれが最良と信じてやっていくのみ。
練習は良いことも良くないこともある。キレイごとだけの発信はやめて、こういう普通のウチのありのままの日常をもっと発信していこうと思います。タイムラインには全国有数の強豪校の動向。ウチはウチの課題をひとつずつクリアできるよう頑張ります。

2016年11月6日日曜日

「ネガティブの準備万端」〜負ける準備〜

ウチのブロック大会が終了です。二度負けたら終わり、というWBCのシステム。ウチは2敗目になったので本日で終わり。一度勝ったN中にリベンジを食らいました。悔しい限り。
野球心理学。前々から僕が言っている「野球独特の心の揺れ動き」に今日は翻弄された。まいった。
今日の試合で確信したことがある。野球は間のあるスポーツなので心の持ちようで流れが有利にも不利にも働くもの。特にネガティブなイメージを持てば体はそちらの準備をするので、うまく動かない。今日はそれを思い知る具体的な場面がいくつかあった。
ウチが長打性の当たりを打った。レフト線ギリギリ。バッターランナーがファールと思って走っていない。結局フェアになり、シングル止まり。
ウチの守り。特別延長戦で点を重ねられ完全に劣勢になったときにフラフラとセカンドベースあたりの飛球。誰も自分で捕ろうとせず人任せ。捕れないと思って打球を追っかけている。
細かいのはいろいろあった。叱責したり怒鳴ったり、そういうのをベンチで出さなくなって久しいけど、どうもここぞというときに生徒がネガティブな心の準備をしてしまう。よく「ここまで自分は準備してきたのだから」と準備を自信に変えて結果を出すことがある。どうせ失敗するならトライして、やってみて、気持ちよく打ってくるイメージをして、しっかり守りきるイメージをして、と、生徒にプレーさせられなかったことに激しく悔いた。
「強気やぞ!」なれない。「開き直れよ!」なれない。僕は言わないけど「楽しめよ」そんな楽しくない場面を楽しめるはずがない。
技術指導の繰り返しがたぶん自信になるのだろうけど、できる技術があっても心の持ちようで良いパフォーマンスもできるものもできない。今日は最高にそれを思い知った。人の心をありようを研究した書物はあまたある。技術と両輪で、ウチのチームにしかできないメンタル面の強化をこの冬にしっかりしていきたい。
相手が強かった、で終わらないしつこさ。最終回に追いついて延長戦に持ち込めたのが収穫。ダメなところは個々で感じているはず。生徒がゾーンに入るためのサポートを、そういう練習をもっとやっていく。悔しくて今日は寝られへんなあ。ネガティブの準備万端では勝てるものも勝てない。絶対これで終わらんぞ。

2016年11月1日火曜日

「ペナルティとしての掃除」

苦い思い出がある。ウチはかつて忘れ物をしたら活動に参加させず、掃除をさせていた。平日のある日、レギュラークラスの真面目な子が活動に必要な道具を忘れ物。何を忘れたかは覚えていない。その日は例によって掃除。野球ノートに「今日は何にもプラスにならない一日だった。自分が忘れ物をするから悪い。次から気をつける」というような文面。その日からペナルティの掃除は一切やめた。もう3年くらい前の話。
どの学校でも、何か失敗があったときに懲罰的に掃除をしている姿を目にする。これは果たして意味があるのか。練習をさせてもらえず、掃除をしたくないから、好きな野球ができなくなるからそのペナルティに見合う反省ができるのか。卑屈になるだけではないか。
一方で、試合の日はまだ厳然とこのようなラインがある。忘れ物、遅刻に関してはゲームに出さない。試合の日に忘れるっていうことは公式戦でもやりかねない。試合の日に緊張感がなさすぎる。ここはいまだに僕の中では変わらない。出してやればきっと野球という面では上達するかもしれないが、大切な日に自分のミスで失敗しても許してもらえる、という「負の成功体験」(あえてこう表現したい)をしてしまう。試合は練習の延長。わかっている。でも試合の日は僕はまた違っていいと思っている。
日常生活で失敗をして、野球をやらせないことがある。でも僕は掃除はさせない。みんなの手伝いをさせたり、僕といっしょに何か違う活動をさせる。場合によってはそれが掃除になることもある。でもそれは「ペナルティ=掃除」という安直なものではない。教育効果を見込んでの活動。詭弁と思うならそうとってもらってもかまわない。
繰り返しになるが、ペナルティとしての掃除がいったいどういった教育効果があるのか。「身を清める」とかいう声が聞こえてきそうだが、やっている本人が自覚しているそれと意味合いが違う。掃除は概して面倒で、できればやりたくないもの。それを利用したペナルティ。指導者はすぐに生徒や選手をそのような方法で律そうとするが、生徒の失敗にしつこく付き合って「もうこのチームやこの人(先生)に迷惑をかけてはいけない」と思わせることが、本当にその子に必要なことではないか。
エースやキャプテン、主力が集合時間ギリギリに来るというのが僕は許せない。野球は9人いればできるスポーツ。でも、どの9人でやるのかということ。サブの子たちが「あれ、今日はあいつ来ないんかな」「おい、これって遅刻するんちゃうの?」と仲間に心配させて、しかもしれをたびたびやり、平然と直前に現れる。当たり前のように試合に出る。試合ではサブの子が遅れて登場し、ミスをして当たり前のように指導者に叱責される。遅刻ギリギリの「ヒーロー」はそこではいっさい非難されない。これって理不尽だと、僕は昔から思っている。
話がそれた。掃除はペナルティではなく、みんなでするもの。意味がわかって隅々までするもの。ペナルティの多くは、指導者の「言葉」で本来済むものが多いのではないか。チームに迷惑をかけたのであればみんなの前で謝罪させ、そのあとの行動でまた指導すれば良いのではないか。そこでのサボりは徹底して指導できることになる。安直に手を染めがちなペナルティとしての掃除。そうじゃない生徒への迫り方を最近良く考える。たぶんこんなことを言っている僕の姿は周りには甘く見える。特に部活動の世界では。でも、子どもの様子は変わっている。「言葉」や「会話」というものが、ペナルティに変わるものになりつつあるように、学校の部活動の現場にいながら思う。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...