2017年3月16日木曜日

「外部指導者と顧問」

いよいよ外部指導者が、本格的に部活動の指導に従事できるようになる。これは僕は朗報だと考える。これだけ教員の仕事の負担増が話題になっていて、何も救済措置がないのは問題。これでホッとできる先生は多いはず。休日の活動、大会の引率の権限ももてるという。ここではっきりと線が引ける。
ただ、僕は一方で違うことを考える。
顧問の先生の立ち位置はどうなっていくのだろう。前々から、僕は「やってもやらなくても、どっちでもいい」という制度設計は教員にとっては踏み絵になると言ってきた。「あの部は先生が見ているのに、ウチは違う」みたいな、そんな周囲の目といかにつきあっていくかに思い至る。やっていないことが、熱意の有無の判断材料になってしまうということ。ここはシステムがうまく浸透していくことを願う。
もう一点。教員養成段階で、しっかりとした部活動指導論を取り込んでいくべきだと考える。中学校、高校の先生の仕事のなかで、現行のシステムでどうやっていくかについてほぼ丸腰で現場に立つことになる。学級経営と同じくらいに、部活動指導、部活動経営は難しい。しかも、ほとんどお手本もなく、競技性、専門性の延長線上で部活動が行われているのが実情。野球はこう、サッカーはこう、吹奏楽はこう、文芸部はこう。「俺はこう教わってきた」「休み? そんなの与えたら何をしでかすかわからない」という風潮が今も現場では根強く残る。今日的な部活動指導がもっと研究、開発されていくことが求められている。
いたずらに外国の制度やコーチングの理論を取り入れて、というのではない。日本で脈々と続いてきた部活動指導の流れをふまえた、今日的な指導法、経営法。そういうものが外部指導者についての制度設計がなされる一方で、しっかりと開発されていってほしい。
最近でこそ「部活動指導」を謳った書物が見られるようになった。お叱り覚悟でいうと、その多くは現場発のものではない。いま実際に従事している人からの調査や取材のもと、構成されたものがほとんど。これで救われる人がいればいいが、その効果については今後しっかりと現場や研究者が精査していかねばならない。「で、結局どうすればいいの?」について、きちんとした答えを出せているのか。個々の事象から理論を抽出したものも、指導法、経営法を考えていくなかで出てこないといけない。「休んだほうがいい。こういう先生もいる。こういう法律もある」という「ありがたい主張」に「それはわかっているんですよ、でも……」となってしまう、本当にしんどい人が救われる一手。現場と研究者、(この言葉は好きではないが)有識者が必死に考えていかないと。今日も苦しい人はいる。明日の部活動で、先生たちが救われる、やりやすくなる方法。実は大切なのは方法じゃなくて、考え方だと思っているのだが。これについては、いずれまた書きたい。
外部の力を借りるという施策はひとつ発信された。次は、中がどう変わっていくか。仕事が増えていくようなものではなく、現場の先生が本当にやっていけるようなもの。養成段階の学生、初任者、若手がうまく部活動指導をやっていくには。授業には指導案がある。学級経営には先人の知恵が文献、資料、書物に残っている。部活動にせっかくスポットが当たってきたのだから、学校の先生の仕事としての部活動指導をどうやっていくか。そもそも、これは仕事ではないという声には積極的に外部の力を借りていけばいい。でも、教育効果を考えていくときに、先生が従事する部活動指導は僕は捨てがたいと思う。捨てがたいというか、残っていってほしい。苦行としての部活動指導はもう時代の要請ではない。
次はどうなるのか。上から降りてくるのを待つのではなく、現場にいる一人として、発信していきたい。熱心な研究者の先生もいらっしゃる。対立構造でとらえるのではなく、せっかくなのだから一緒に考えていけばいいと思う。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170315-00050054-yom-soci

0 件のコメント:

コメントを投稿

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...