2017年9月12日火曜日

「夏休み明けの生徒の姿とは」

新チームで過ごした夏休みが終わり、2学期の日常が始まると、途端に魔法が切れたように生徒がうまくいかなくなることがある。特にしんどい学校などはそうだ。
夏休みは顧問の指導のもと、張り詰めた時間を過ごす。曲がりなりにも、好きなことに触れている時間で一日が終わる。確かに体力的にはしんどい。でも試合に出たい、勝ちたい、うまくなりたいという気持ちが徐々に大きくなり、いつのまにか2学期になる。そして2学期になると、授業、友人、係の仕事、清掃、取り組みと、生徒の日常に戻っていき、やがて部活動が生徒の日常の一部であったことを思いだす。さっきまではそれが日常だったのに。ここに意識の歪みができ、思うように授業や学年の動きに溶け込んでいけない。部活にのみ打ち込んでいた純粋性が日々のよもやまに薄められ、夏休み中の頑張り、踏ん張りとは違う姿になる。よろしくない友人と交友がある生徒は、やはりこういう子たちとまたつるむようになるので、見る陰もなくなる。
2年生の夏を終えたのに、なぜ急速に意欲を失っていくのか。憧れていた恒常的に試合に出るということが叶えられ、技術的なところの物足りなさに無関心になり、日常の遊びのほうがおもしろくなってしまったり、楽な方に流れたりする。そういう子がいても全然珍しいものではない。
「夏休みは一生懸命やってたんですけどね」と漏れ聞こえる声。そんなの当たり前の話で、それしかない生活だからそうなっていたまでの話。僕は性悪説を元来とらないが、生徒に関しては「そういうもの」と思っている。善とか悪とかじゃなくて、そういうもの。どれだけいい子でも、2学期のはじめのうちはしんどいのだ。
こういうときにどうやってガスを抜いてやるのか。猛スピードで駆け抜けた夏はもう終わった。どうしても日本のスポーツは量で活動の善悪を捉えがちだ。でも、日常の一部に戻った彼らの生活のなかで、部活動に純粋に打ち込んでいってもらうためには矛盾した言い方になるが、一気に環境を取り上げることだと思う。延々とあった時間をよりシビアに切る。秋は日が短い。雨も多い。そんな日にいたずらにだらだらとしない。土日、休みを入れるのも適切。生徒も疲れるのだ。
教師にとっても9月は正念場。落ち着いた学校、学級でも、荒れる要素はそこかしこにある。現象が変わり、空気が変わってきたらそれを生徒に伝えることが大切。ここで教師が疲れるとややもすると大声で現象を止めてしまい、傷口にガムテープを貼るような処置になる。「そういうもの」と僕は思っているので、9月は声をかける前に、みる。クラスも野球部も、今までとは違う姿になっている。その差異は何か。だいたい、こうなってほしいというイメージとは違っているもの。だからこそ、みる。
最近はそんなふうに思って、生徒のなかにいる。

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