2017年9月27日水曜日

「個人練習は順調さのバロメータ」

ミスは嫌だ。試合で「また同じミスを」とか「これは準備してなかったな」とか、そういうことを言い出したら野球はどれだけ時間があっても足りない。でも、任せる。
ウチの野球部は現在5人。それでも練習のラストには30分ほどの「個人練習」を課している。自主練ではない。自主練は、やってもやらなくてもいいという読み方もできる。違う。枠は与える。その時間内に何をやってもいいというもの。
今日のラスト。ある子はテニスボールで実践打撃。横でピッチング。向こうで走り込み。僕はバッティングの守備。5人がそれぞれやっている。生徒がやりたいと思う練習が、こっちのやってほしい練習になるのが理想。提案すればきっとやる。でも、なまじ提案はしない。試合のあとに「こういう練習が必要やったな」と、染み込みやすいタイミングで話す。野球ノートにはそのような振り返りの文字が目立つ。で、それが週の練習に反映されていたら◎。でもこれがなかなかうまくいかない。アドバイス直後はやる。でも、週の中、終わりになると結局自分のやりたい練習になってしまう。切実さが忘れられ、ぼんやりと自分のやりたいことにしか目がいかなくなる。こうなると僕は自分の声かけがまだまだだと感じる。
個人練習の様子は、チームの力のバロメータ。うまくいっているときは各々、やるべきことに向き合っている。ある子が言っていた。小学校時代はいろいろ教えてもらったけど、中学は何をするか考えないといけない、と。だからと言って、小学校時代の練習を否定しない。それのおかげで、いまのパフォーマンスがある。理想は、技術が未熟な子にできる子が教えてやっている風景であり、未熟な子が上手い子に質問できるような環境。もっと上積みを望むときは難しいことをどんどん提案し挑戦させる。やってみよかな、と向けるのが僕の仕事。
僕がいないとできない生徒になってほしくない。でも現実はそううまくいかない。それをわかった上で全部任せるときもある。僕は何もしていないように見える。これで力がついていけば。まだまだ途上。人間力とか、命を懸けるとか、否定はしないけど、生徒の日常の文脈に落とし込めているか、指導者は敏感であるのか。勝てば官軍。敵はその考え方。それは学校にはなじまないのです。

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