2017年9月15日金曜日

「他学年のチーム」

これも自分の問題意識。僕の実感だが、自分の学年のチームはまず部員数が多い。それと、思い入れが違う。加えて、直接見ているという強みで生徒と関われる。何年に一回かだけど、自分の学年のチームはまた違う気持ちで関わる。これはどう取り繕ってもウソはつけない。
一方で、他学年がメインとなったチームは、指導はいつもどおりすれど、どこまで染み込んでいるのか実感しづらい。常勝チームならいい。伝統が生徒を引っ張ってくれるから。伝統も実績もない普通のチームで、他学年の子たちといっしょに部活動をしていく難しさはあまり言語化されていない。明らかに顧問の接し方、関わり方が違う。
他学年の子たちと心理的な距離を縮めようとするなら、授業に行くのが一番良い。見学ではなく、授業をしに行く。でもこれは無理な話。そもそも、部活動がメインにある教師の動きだ。違う。日常の授業や取り組みがあって、かたわらに部活動がある。ここの認識がおかしい人が、現場には多い。自分の部に所属する生徒の全部を知っている気でいる。あまり言いたくないけど、年長の先生にこの傾向は強い。生徒は後光で動いている。それに気づいていない。生徒は目の前では常に従順。そうではないドロドロとした部分に目を向けて、曝け出させて勝負している先生に僕は心から尊敬する。威厳なんかいらない。生徒が「この先生についていけば大丈夫」と思うには、怒声もいらないし、膨大な時間が必要なわけでもない。すーっと、生徒の心に迫る切り込み方が出来ているか。僕はここが絶対的に足りていない。
生徒をわかっているというのは明らかに教師のおごりだ。わかろうとすることが大切なのに、わかった気でいて失敗、ミス、エラーがあったら現象面だけに目を向け指導する。それでは生徒は後ろを向いてベロを出している。出されて悔しい、というのは思い上がりで、きっとそんなもんだと思う。これだけ部活動以外の刺激がある生活のなかで、没頭させようとするには怒声でも、威厳でも、膨大な時間でもない。
生徒が向き合いたいと思える環境をつくること。自分の学年のようにかわいがる。他学年だからわからない、というのはおごりでもあり、真理でもある。そこを自覚してから初めて、生徒の心に迫れる指導ができるのだ。

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