もう自分の居場所ではないのに、自分がまだそこには必要な存在だ、求められている人だと勘違いしてしまう。何度かそういう思いをしたことがある。
初任校を転勤して、ある席に招待された。つい数ヶ月前まで一緒にいたのに、行ってみれば簡素なものだった。かつての仲間が声をかけてくれるけど、もうすっかり僕は過去の人。懐かしいメンバーと楽しい時間を過ごせると思ったら単に置き物みたいに、隅にいるだけだった。さすがにヘソを曲げて帰りはしなかったけど、これなら来なかったら良かったと席の途中で思った。自尊心が挫かれた。そもそも自分は何者でもないのに。
野球でもあった。ねぎらいの電話、時間を割いての訪問。喜んでもらえると思ってやってみたのに、ほとんど無反応。そもそも相手のためにやっていることではないから、それは仕方がないことだ。それなのに、失意で帰路につくのはなぜだろう。
「近くに行くから」と連絡があった恩師。久しぶりに会えると思って、休みを頂いてそこに行ったのに、話したのは数分。あれ、このために?
過去の人でしかない自分と、いまいる場所の自分と。連絡がないくらいが忙しい証拠で、元気な証拠だと昔から言う。
過去のあれこれを後生大事に持ち続けるのは愚かだと、そろそろ気づかないといけない。
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