2016年3月18日金曜日

「大会直前の雰囲気」〜「部活動指導の限界」考〜

明日、春の大会1回戦です。これに向けて、力のあるチームと週末にたくさんゲームを組んできました。連戦のしんどさ、そのなかでの継投、失敗を次に活かすモチベーション。積極的な失敗を奨励し、勝つことを目標にしながらチームの、自己のレベルアップをはかってきました。やればやるほど技術的な課題が浮き彫りになり、それを支える日常の姿勢が問われる結果になりました。
今週の月曜。完全オフにしました。久しぶりのオフ。朝の掃除も回避し、荷物を持ってくるのみの集合。すると、これができない。ノートの提出遅れがあったり、主力の子の体調不良が続いたり、不安定な状態が今週は続きました。えてして、こういうときに限って会議や突発的な指導が入るもの。じっくり腰を据えて指導ができた日はありませんでした。雨の中、辛うじて今日小さい面のグランドでノックができたくらい。大会前なのに、僕はいったい何をしているのだろう。今日は先週来続いていたインフルエンザ禍を受けて、国語の文法の補習をしました。6人。大会を優先するなら、別に今日じゃなくてもいい。でも、休んでいる子たちが出てきたので、今日に設定。来週になると放課後は会議で詰まり、補習などできそうもない。今日しか完全フリーの日はありませんでした。もしここで何か生徒指導事案が起きると、きっとこれもキャンセルしていたと思います。積み上げてきた大会までの実戦経験を、グランドで全く僕は反映させてやれずミーティングのみの「遠隔操作」しかしていません。ボールがなくなったり、生徒に揉め事があったり、どんなことがあっても本来は責められる義理はないはずなのです。でも、漏れ聞こえるいろいろな声に一喜一憂し、申し訳程度に昼休みに集めていろんな話をしてきました。
大会直前に盛り上がってもいいはずの緊張感は、日常の授業や生徒たちの日々のよもやまで日毎に弱くなる。一部の子がもどかしくそれを感じ、指摘できればいいがそれが諦観になってくる。これが一番あってはならない状態です。わかっているのに、そばにいられないというのが僕の日常です。
こういうなかで生徒が失敗したら指導者は寛容にいられるでしょうか。僕はうまくいかず悔しい思いをする生徒の姿をみるととても苦しくなります。朝練、遅くまで練習、土日終日練習。こういうのをすれば量としてはカバーできるでしょうが、そもそもなぜ平日は指導することができないのでしょう。仕事のスリム化、というより、システムとして平日の練習は特に中学校の現場では指導がやりにくい現状にあります。もちろんケガも怖いし、見ていない間にヒドゥン・カリキュラム化される悪しき慣習が行き渡ってしまうのも怖い。残念ながら、こういう面をみていくと現状のシステムは限界を超えているとしか言いようがありません。
外から見るとその異常性にはすぐ目が行くだろうし、「べき論」を云々しやすい。中にいる者はわかっていてもそれにがんじがらめになって、慣例を踏襲していくしかない現状があります。外部とか指導のプロとか、そっちに完全委任するならそれでもいい。「やろうと思えばやれる」という状態は僕にとって一番やりにくい状態です。熱意がないからでしょうか。平日の積み重ねが週末の試合や公式戦に出るのではないでしょうか。仕事術でなんとかなるというなら僕は努力不足です。
日常生活をきっちりやりなさい。こういうお説教は指導者は得意だし、誰もがしている。努力ではどうにもならない平日の練習のあり方を、現場はもちろんシステムを考えていく人たちにきっちり見てほしいと強く思います。教科の教師として赴任している学校で、いろんな分掌を兼務して顧問をしている。生徒にしわ寄せが行き、ひいては休めない顧問が疲弊する。休んだら罪悪感をもち、落ち着かない。そんな権利はないのに、定時退勤していく先生を恨めしく思う。若いうちは俺もそうだった。こういう声は昔と違う現代の先生には実にしんどい声だと思います。
間隙を縫うような今週。一生懸命自分なりに準備して、生徒のパフォーマンスを支えたいと思います。雨の中だったけど、ノックを打ってやれて今日は満足でした。しんどいけど、ちょっとでも野球が好きな生徒が増えてほしいと願い、大会に臨みます。楽しみです。

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