2017年6月11日日曜日

「『野球部らしく』の弊害」 〜いまどきの部活動指導論としての一提案〜

今週は土日のゲーム。体調不良の子がいたり、所用で抜ける子がいたりと、昨日は11人、今日は9人で活動。この時点ですでにしんどい。
連日、エース不在。その日のベスト、というのが僕のポリシーだけどエースがいないというのはどう気持ちを整理しても大きい。でもその分、いつもと違うポジションを務めたり、普段出る機会が少ない子が試合経験を積めたりと、それ相応の楽しみがある。昨日は午後、今日は午前の活動。
昨日は2回で5失点。やはりうまくいかない。敗戦ムードがすでに漂う。相手チームはギャラリーで沸き返り、こちらに憐憫の情をもつ人がいただろう様子。しんどかった。僕はどれだけしんどいゲームでも大逆転をしてきたゲームを何度も見てきた。こと、夏の大会はそう。この日も序盤に大量リードを許しはしたが、ここからどれくらい巻き返せるかと考えていた。こんなのはキレイゴト。やっている生徒はほとんど無抵抗。でも、僕のそういう言葉に呼応してくれる子がいる。ここから巻き返して10ー6で逆転勝ちした。ビッグイニングを作って流れを引き戻した。良い経験になった。2つめもよく打った。良い部分がたくさん出た。
今日は9人。やりくりがやっぱりしんどい。1つめは競り負けで敗戦。2つめは序盤リードを守って逃げ切り。でもムードが盛り上がらない。ここで「元気出せよ!」「声な!」とハッパをかけるも、やはりいまひとつ。結局疲れが抜け切れていないのが生徒のパフォーマンスを下げた大きな理由だと思う。体力がないとか、覇気がないとか、きっと生徒もわかっている。目に見えてリウ現象で生徒を評価するのはハードなことだと思う。
「杉本先生の思っている感じではないのではないですか」と話の中で出た。きっと緩慢な様子に見えたのだと思う。キビキビして大きな声で、というのは理想だけど、少ない人数で9人でやりくりしている中でどこまでその「理想的なキビキビ」を求めるかというのに、関心が向く。健気に全力で向き合おうとする生徒の姿は確かに理想。ただ、理想のために実を見ないまま名をとるのはもういいかなと思って、あまりうるさく言わなかった。こんな日もある。僕は別にそれくらいでいいと思う。
「野球部とは?」「野球道とは?」「肚を決めて」「死ぬ気になって」など、僕も野球をやってきたので憧れるフレーズ。でも線で生徒の日常を捉えると、そこまで縛り上げなくてもいいのではないかと思う。高校は甲子園がある。甲子園はドラマになるけど、それがいろんなものを見えなくしているのも事実。野球だけやっていればいい、甲子園に出るためには何でもする、って、本当にそんなことで良いのかと思う。
野球人口が減っている。サッカーをやろうとするのと、野球をしようとするのと、初心者がそれらに向き合うモチベーションがあきらかに違う。野球もそろそろ大企業体制を卒業したほうがいい。野球のすべてが甲子園につながっていくというような、変な縛りは日本の野球にとって弊害でしかない。
いてる子たちで、やれることを。僕も勝ちたい。でもそれは生徒と野球を楽しみたいから。勝つための野球も僕にとっては勉強していかないといけない分野。でも学校の部活動はそうじゃなくていい。そうじゃないからできている子たちが、やってよかったと思えな中学校の野球部の活動はリスキーだ。生ぬるいとか甘いとか、別にそんなの気にならない。来週もひとつずつ重ねていく。それだけです。
〈結果〉
H29.610 ✕田辺
① 10−6  ◯
② 14ー6 ◯
H29.6.11 ✕佃
① 2−5 ✕
② 7−5 ◯
来週末は練習とゲーム。玉出中にお世話になります。残すはゲームは玉出中さんと高井田中さんとの二つ。佳境です。

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