2017年6月29日木曜日

「部活動で主体的な活動は可能か?」

今日はテスト最終日。割と長く活動ができる日。今日は30分を一区切りとした練習メニューを提案した。昼食をとっている間に生徒に考えさせる。15:00までの活動と決めていたので、12:00から6つのコマがある。ランチの時間にいろいろと決めていたようだった。
はじめはノック。続いてランナーつき。バッティング、ケースバッティング、実戦形式の3イニングマッチ。キャプテンが指示して、休憩や給水、ノッカーを僕らに委託するなど、おもしろい采配ぶりで練習をコントロールしていた。テスト明けなのでしんどそうな場面もあったが、それぞれの課題に向き合って活動していたように見えた。
15:00になり、全体練習終了。ここで終わるのもOKとした。結果的に数人は帰宅したが、ほとんどの生徒は残って自主練習していた。帰った生徒を責めるような姑息なことは考えていない。生徒を値踏みするような、踏み絵的な「自主練習」であれば生徒を苦しめるものでしかない。別にここに縛りをかける必要はない。
いつもなら個人練習としているので、帰ることは許されない。でも今日は帰ってもいい。だとすれば、純粋に残って練習に励む子たちはポジティブにとらえていいはずで、サボタージュに対しては厳しく対処しても良くなる。サボりにペナルティを与えるわけでもないが、暗黙の了解のなかで生徒は自分の練習に課題に向き合っていた。
生徒に完全に活動内容を委任した主体的な活動は可能か。僕は「そういう活動のトライ&エラーをさせてきた上でなら可能」と感じる。いきなり「今日は自分たちで考えてやりなさい」というのは無理。丸投げするのは愛ではない。自分たちで考えた活動が単に「やりたい練習」であるならちょっと違う。「やるべき練習」であるなら黙って見ていればいい。最初は指示も必要であろうが、枠だけ与えて考えて活動することに慣れてくれば、なんなり練習してみようという気になるようだ。
野球は驚くほどの多数のケースが存在する。これを全部カバーしようとするのはかなりの時間と労力と気力がいる。技術も必要。果たしてどこまでできるものだろうか。ネットで、ライバル校の調査をし、研究して練習に臨み、連日22時くらいまでの練習も辞さない、というある学校の実践例を見た。それって学校がする部活動なのだろうか。そういう世界があってもいい。でも普通の中学生にそれがどこまで可能か。先のネットの記事に「勉強になりました!」とか感じている先生がいたとすれば、僕はこういう事態はゆゆしきことだと思う。何か違うと思う。
主体的な活動は、主庭的に考える練習を重ねて、失敗や回数を重ねて初めて成る。委任と放任を履き違えて、何でもかんでも生徒に任せてしまうのは指導ではない。今日の練習でちょっとそんなことを考えていた。
教室で生徒に任せるとき、何の前提もなく為されることはない。顧問はいるだけでいい、というのが僕の考える理想の形なのです。

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