2017年8月18日金曜日

「ブラック部活動」私見

ブラック部活動の話題。正直なところ、最近の騒ぎに辟易としている。それだけ苦しんでいる人がいるのに、それに寄りかからねばならないシステムははっきり言って破綻している。部活未亡人の話。子どもが幼いこの時期に一緒にいられないジレンマ、というより矛盾は僕はおかしいと思う。ベテラン先生が美談めいた言いぶりで昔話をするのも、僕にはどうでもいい話。あなたはそうだけど僕は、僕たちの世代はそうじゃないと言いたい。時代が違うのに昔のやり方を続ける愚策。ここにどうして手を入れないのか。中学校の先生の仕事から部活動の仕事がなくなれば、語弊を恐れず言うと確実に生徒へのアプローチの仕方が変わる。教科も、学級も。素晴らしい人材が部活動という慣習に絡め取られて、当たり前のようにそのシステムに順応せざるを得ない現状。ベテランの先生は若い頃経験したからもう従事しなくていいのか。面倒なあれこれを若手に任せて「私の若い頃はそうだった」という時代ではすでになくなっている。では、ベテランにもリスクシェアすべきか。僕はそう思う。その分、若手はそれに倣って自分の実践を磨いていかないといけない。もうこれが古いというのなら、潔く中学校や高校の学校現場は部活動を手放すべきだ。高校野球を観ていると、そんなこと口が裂けても言えない。試合の後、クールダウンしている選手を急がせて、大会を回そうとする役員。わかるのだけれど、誰があっての大会なのか考えるといい。興行なら乗らない。教育ならやり方を変えよ。全員がプロフェッショナルを目指すという間違った空気感は是非とも思い直してほしい。教育活動なのか、そうじゃないのか。幼い子が涙しながらコーチの言うことを聞いてる映像。そこらへんの混同を見分けられる社会でないのなら、学校の部活動はますますしんどくなる。現状を知ってもらうための必死の訴え。滑稽なポージングさえある。あかんあかんと言いながら前例踏襲を続けるなら、やめてしまえばいいのにと思う。「子どものために」を我田引水するなかれ。

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