2015年12月21日月曜日

僕の考える部活動指導

Facebookで話題になったので、こっちにもあげます。以下、タイムラインから引用です。


この週末はいろいろ刺激があった。疲労感がただよう。
昨日の東大阪の福島くんとの学習会でよくわかったことがある。彼の部活動指導の話を聴いていくなかで、全然自分が違うことを考えているということ。
もう現行の部活動のシステムは崩壊している。というか、制度上おかしいことがようやく表に出てきた。体罰や大きな怪我をしたとき、顧問の責任が取りざたされているけど、だいたい指導者が不在である時間があるのに活動が容認(黙認?)されている学校内の活動って、部活動以外にあるのか。たとえば居残りで課題をさせているようなケースであれば毎日あるものでもないし、べったりつく必要がない場合もある。けど僕らが日常従事している、特に運動部の活動にそういう瞬間があっていいものかと今頃になって強く思うようになってきた。
生徒との接し方もそう。なぜ顧問はあんなに部員に偉そうなのか。しかも、何もかもを支配しているような人さえいる。不在時にトラブルが起きたり、さぼっているような場面があったりすると烈火のごとく叱りつける。そりゃ、先生がいないときにちゃんとできるはずないでしょうに。諦観ではなく、それは当たり前のことなはず。その前提のうえで活動しているはずなのに。一番配慮すべきはちゃんとやれたかどうかの前に、怪我がなかったかどうか。次に、きちんとやれたかどうか。やれてないにしても、それは僕は仕方のないことだと思う。ちゃんとできたら、よくやったなと誉めてやってもいいくらい。迎合か、これは。
「おまえ何部や?」とすぐ言いたくなってしまう、中学校の指導の変なところもある。何部であってもあかんことはあかんし、結局は「好きで入っている、自分の部活動の顧問の先生に言いつけるぞ」という自分の力ではないものを頼りにした発言。
もし学校の部活動というものが存続するのであれば、土日を公的に休みにしてしまうこと。それでも「好意」でやりたい人はやってもいい。(隣の学校の先生はやってくれるのに、なんでウチの先生は…、というふうになるんですよね、結局これでも。)待遇の面でももう黙って見過ごしてくれないので、ここにも手が入るのだと思う。
技術的な積み重ねを第一に求めるなら外部のスポーツチーム。学校が部活動として運動部を担うのなら、もっと「学校の教育活動の一環としての部活動」という面を強くすればいい。顧問がつけないなら休み、くらいの極端な発想でもいいくらい。僕らはスポーツの一流選手を育てるのが目的ではない。
遅刻したら掃除。こんなペナルティを課していたことがある。今思うと、こんなの絶対意味がない。次しないように、みんなに迷惑をかけたことをきちんと謝罪させる。場合によったら試合に出すことを我慢させる。「それもペナルティや」。違う。我慢をさせるという教育活動。感情的な発想でのペナルティは生徒に恨みを持たせるだけ。(そもそもこの「ペナルティ」という言葉も使い方を誤ると危険)。
部のことは部内で。この風潮も若い部活動顧問を苦しめる。クラスで困ったことがあったら他の先生に相談したり、学年で抱えたり、いろんなフォローの仕方がある。でも部活動はなぜか、この感覚が薄い。競技性や部内のルールは特殊で、学級のルールほど普遍性がない。(あったにせよ、最低限のもの)。特殊であるから外から口を出しにくい。相談するのが当たり前、みたいな感覚が部活動でもあったらいいのにな、と思う。
明日は僕が検診なので活動は休み。僕がつけないときは最近こうしている。何かあったら誰かに迷惑をかける。部活動がなかったら寂しいけど、テスト期間は気が楽になるのも事実。他の部、他の学校、世の中のスポーツ界を取り巻く風潮。気になるけど、顧問の思うようにやっていいのが部活動。だとすれば、僕はこういうふうにやりながら生徒たちと野球をやっていこうと思う。

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