2015年12月30日水曜日

地域コミュニティとしての部活動組織

Twitterで「部活動顧問にもする、しないの選択権を与えよ」というウェブ署名が広がっている。もう2000人近い署名が集まっているらしい。発起人はTwitter上の「部活動否定派」の論客たち。関心を集めるのはいいが、これからどういうムーブメントにしていこうと思っているのか、ここまで大騒ぎになるとそちらが気になる。エモーショナルな動きに見えるのは僕だけか。顔が見えない人たちの署名活動は確かに耳目を集めるだろうが、腰を据えた議論をしようとしているようには思わない。本気なら違う方法がある。
年末になり、外出する機会も増えた。公園に行っても小学生の集まりを見てみると、ここでもゲームをしている。気のせいか、幼稚園(くらいの年齢)の子たち、低学年の子たちのほうが案外昔ながらの遊びをしている。今学期の懇談会の折にも「ゲームばっかりしている」という悩みを聞いた。「外で遊びなさい」と言って、いま子どもたちはいったいどこで遊べばいいのか。また、何で遊んだらいいのか。公園には「危険な遊びはやめましょう」「球技禁止」と謳った注意書き。サッカーや野球をやっていると地域から「公園で中学生が球技をしている」と通報がある。何をすれば子どもたちは正解なのだろうか。ゲームをするな。球技は危ない。繁華街に行くな。人工的に区画された公園で都会の人たちが憩いや遊びの空間を求める。自然と、誰もが共存できる空間になる。言うなれば、ならざるを得ない。
部活動という場が「自分の特性を磨く場」「団体行動を学ぶ場」「上下関係を習う場」と位置付けられて(そう考えられて)長くなるが、そろそろそういう視点は古くなってきたように思う。初めてボールを握るような子、スポーツを本格的に始める子がここ数年で飛躍的に増えた。特に僕が関わっている地域の子たちはその色が強い。「地域コミュニティとしての部活動組織」という視点が、学校の部活動に求められる今後の立ち位置ではないだろうか。
そういう現状で、集団でのスポーツを初めて体験するような子たちに、恫喝したり理不尽なペナルティで縛り上げて勝ち負けを云々するのはナンセンスだ。いかにして「できない」「知らない」と子たちをその競技に向かわせ、かつ、楽しいと思わせるか。勝ちたいという気持ちが出てくるのはそこから。「うまくなりたい」という気持ちは恐怖からは出てこない。うまくいかないことに向き合うなのかで困っている子たちといっしょに時間を過ごして「もっとやりたい」と思える気持ちにさせる。そもそもこちらの指導にも限界があるので「続きは自分でやりなさい」というスタンスで十分じゃないのかな、と思う。
学校と外部は目指すところが違うんや、と峻別して指導に従事したらいいのではないか。制度が変わり「しなくていいよ」と言われたら粛々と教科のことを頑張っていきます。このままではいかん。来年も野球だけじゃなく、国語もクラスも頑張ります。こっちがメインの僕らの仕事なのです。

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