2017年2月15日水曜日

「指導者ライセンスとプロ・アマのこと」

昨日から連投です。
昨日の投稿から「野球関係者の指導者ライセンス」の話題が少し出た。気になったので少し調べてみると、まあ「ライセンス」が濫立していること。これじゃどれを取ればいいのかわからない。野球の指導者は誰でもなれる。そのへんを歩いている人が「僕は野球のコーチができる」と言えばできる状態。

サッカーはその点、ピラミッドがしっかりしている。Jリーガーが小学生やアマチュアを指導しているのをメディアでもよく目にする。いちいちピックアップはしないが、野球は大昔にプロとアマとで大きなトラブルがあり、いまだに断絶状態。それでいて、プロ野球はおそらく日本で一番稼げるプロスポーツ。翳りはあるが、任期は根強い。ただ、誰がどうやって教えるのか、ということは無法地帯。野球がもう古臭くなってきていることに、気づいている人はどれくらいいるのだろう。
プロがあるのにアマに指導できない。「学生野球資格回復制度」で昨今大きく前進したが「回復」とはいったい何がどう回復することなのか、僕は理解に苦しむ。悪いことをするとでも言うのか。
野球において指導者ライセンスの制度を整備していくのであれば、選手が野球に敬意を払い、自分がプレーヤーである誇りをもってプレーすることを最優先にしてほしい。なぜそうするのか、なんのためにそうするのか、というひとつずつにきちんと意味合いを持たせて、指導者が自戒しながら指導することを求められるような内容が望ましい。
おしかり覚悟で述べると、プロが模範にならねば良い文化は育たない。プロたる所以はそこだと思う。ストイックに自分のプレーを追究する姿はアマチュアには大いに刺激になる。そうなるためには、マインドもプロでなければならず、イズムに圧倒されるような指導者になっていかねばならないと思う。
もう誰か忘れたけど、ボールを足で止めているプロの選手を見たことがある。グランドに何かを吐きつける人もいる。そんな人が数億円をもらって、日の丸を背負う。僕には違和感しかない。
昨日述べたような部活動指導者としての教師という視点は、ここで述べた、僕が思う指導者ライセンスの目的とするところに近い。そういうものナシに、本来は指導できないはずだし、できたとしてもそれについて何度も試行錯誤、勉強している人には到底かなわない。人にモノを教えるというのは多分そういうことなのだと思う。人がしないような努力を続ける人、真剣に「どうすればいいか」を考えている人がプロであって、指導者なのだと思う。
野球のプロとアマの話はいつも残念に思う。野球のライセンス制度が定着していかない背景には大人の事情が絡んでいる。それが純粋に「野球がうまくなりたい」「野球が大好きだ」という子の芽を摘んでいることにどれくらいの大人が気づいているのか、そんなことを思う。制度がなくても指導ができる現状で、やはり頼るのは自分の感覚や感性。これを磨いていくことが、現状でのライセンスと考えたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...