2017年2月20日月曜日

「勝つことを意識すると負けることが怖くなる心理について」

先日の春の大会の抽選会以来、野球のことを考え始めると止まらない。ここにきて気がついたけど、ちょっと俯瞰すると「勝つためにどうするか」ということばかり。たぶん生徒もそれに何のためらいも疑いもなく、そういう僕の話を聴くと思う。でもそうなると「あれができない」「これが足りない」と自分たちのネガティブなことばかりに目がいって、それを満たしている(もしくは満たしているであろう)他のチームと自分たちを比較し、勝手に自分たちで枠を作って「勝てない理由」を作り上げて臨むことになる。間違いなく今までがいつもそうだった。自分たちの足りないことをいかに直視せずにかわして試合に勝つか。確かにこういうことは大切なのかもしれない。
最近の自分のやり方で、前なら管理していた部分を生徒に任せてやりきっているところがある。生徒が自分のやり方に自信を持って試合に臨むためには練習で失敗し、練習試合で試し、これでいいやと思って臨める状態にすること。細かい決め事や外せないセオリーはある。そこはボールが動かないとできない練習。なぜ不安になるのか、ということを突き詰めて考えると「失敗したらどうしよう」と考えるから。そこで、自分にはこれしかないという唯一の方法を与えてやることで、腹を決めてやるのが一番いいのかもなということを思うようになった。腹を決めるとか、そんな物騒な言葉はイヤだけど、教室でも失敗したくない空気感に満ちている。でもそれをフォローしたりカバーしたりする存在があることで安心して発信できるようになってくる。ただ、部活動の場はそれとは違う。
勝ち負けという決定的な結果が出る。そこだけにこだわる子ばかりになると、失敗は絶対許されない空間になってしまう。失敗しない人なんかいないのに。こんな強烈なプレッシャーはない。大会は生徒の成長も期待できるけど、うまく力を発揮できなかった子には非常につらい場になる。次がないかもしれない。でもそれが勝負事。
顧問は部の一番のファン。一番の理解者。生徒が、自分のやりたいことができるための準備をしていくしかない。最近、自分が思っていることをゆっくり生徒に話していない。聴く時間もとっていない。自習だけの授業みたいになっている。自習はあくまで自習。いっしょにいるのにこれじゃいかん。勝ち負けより、なぜいっしょにいて野球をしているのかというのをきちんと話して、大会に臨みたい。

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