2017年8月31日木曜日

「キャプテンシー」

教育相談を終え、学年の取り組みを終えてグランドに行った。ティーをやっている途中だったが、キャプテンに様子をきくと「遊んでた奴がおるんで、もう切ります」と言う。ウチは顧問が不在のとき、ふざけたり雰囲気が悪くなってきたりしたら練習を終えてもいいとキャプテンに言っている。このチームになって初だった。
当事者に聞けば、ティーの投げ手も打ち手も未熟なプレーをしていたらしく、いわく「普通にやっていた」と。たぶん外部の野球チームなら起こり得ないトラブル。ここは状況をよく聴いて把握していくしかない。聴いた。ある程度はわかった。
僕はいつも「そう見えたら、そうだ」と話している。違います、というのもわかる。でも、そう見えないようにする努力はあったのだろうか。そんな子もいるじゃないか。そんなことわかってるんです。発言を普遍的に捉えられると困惑するが、ここはわかってほしい。そんなものを割り引いた上で「そう見えたら、そうだ」という話。
ミーティングをする頃にはおおよそ話はわかっていたので、おさえの話をした。5人でもサボる子はいるかもしれない。でもこの人数ではたちまち大迷惑になるし、自分たちがどう見られているかということに思いを馳せないといけない。手立てがあったはず。投げる方も相手が打ちやすいところに投げる努力をしなければならないし、打つ方も事細かに注文をつけたらいい。そういう意味でのサボりがキャプテンにはそう映ったのだと話した。キャプテンにもあとから話す。見方と見え方の問題は教室でも起こる。とても難しい問題。
技術的に未熟な生徒がいるのはどこもそう。でもそれを成立させようと思うのなら、心がけは大切。何よりそばにいてられたらいいが、現状はそこに注文はつけにくい。キャプテンは必死にキャプテンになろうとしている。視点を与えるのもれっきとした技術指導だと思う。

2017年8月28日月曜日

「ごくありふれた、本当の日常の1ページ」

今日から午後は相談活動ウィーク。こんなときに限って違う指導が入る。相談活動もある程度で済ませ、グランドへ。4人しかいないからちょっとでも居てやろうと思って。終わったら5時近く。この時間から何もできないので退勤しようと思って、少しだけやる。で、この少しがやり始めると終わらない。定時退勤かー。部員不足に悩む部活動を子どもたちだけで成立させる仕組みがあれば。いま模索してるけど、こんな人数だと僕らがいることが一番なのかなと思ってしまう。働き方改革が声高にやられてる中、余計に他の人と差を感じてつらくなる人もいるのだろうと思う。今日は部活動の時間が長すぎた。改善できるはず。この仕組み作りに楽しさを感じてしまうのは、専門の部だからだろうな。手強いけどこのあたり考えていくのがおもしろい。

2017年8月25日金曜日

「合同チームの夏」

今年のウチの新チームは5人。夏休み、この5人が毎日そろうかというとそうでもない。少ないなら少ないなりの中学生なりの毎日がある。でも僕にとっては自分の転機になるかもしれないくらい、日々の指導がおもしろい。
はじめはよそよそしかった生徒たちも、知らないうちに下の名前で呼んでいる。たぶん僕が思っている以上にたくさんの情報交換をしているのだろう。良くも悪くもあっという間にチームになっていった。
チーム結成には今回縛りがあって、同じブロックでないといけないということになった。ウチは大阪市のど真ん中にあるので、自転車の移動がどうも苦手。距離のわりに信号が多いのでどうしても電車移動になる。交通費もかかる。地域によって事情がややこしい。
でも今回、大阪市の新人戦で8チームの合同チームがある。2チームではなくもっと多いチームで結成しているところもある。試合はいい。日常の練習がきっとどの学校も大変だろうと想像できる。ウチもそうだ。
合同チームになると、ヨソでは補欠になってしまうような1年生の子も試合に出る。上手いとかそうじゃないとか関係ない。いるか、いないか。いなければゲームもできない。指導者はやっとここで生徒がいるから日常の活動ができていると実感する。
指導者の相性もそう。ウチは僕より若い熱心な先生といっしょになった。実績も十分。子どもたちにたくさんのことを教えてくれる。勉強になる。
子どもの話。やっぱり失敗するもの。そこで違う学校の子でもしっかり叱ってやれるようになれば、チームとしてはじめて独り立ちしたと言える。先生によるかもしれない。叱ってもらえる生徒は幸せだと思う。やっとそこでチームとして機能していくのだとも。
今日、ウチのチームでは平日の練習をどうやってやっていくか、生徒だけで考えさせた。できるだけ具体的に。僕は会議や指導があったので、あとから聴くと。自分たちなりにたくさん考えていたようだ。ここに関してはまた違う機会に書きたい。合同といいつつ、合同じゃない時間のほうが多い。そこの過ごし方が今回のチームの課題かなと思う。
1人でもいれば部活動として成り立つ。とても良い経験をさせてもらっている。真剣に、次の学校では野球以外の部をもってみたい。合同チームの指導は1+1=2ではないと実感してから始まる。

2017年8月20日日曜日

システムではなく、目の前の生徒とどう関わるか

「部活動指導スタートブック」は、これから先生になる人、なりたい人、なりたての人をイメージして書いた。これは今のシステムが続いていくことを前提にしている。一方で、部活動が学校の外の活動になっていくかもしれないという動きもある。僕はこの両方の動きについて、特に前者について関心がある。後者は僕には空中戦のイメージがあり、現場の声がどこまで反映されていくのか計り知れない。だとすれば、現行のシステムでいかに生徒が積極的に、主体的に参加しようと思えるようにしていくかについて考えたほうが有益だと考えている。もし良い実践ができれば、どこかそれから普遍的な理論が抽出できれば、今後の部活動指導の役に立つかもしれないと。それが、特にこんないろいろとニーズがある時代に、部活動の顧問を務める人とそれを共有できればと心底思っている。制度論で部活動の是非が話題になることが多いが、きっとあるはずの部活動指導の普遍的な指導法や考え方などを現場から発信していくことで、今日的な部活動のあり方がわかってくるはずだ。制度論について、実は僕はあまり興味がない。関心は確かにあるが、抜本的な改革がこの先なされると確実に考えているので、そのときのために自分ができるスタンスをしっかりと持っておくほうが僕は大切だと考えている。そうは言うものの、いつか不必要になるかもしれないことを真剣に考える必要があるのか、と正直思うフシがある。これが、いつも部活動の発信をしながらのジレンマだった。いつも練習試合をしたときなど、僕が関心のあるテーマでいろいろと相手の先生と話をする。僕より若い人がすでに多く現場にいるのでそのみなさんに聴くと、学校の中でやっている活動ということがあまり意識されていないように感じる。(これを言い出すとまた制度論なるけど、そういうことはわかった上で)。関わる時間について、関わり方について、組織づくりについて、保護者との連携について。ブラックどうのの話は僕が本を書いているときはここまで声高になっていなかった。僕は自分が書いた本で「こういう考え方があるとは知りませんでした」と、言ってくださる方がいる現状が問題だと思っていた。あの本は教師になって10年ほどのまだまだ薄い実践から発信したものなので、今後も補完する必要がある。制度論が空中でやられている一方で、僕は生徒たちとどう向き合うのか、ということをメインにずっと考えていきたいと思っている。勝ち負けがすべての世界の部活動もきっとある。僕みたいに地面をずり這いしながらどこにでもあるような部活動の世界もある。僕にとって部活動は生徒といっしょに過ごす学校の活動のうちにある。そうじゃない、と考えている人たちや、やり方が全くわからない人たちと、どの部分を共有していくのか、それがこの後に必要になってくる視点かと思う。
言いたいことがうまく言えないな。また思い立ったら書きます。教室と同じと言いながら違う部分ももちろんあるし、教室の延長と思うほうがいい部分もある。頭のバケツがひっくり返った状態でひとまずまとめた拙著。まだひっくり返って拾えていないことと、発信したからまた増えたこと。いらなくなるかもしれないけど、僕はここを愚直にやっていく。

2017年8月18日金曜日

「ブラック部活動」私見

ブラック部活動の話題。正直なところ、最近の騒ぎに辟易としている。それだけ苦しんでいる人がいるのに、それに寄りかからねばならないシステムははっきり言って破綻している。部活未亡人の話。子どもが幼いこの時期に一緒にいられないジレンマ、というより矛盾は僕はおかしいと思う。ベテラン先生が美談めいた言いぶりで昔話をするのも、僕にはどうでもいい話。あなたはそうだけど僕は、僕たちの世代はそうじゃないと言いたい。時代が違うのに昔のやり方を続ける愚策。ここにどうして手を入れないのか。中学校の先生の仕事から部活動の仕事がなくなれば、語弊を恐れず言うと確実に生徒へのアプローチの仕方が変わる。教科も、学級も。素晴らしい人材が部活動という慣習に絡め取られて、当たり前のようにそのシステムに順応せざるを得ない現状。ベテランの先生は若い頃経験したからもう従事しなくていいのか。面倒なあれこれを若手に任せて「私の若い頃はそうだった」という時代ではすでになくなっている。では、ベテランにもリスクシェアすべきか。僕はそう思う。その分、若手はそれに倣って自分の実践を磨いていかないといけない。もうこれが古いというのなら、潔く中学校や高校の学校現場は部活動を手放すべきだ。高校野球を観ていると、そんなこと口が裂けても言えない。試合の後、クールダウンしている選手を急がせて、大会を回そうとする役員。わかるのだけれど、誰があっての大会なのか考えるといい。興行なら乗らない。教育ならやり方を変えよ。全員がプロフェッショナルを目指すという間違った空気感は是非とも思い直してほしい。教育活動なのか、そうじゃないのか。幼い子が涙しながらコーチの言うことを聞いてる映像。そこらへんの混同を見分けられる社会でないのなら、学校の部活動はますますしんどくなる。現状を知ってもらうための必死の訴え。滑稽なポージングさえある。あかんあかんと言いながら前例踏襲を続けるなら、やめてしまえばいいのにと思う。「子どものために」を我田引水するなかれ。

2017年8月6日日曜日

「3B合同練習会」〜「選手である前に生徒である」という確認〜


今日は3ブロックの合同練習会だった。3Bはこういう形の練習会は今までなくて、やっと実現にいたった。昨日は4Bの練習会で、その講師として参加。4Bはもう決まった形があり、こちらが声が出てしまいそうなほどの完成度。連帯感を高めるためにいろんなしかけがあった。
さて、ウチの練習会もまずは講話。大阪府の夏の大会でベスト4まで勝ち進んだ大正西中の顧問の先生から「やりきることの大切さ」を話してもらう。目立った選手がいない中での快進撃は、チーム全体で目立った存在になっていった印象だった。K先生の話は昨日聞いていたこともあり、こういう日常の延長線上にある話はいいなと思って聴いていた。
ノック、紅白戦と一連のプログラムを終えて、ブロック委員として最後にまとめの話をさせてもらった。練習会の実施要項にも謳った「選手である前に生徒である」ということを再確認しよう、という話。好天なのにボールがピッチャーがワンバウンドボールを投げたらすぐにボールチェンジを要求。こちらにほとんど目もくれず、ボールを差し出す。プロ野球でよく見る光景。「ふざけるな」ということ。ボールをこねて返球すればいいし、仮にチェンジをしてほしいときは「変えてください」と言うべきで。君たちは選手である前に生徒。「させてもらっている」という意識なしで、日常の活動はない。
これは指導者もしかり。生徒を選手として見すぎて、恫喝にも近い声をかけたり、理不尽な練習をさせる。教室ではそんなことをしてないはずで。おこがましくも、大人もこういう認識を強くもっていきましょうと、終わりの打ち合わせで話した。ややこしい時代になり、制度のどうのこうのでガンジガラメになっている現状だからこそ、生徒を指導する一教師として誠実に向き合うのが大切なのだと思う。仲間意識(ややもすると特権意識なのかもしれない)を強く持ちすぎて排他的な世界にしてはいけない。いい練習会になって良かった。

2017年8月1日火曜日

「5人との夏」


合同チームになって数日。おもしろくて悔しい毎日を過ごしている。数が少ないから染み付いている慣習を見直そうと、いろいろと口うるさく言っている。今日も練習試合。今日も敗戦。いまのところ3戦3敗。前途は厳しい。でも、一から積み上げる楽しさを実感している。久しぶりの感覚。新チームはこうでないといけない。
明日も練習試合。僕は補充学習があるので、途中参加の予定。うまくいくことといかないこと。必死にいろいろ言っていながら、無理や無茶を通そうとしていないか、やはり気になる。厳しい声は何のために。強いチームと今のチームを「いたずらに」比較して生徒の成長を阻んでいないか。野球のせいで埋もれてしまっている「生徒が本来果たすべき生徒としての一人前」をちゃんと目指させているのか。日常のあり方を指導していく延長線上に野球がある。ここを忘れてはいけない。
合同チームは僕は裏方にいる。もっと下がってもいいとさえ思う。言いたいことを生徒のサイズに換言したり、あえてストレートにぶつけたり。新チームの指導は苦しいけど楽しいことが多い。
内田良さんの「ブラック部活動」を読み始める。気になったので後ろから読んでいる。後半の座談会のくだり。結局、勝敗の枠で部活動というものを捉えているところをみると、違和感を禁じ得ない。甲子園が始まる。ドラマ仕立ての報道にどれほどの人が歓喜するか。吉井さんの本は何かとヒントが多かった。僕は自分が考えているやり方、考え方を大切にしつつ、いろんな人を会って生徒に還元していきたいと思う。横文字に飛びつくのではなく、目の前の子に。迎合じゃない、寛容でもない。ひたすら真摯に向き合うのをこのチームでは力を入れていきたい。
(結果に関してですが、今年はウチだけの結果ではないので詳細はアップしません。言いたいことは書けないこと。学校に関わる人なら誰でもわかる、当たり前のリテラシーで今年のチームを見守ってください)

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...