2017年5月6日土曜日

「日常の中の野球」か「野球の中の日常か」

しばらくこちらには投稿できていなかった。4月からここまで、自分の指導のあり方について考えさせられることがたくさんあった。忸怩たる思いで。僕は何を教えてきたのだろう。そんな時間。
今年の新入部員は1人で、本当に1人でもありがたいことだと思うようになった。この4月に練習試合でお邪魔した先生方と同じ話題になる。部員不足。部活動の制度疲労が明らかになって、いよいよ学校の部活動が変わっていっている。野球に関しては、ファンが減っているという。ここでは詳述しないが、うなずける事態だ。公園で楽しくやっている野球と習って教わる野球が乖離しすぎていた。これをどうしていくのか、本当に考えている人はどれくらいいるだろう。
僕は学校で、日常の多くの時間を過ごす習慣やクセが野球にも出ると話している。日々の数時間の活動で生徒の行動が良き方向に向くとは思っていない。じゃあたくさん時間を野球でもとってやればいいじゃないか、と言われると僕には僕の考え方があるので自分の枠内で生徒と関わっている。自腹切ってバスをチャーターしたり、勝ち負けで人生が決するような気概で生徒と野球をしたりしていない。(そういう一連の事象を揶揄するわけでなく、ステレオタイプとの比較ということです)
日常と野球はつながっていると本当に思っているし、日常の頑張りが野球だけでなくその子の将来につながっていってくれた嬉しい。一方で、野球の頑張りを日常につなげることをここ最近思うようになった。グランドと教室はつながっている、という話。教室とグランドはつながっている、というのは明らかに教師の目線であり、生徒はそこまで考えてもちろんやっていない。グランドのあり方が日常にも顕れてくるなら、責任持ってグランドでのあり方を指導してやらないといけない。
近年理想的なスタイルとして「指導者は生徒を後方支援する存在である」というようなフレーズがある。確かに一理あるし、古風なスタイルで指導にあたっている関係者なら耳が痛くなる文言だと思う。でも教えてやるべきことを教えないで後方支援はない。それが僕の中できちんとわかっていなかったのだと気づいた。生徒は教師を見ている。だから教室でもグランドでも、大切だと思うことを発信し続けて、エラーがあったら焼き直してやって、次のチャレンジを待って、というのを繰り返していく。反省の多い、もはや反省というか後悔じみた1ヶ月だった。言い続けてくることを怠ればうまくいくものもいかないし、いかなくて当然。
野球が日常のどの部分を占めるのか、生徒によって個人差がある。野球は自分の人生を豊かにする一つのパーツであり、全てではない。優先順位を間違えないように、改めて話していくことの大切さを感じた時間だった。
たくさんお問い合わせいただいた「野球部の教科書」。今年もわけあって配布していない。中身の抜本的な見直しを終えるまでたぶん生徒には渡せないと考えている。惰性で配るのならやらないほうがマシ。より内容を自分の日常の一部に溶け込ませられるものにして生徒に提示したい。その折にはみなさんにまたご批正いただきたいと思いますので、よろしくお願いします。またぼちぼちと更新してきたいと思います。
(結果)
4.15 ✕ 喜連
① 5−1 ◯ ② 6−5 ◯
4.22 ✕ 大正北
① 1−3 ● ② 6−5 ◯
4.29 ✕ 友渕
① 2−4 ● ② 6−6 △
5. 3  ✕ 鯰江
① 2−0 ◯ ② 2−2 △
5. 4  ✕ 平野
① 12−1◯ ② 9−8 ◯ 
(5連休は2日間活動、3日間オフです。ウチはいつもこんなペースでやっています)

2017年4月8日土曜日

「プレースタイル」(指導者の「語り」について)

ここ最近、練習の様子が冴えなかった。大会が早々に終わり、会議などで春休みながらオフが多かったこともある。目に余ったので、生徒にいろんな話をしている。生徒の声も聴いた。こういう時間を最近とってこなかったことに今さら気づく。技術的なことだけに偏重しがちだった最近の声かけが、良くなかったのかもしれない。そうじゃない。技術的なことはピラミッドの頂点。どれだけ日常のあれこれに根ざした活動なのかで上に載っかるものの大きさが変わる。頂点を支えるベースが揺らいでいたのだと思う。
こんな話をした。ある高校の監督さんの話。評判を聞いてある生徒の様子を見学に行ったときのこと。その子は確かに力はある。でも、一人だけ様子が違う。明らかに他の子と違う態度で練習している。しかもそれが集団からも指導者からも許されている。許されているというより、誰からも注意されていない。それを良いことに、自分本位で練習をしていたとのこと。力がある子かもしれないけど、その子から全く興味がなくなったとお話しされていた。ややもすると指導者批判のように聞こえるが、僕は違うと思う。こういう子を適切に指導してやるのが指導者だろうし、許してはいけないということが徹底されているのが良い集団。こういう子がいくら有名校で鳴り物入りで入ったところでたかだか知れている。そして「監督と合わなかった」「先輩とケンカした」とこれみよがしに自分の不当さを棚上げして野球部をやめる。
こんな話もした。ある中学校が抜群の強さを誇り、ほとんど負けなしで快進撃を続けていた。最後は負けてしまったけど、何事にも一生懸命取り組む生徒たちを学校の仲間も先生たちも応援した。それを見て、外野球の子たちが羨ましがったそうだ。
いわく「俺らがどれだけ頑張っても応援してもらえない」と。そんなことはないけど、全校生徒の前で表彰され、それを誇りにもっと励み、みんなから応援される一方で、自分がどれだけ大会で頑張って成績を残しても思うようにならない。これは仕方がないことでもある。でも、これは野球部と外野球のいろんな面を体現している話だと思う。生徒たちには、自分たちを誇れるような活動にしていかなければいけないと話した。僕のええカッコではない。応援されて頑張らない子はいない。そういう姿に今は程遠いという話。
今日の野球ノートに自分の「思い過ごしだった」「勘違いだった」と書いている子がいた。あとはそれを行動に移せるか。そこは僕が生徒に適宜声をかけて確認していけばいい。僕も忙しいという理由を作ってきちんと野球の勉強をしていない。育ってほしいようには育たない。育てたように育つのだ。そうある先生に教えてもらった。生徒への「語り」は指導者の一番の仕事。そのために書くし、読むし、悩むのだと思う。最近は語る時間をとっていなかった。大いに反省した数日だった。
今日は雨で練習試合が中止。明日は審判業務があるのでオフにした。狭いとか人数が少ないとか、忙しいとか時間がないとか。みんな一生懸命言い訳を作る。この姿勢を僕は悪いとは思わない。ストイックにいられる人はそれでいい。僕はそういうのともどううまく向き合っていけばいいか、と考える。腹を決めるとか、覚悟とか。もっと違った言葉がないものか。次の版の「野球部の教科書」にはそういう自分の感覚を謳いたい。応援してもらえるプレースタイル。みんな性格が違うなかでどうやって…、と思う。

2017年4月7日金曜日

「野球部の教科書」という方法

新年度を迎えて、転勤したある先生からLINEがきた。「先生、野球部の教科書を送ってもらえませんか」。親しいその先生が今年転勤し、骨のある子たちと向き合っていくことになるとのこと。そこで、僕の教科書を使いたいと思ったらしい。すぐにデータを送った。とてもうれしい話。
このグループのメンバーのみなさんにはおなじみの「野球部の教科書」が活躍できる時期が来た。顧問がいつも言いがちなフレーズに価値付けをした小冊子。部活動編成時に生徒に配布している。去年はわけあって配らなかったが、毎年これを指針にして部活動をしている。拙著でも触れたが、口で言うだけではなかなか考えていることは浸透しないし、何より顧問が「なぜそういうことを生徒に言うのか」ということを考える機会がない。その反省を反映させた僕の指導バイブル。
たとえばこんなふうに綴っている。
(引用開始)
「大きな声であいさつをしよう」
(なぜ?)
 野球というスポーツは体格や体力などの身体的な能力と、瞬間の判断や相手の動きを予測するなどの頭脳的な能力が必要です。
 しかし、それらには限界があります。実は他にも我々に備わっている武器 があります。「声」です。野球は声でプレーをコントロールできるスポーツ です。大きな声があれば、先の2つの能力をカバーできる可能性があります。
 しかし、これもきたえないと自分の思い通りにはなりません。ファインプ レーやホームランは難しくても、ボールを呼び続けることはできます。不安 なときに、「大丈夫や!」と声を出せるとリラックスできるかもしれません。
 あいさつは、その「声」をきたえるとても良いチャンスです。小さな声で あいさつをしていては、せっかく良いことをしているのに相手には伝わりま せん。野球は大きな球場で自分の考えや相手に指示を伝えないといけません。
 大きな声で良いことをする。これを一生懸命できるだけで、連続ホームラ ンより価値のある働きができると信じてください。声も、出す練習をしない と大きくなりません。ある日突然できるようになる、ということはないので す。恥ずかしがらず、大きな声を出しましょう。
(引用終わり)
項目ごとに「なぜ?」と問い立てをして、それに答えていく。これを繰り返していくなかで「この先生はこういうふうなことを言いたいのか。」と生徒に伝える。生徒だけでなく保護者にも伝える。こういう役割を担うのが「野球部の教科書」。いずれこれを増補して、ちゃんとまとめて発信したい。これも自分の考えを伝える1つの方法だと思う。
* もし興味のある方はご連絡ください。

2017年4月2日日曜日

「投球制限について」


今日は市大会ベスト16に残っているチームと対戦。左の好投手と一回り大きくなったメンバーに完敗でした。
今日はエースが所用で欠席。こういうこともある。今日いるメンバーでやりくりした。あれこれしているうちに、5回でかなりの投球数になった。登板した子は「まだいけます」と言ったけど、僕はすぐにスイッチした。ここで使い減りしてしまうことが今日の目的ではない。いつも投げている子も、今日はゲームに入る前からコンディションに不安があったので登板回避。2試合目は初登板の子に。こういうときにいろんなチャレンジをさせたい。

Twitterに投稿した投球制限の所感。今回のセンバツの様子からの私見。
1 高校野球の投球制限。僕は賛成だけど、投手の技術的な成長の妨げにならないか、という意見があるらしい。タイブレークしかり。根性主義、自己犠牲を美化する風潮の最たるものだと思う。
2 投球制限について、僕は違うことを考える。プロと同じような運用で制限をしたとして、選手の絶対数が必要になる。ベンチ入りの数をもっと増やす必要が出てくる。出ないと、ゲームが成立するための投げる子がいないという事態も出てくる。
3 そのためにはストライクボールを投げるための指導がより必要になり、技術的な指導が試合の行方を左右することになる。いまもそうだけど、より、だ。
4 勝利至上主義でいくとどうしても選手の出場機会が偏ってくる。大胆な選手起用もジュニアの指導者には必須の感覚になる。勝てなくても選手の負担過多を防ぐ感覚。当たり前なはずなのに、勝ちたいときはこういうバランス感覚がおかしくなる。
5 そんなんしたら勝てないだろうが!って、ジュニアのスポーツがそこまでのものなのかという疑問もある。今日はもうええよ、という声が子どもの本当の成長につながる。投げたいなら、ゲームメイクの妙にもっと思いを馳せるべきだ。
6 でも小中の指導者がそんなことまで求められるとすれば、もっともっと野球離れは加速する。部活動の顧問の先生にそんなことを求められては、未経験先生には負担でしかない。
7 ベンチ入りの数を増やす?もとより、昨今は部員が減っている。どうやったら野球をやりたくなるだろうか。失敗がつきもののスポーツなのに指導者の怒声や叱責であふれるグランドでは、子どもが楽しいはずがない。
8 たかが野球。されど野球。されどのドラマに、極度に美化される風潮が拍車をかける。野球離れをまじめに考えていく話であると、投球制限の話題から思う次第です。
ジュニア期で大切なのは勝ち負けより育成。でも勝ち負けの世界も僕はあっていいと思う。指導者の方針にしっかり納得して取り組めていればそれでいい。プロの世界のあれこれをそのまま流用するのはちょっと違う。ジュニアはジュニアの課題があって、それに真正面から取り組むのは様子を知る大人。外野にわかったことを言われたままではいけない。当事者でしかわからないこともある。でもやはり、外からわかることもあるのはわかる。両者に敬意がなければ議論は進まない。最近このあたりが揺るがせになっている。とても気になる。これもいつか書きたい。

投球制限は野球のあり方に関わる大きなトピック。もっと活発に議論されてもいい。子どもを壊す指導だけはやってはならない、という共通点はゆるがない。と、思いたい。
(結果)
H29.4.2 対 市岡
① 1−6 ✕
② 3−2 ◯
良いチームでした。来週の本選も頑張ってください。

2017年3月25日土曜日

「何のための大会なのだろう」


春の大会が終わって初戦。今日は春の大会で負けたチームと対戦。公式戦のあとで、どんな様子だろうなと楽しみなゲームだった。
楽しみにしていた相手のエースがコンディションがすぐれず登板なし。これは仕方ない。でも相手校の先生との会話から、僕らが今後考えていかないといけない課題がはっきりした。
初戦に登板したあと、どうも次に投げられそうにないということで登板を回避。そうして次のゲームを落としてしまったらしい。監督としたらなんとももどかしいだろうなあという話だった。もしそれで勝ち進んでいたら、本戦の日程が4月の8日と9日。きっとここでは本調子ではない中でも登板させていただろうという話になった。きっと僕がその選択に迫られても、同じようなことを考えていただろう。そういう意味では負けてしまったので投げなくていい、彼の先々を考えると絶対望ましい結果。でも、大会で勝つためには力が必要。勝てば官軍。負けたら何もないのか。ないことはないのに、残るのは「◯回戦敗退」というレッテル。ええやん、そんなの。でもやっているときは気が付かないもの。確かに健康や趣味でやっている部活動ではない。勝てば生徒の成長も見込める。このあたり、まだ自分でも整理ができていない。まあたぶん行ったり来たりするのだろうと思う。
2試合目、久しぶりにプレートアンパイアを務めた。生徒の様子がよくわかった。こういう視点でのアドバイスも生徒にプラスになるだろうと思う。
明日から所用でちょっとしたオフ期間に入る。人数が少ないなかの活動なので、少し物足りないくらいの量でいいかと自分の中では折り合っ
ている。大会が終わったのは残念だけど、勝ち負けにばっかりこだわらずにチャレンジできる期間と考えれば、ゲームもまた楽しい。この感覚が生徒にもわかってもらえるよう、また声をかけていきたい。
(結果)
H29.3.25 対 本庄
① 0−1 ✕(7回サヨナラ負け)
② 9−6 ◯

2017年3月22日水曜日

「甲子園大会と部活動指導」(Twitter連投転載)


1 1試合に200球も投げるゲームがあっていいのかなあ。高校生ってこれからやのに。

2 甲子園で先発は100球まで、ってルールができると高校野球が変わる。たぶんプロ野球の選手生命も長くなる。ジュニア期の消耗がどれほどのものか、自覚しないと。

3 だからトーナメントに僕は否定的な感情を持っています。絶対負けられないから無理が通る。

4 ここで道理は引っ込んでるのではなく、見て見ぬふりをされているのです。

5 そんなことを言ったら、学生の野球は成立しない。学校行事はあるし、長い期間使って大会をやっていけない。だからトーナメントになる。勝たないといけないから、試合に出られる生徒が固定化される。

6 固定化されたメンバーで、レギュラーは誇りが傲りになり、補欠は言いようもない壁を感じて試合に臨む。試合に出たいけど、僕が出たら迷惑になってしまう。自分のせいで負けたら申し訳ない。

7 生徒にここまで背負わせる大会の在り方は考えもの。大会が悪いというより、野球界には特にそういう空気感が蔓延しているように思う。

8 トライに消極的になり、ミスに感情的になる。成功に鈍感になり、失敗に敏感になる。

9 できて当たり前。僕はできなくて当たり前、できたらラッキーくらいに思っている。

10 失敗とうまく付き合うのが野球。実は野球だけじゃなく、大人になったらあれもこれも日常は失敗とどう向き合うか。「失敗をそのままにするのが本当に失敗」というのに懐疑的。そのままにしたくなる、見たくもない育て方を大人はしていないのか。

11 ファンブルして次のプレーをやめる。ファンブルしてはいけない、と思ってしまうムードこそ問題。

12 「試合」=「ゲーム」、「プレー」=「遊ぶ」。そういうことにもっと目を向ける部活動にしていきたいと思って日々やっています。

13 今日、帰りのミーティングでこんなことを話した。ウチは人数が少ない。だから土日の連戦はポジションによったらかなりの負担になる。もし休みのどっちかしかゲームができなくても、そういうことを考えて組んでいくつもり。もし雨で中止になったら?その次の週まで待とうや。

14 試合をどんどんしたい子にとれば物足りないかもしれないけど、ウチの現場を考えたらそれがベストやからそうしていくよ。というような話。

15 部活動の顧問を拒否するのも一手。僕は自分のサイズ、方針に合わせてもらって、これでいいならいっしょにやろうぜ、というやり方。

16 迎合じゃなくて、こういうやり方ですよ、という意思表示です。

17 野球は生活の一部であって、生活ではない。生徒も同じなのに、なぜ顧問は後者の姿勢を求めるのか。

寛容と迎合のあいだ。
美談は角度が変わると過酷な物語。

2017年3月21日火曜日

「毎日書くことの有用性〜リフレクションの大切さについて〜」

生徒が書いてきた野球ノートを読む。大きな試合は勝っても負けても収穫が多いので、どんな言葉をつむいでくるか楽しみだった。みんな冷静にリフレクションをし、次のことを書いていた。正直なところ、安心した。部活動でもリフレクションが大切だと感じた。毎日だとどうも惰性になりがち。僕はこれ惰性と思わず、リフレクションの素地の育成のために貴重な営みだと思っている。指導者はすぐに「量」を求める。少ししか書けていなかったら、すぐに「熱意がない」やら「やる気に欠ける」やら。そうじゃなくて、そんな日もあるとこちらが受け入れたら、しっかり振り返るべきときに思わぬ言葉がつむがれる。いかに自分の活動にあとからアプローチできたか。そんなものしなくても明日は来る。でもその明日、次をどう迎えるか。穏やかに笑える部の子たちを見てホッとした。

朝に僕が作ったリフレクションからまとめたシートをサイドカットして提示した。また明日から。授業や学年は終わりに近づいているけど、部活動は年度をまたいでも連続していく。ここの過ごさせ方も生徒を育てていくのに大切な視点。また頑張ります。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...