2017年2月9日木曜日

「平日2時間」

今日は終学活後すぐ、グランドへ。会議も指導も何もないときはいつもこう。一番にグランドに出て整備。次々に生徒が出てくるので僕に倣う。おおよそ集まったら練習開始。
今日は2時間グランドにいた。10人。二つに分けてティー組と守備組。僕はティー組の指導。ポイントが気になるのでその指摘。この2チームを入れ替え制で。守備組はやや緩慢に見えたので、ノックをお願いしていた先生にあとからアドバイス。少ない人数で最大の効果をあげるには、その練習の目的がはっきりしていないといけない。
そのあとは個人練習。置きティーで引き続き何人かにアドバイス。最近置きティーの良さを改めて見直している。良くなった子もいた。
練習後、職員室に帰ると「先生、今日は早くから整備してたなあ」とある先生。僕はいつものことだと話す。いつもは忙しくてほとんどグランドにいられないのが現実だけど。
早く試合でやってみたい、という練習に10人の子がなったかどうか。2時間の練習で始めから終わりまでずっとグランド。こんな毎日だといいのになあ、と思う。

2017年2月5日日曜日

「個人練習と自主練習」

ウチの野球部は月曜日は自主練習の日。やってもやらなくても良い、という自主練習。そして必ず平日の練習には個人練習を入れている。自主練習は名の通り、自主的な練習。個人練習は時間の枠を与えて、そこで自分で課題を探しての練習。ここ最近はこのやり方。試合で出た課題はみんなでやるけど、個々のレベルの課題はチームの練習ではカバーできない。場合によっては課題を与えることもある。中学生はまだ量をやらせたいところもあるけど、それは野球ノートで交信しながら生徒の考えていることと僕の考えていることをすりあわせていく。
試合は勝ち負けという「現象の結果」ばかり気になってあれこれやりたくなるけど、個々のレベルの伸長があってこそ、の部分もある。見る人によったら「放ったらかし」に見えるような風景。僕は生徒とこんなふうに練習を作っていってます。

「不必要な緊張感で生徒を苦しめていないか」

昨日は前任校から仲良くさせてもらっている先生の学校へ。大阪市の東の果てにある学校。ここの前の先生も知り合いだったのでたまに来ていたけど、先生が変わるとカラーも変わる。当然。
今の先生とは、近くの学校だったのでよく練習や試合をやってもらった。僕より若いのに、僕よりもしっかりしていて素晴らしいチームを作っていた。いつの間にか僕は彼のチームの雰囲気をお手本にするようになっていった。

そんな先生との試合前の会話。昔から知り合いの先生の学校に来たら、試合もそうだけどこういう会話のほうに盛り上がる。勝ち負けをおいておき、どんなふうに仕事をしているのか、子どもたちと向き合っているのか、という話になる。いまのチームの様子を見ると、前のチームとはまた違った雰囲気になっていた。いわく「なぜそういうふうにするか、ということを考えると今のスタイルになっていった」とのこと。悪い言い方をすれば、前よりもゆるく見える。ただそれは不必要な緊張感がなくなっただけで、僕は違和感より親近感を覚える。
先生が話し始めると直立不動、あいさつも誰にむかってしているのかわからないような斜め上を見て大きな声。僕は丸坊主にももう価値を感じない。そう思っているから彼のスタイルがとてもいいなと思った。かつては僕もそうだし、彼もそういうスタイルでチームを縛り上げて生徒に指導をしていた。今となっては全く不必要だと感じる。
1試合目に登板したエース。その子が2試合目にバックネットでカウント係をしていた。その子に「なんでここにおるんや」「俺はこっち(ベンチ)にいてほしいねん」「もう1回投げたくないか?」と彼に声をかけたらしい。あ、まだそういう段階でこのチームを育てているんやな、と思った。
ただこのやりとりにもその先生の変化を感じた。きっと昔なら「おまえ何してるねん!」「悔しくないんか!」「もう1回投げさせてくれって言ってくるんが普通ちゃうんか!」と、きっとやりこめていたと思う。「先生、変わったなあ」と言うと「最近、こんなんでいいと思ってるんです」と。僕もそう思う。
僕にとって練習試合は人に会いに行く機会でもある。
(結果)
H29.2.4 対 茨田北中
① 5−0 ◯
② 5−1 ◯
(先週の結果)
H29.1.28 対 大正東中
① 4−2 ◯
(1試合のみ)

2017年1月28日土曜日

ネックウォーマー考

野球の世界にネックウォーマーが導入されてもうしばらくになる。首元が冷えるのが苦手なので、僕はメジャーになる前からやっていたけど、これが学校の現場になったときに考えないといけないことを聞いた。
例えば顧問不在のとき、生徒同士でトラブルになったらどういうことが考えられるか。これを聞いたときに、自分の勘の鈍りに気付かされた。確かに。
スマホの動画が広まってから、僕は取り残されているように思うことがある。日常の道具ひとつとっても、学校に馴染まないものがある。勉強になった。また機会があればどこかでこういう感覚をシェアしていきたい。
みなさん、ネックウォーマーにどういう心配があるかわかりますか。学校の先生はこういうことを気にして生徒と過ごしているのです。

「初戦と高校野球と」

今日はシーズン初戦。「何ができないかに気づく」という課題を与えた。うまくいかなくていい。でもそれをこれからどうするかを考えていこうという話をした。良いゲームだった。
午後からは大阪の高校野球界の公立の雄、その高校にお邪魔してきた。教え子がちらほら。卒業生も偶然来ていた。たまに高校野球を見ると身が引き締まる。紅白戦でヒットを打っていた。頑張れ。
高校も中学校もたくさん共通していることがある。野球だけの子にならないよう、これからも自分の考えていることを伝えていく。硬式の打球音が耳に心地よかった。

2017年1月11日水曜日

「先生がつける時間」〜中・高の違いとそれをどう考えるか〜

学校というところで行われる教育活動のほぼすべては教師の指示や指導のもと行われる。しかも、子どもといっしょに。小学校の活動で先生がいない活動など聞いたことがないし、仮にあったとてよほど成熟したクラスのそれであろう。
高校生のとき、毎日監督はグランドに顔を出されていた。練習時間が長かったのもあるけど、スキマ時間でも必ず。今思うと、よほど時間や仕事をうまくやりくりしないとできなかったことだと思う。
でも、中学校の部活動にどれほど先生方はついて指導ができているだろう。先生がいなくて行われるのがデフォルトの教育活動って、学校で他に存在するだろうか。ケガやトラブルは起きないの?でもそれが多くの学校でのデフォルトじゃないかな、と思う。
現在の部活動は生徒の自主性や創意工夫に頼らざるをえない活動で、平日のわずかな時間や休日に予定をやりくりして行われている。条件面の不都合は議論がかまびすしいので措くが、コスパのバランスを良くするためにはいったいどういう施策が有効なのだろうか。
現状を生き抜く術と、先々をやりすごしていく術は今後絶対変わってくる。中学校の部活動の現状は多くの顧問不在の時間に行われていることを、もっと真摯に受け止めねばならない。
高校野球の世界ではほとんど休みがない。たぶん野球だけではなく、多くのスポーツがそうじゃないかと思う。大きな大会に良い成績を残し、良い大学に入り、というよくあるパターンだ。それがもう成立しなくなっていることも指導者は知っておく必要がある。
これは聞いた話。大学に指定校で入った人と、一般で入った人とを区別する企業があるらしい。要は「修羅場を(というには幾分ぬるいが…)くぐってきたかどうか」を見たいらしい。そうなるとやっぱり部活動が長年担ってきた役割がまだどこかで要請されているのかな、とも思ってしまう。
特に中学校はつける時間が少ない、というのは特にエビデンスもない印象批評だ。ただ、この現実は今後のシステムを考えていく上で看過してはならない。専門外の先生、つける時間が少ない、休めない。こういうアンバランスのなか、毎日の部活動がある。中・高の違いは近々の議論に反映されているのだろうか。
匿名の不平不満では何も変わらない。まずは現状の発信。次は建設的な議論。同時に、蔓延している「部活動とはこうあるべき」という「べき論」を是正していく現場の自浄作用が必要と思う。

2017年1月5日木曜日

初練習とこれからのこと

ウチの部は今日が練習初め。
・10分間走
・キャッチボール
・縦ノック
・テニスボールゲーム
・ダイヤモンドラン
・各種走
・50メートルダッシュ
・宿題点検
今日はあまり普段とやかく言わなくなってきていたことを口うるさく言った。
「自覚をもて」
「受け入れるのは諦めることじゃなくて、次のことを考えること」
バテバテの子もいてたけど、今日はそのうまくいかなさとどう付き合うか、向き合うか。体が動かんし今日はしんどいな、ボールがいかないからしゃあないか。いつもここで終わっていたのをもっと先に進めて、じゃあどうするねん。ここがウチの課題。
10分間走も漫然と走っていた子が散見。こうやってただやらされているだけは全く意味がない。キャプテン、中心選手、2年生が頑張らな誰が頑張るねん。こういうところに刺激を与える1年にしたい。
部活動をめぐって年末年始も僕のFacebookのタイムラインでは議論がたくさんあった。ブラックだとか、こういう議論はあるけど明日もやっぱりいつもの活動はある。
子どものためと言いながらチームの勝利を自分の手柄にしたり、生徒を子分のように扱ったりと、変な目で見られても仕方がない活動もきっとある。自分の向き合い方をきちんと考えていかないとあっという間に生徒の現役時代は終わる。せっかく関わるのだから、生徒の目線に何があるのか、指導者はどこを見させたいのか、なぜそこなのか。こういうのを考えて活動したい。
……、と前向きなことばっかり書いているけど、ここには書けないいろんなことを抱えて明日がある。そういうことこそ、指導者が大切にしていかないといけない話ではないか。そういうことは表には出てこないし、出せるものではない。だからこそ、地に足付いた本当の声をどうやって形にしていくかは指導者の仕事だと思う。指導者である前に、学校の先生である以上はこの仕事はなくならない。それこそ、部活動の意味だと僕は感じている。

高校版 修学旅行に行ってきた

二泊三日の修学旅行を終えた。よかった。誰も損をしない行事になった。 ちょっと昔、修学旅行委員長に推した生徒がいた。引っ込み思案、でも、力がある。彼はやりたそうだったので、僕が推した。八面六臂、気配りや決断力があった。その彼をレクレーション大会のあと、みんなでサプライズで感謝の言葉...