今日は一日中野球。朝、学校。そこからブロック大会の準決勝・決勝の会場へ。今日も審判三昧でした。ウチが所属するブロックでは、この組み合わせの日は審判を抽選で決定。僕は遅れて会場に入ったので決勝に割り当てが決まっていました。先日の審判の一件以来、もっと練習がしたかったので準決勝の一つも審判をさせてほしいと志願。この年になってやっと楽しくなってきました。2塁塁審と1塁塁審。わかっているつもりの動きに課題があることが自覚できました。審判はプレッシャーがかかるので億劫になるものですが、下手だからやるしかありません。
試合の合間に、ある先生が国語の授業の相談(僕は国語科です)。小学校の出前授業で何をしたらいいか悩んでいるということ。同じ1年生の担当みたいだったので「竹取物語の冒頭文の関西弁訳をグループワークで」という話をしました。これ、実際にやったことがあって、児童には好評でした。その先生もすごく喜んでくれました。中学校の授業って、おもろそうやな。こうやって入学してきてくれたらいいですよね。自分が国語の先生だったことを思い出しました(笑)
結果は東中が優勝、堀江中が準優勝。素晴らしいゲーム。スコアも1点差の締まったゲームでした。東中の生徒たちは試合中にしっかりと話をしていて、ややもすると「もうちょっと緊張感を持ってやれよ」と思うようなムード。ここを押さえ込んで指導者だけのイメージでムード作りすると、きっとこの雰囲気は出ない。「ああ、めっちゃ緊張したわ」とか、そういう率直な感想をイニング間で交わしています。しんどい場面も声を掛け合う。作り込まれたムードではなく、実にこれが自然にできている。指導者が勝ちたいって思ってあれこれ言ったりやったりしても、最後は生徒。生徒が自分たちでやらないと勝てないわけです。
「おい!楽しめよ!」とか、こういう公式戦で選手にハッパをかける人がいます。楽しくないですよ、大きな試合の緊張感のある場面。(ブロック大会みたいな、小さな大会でも生徒は緊張するものです)でも、生徒たちがみんなで試合をしていました。堀江もあっぱれ。どっちが勝ってもおかしくないゲームでした。こういうムードをどうやって醸成していけばいいのかな、と審判をやりながら考えていました。やはりある程度「できる!」という自信がないと。これからは地道な、基礎的なトレーニングを練習に励みます。
うまくなっている、と実感できることは楽しい。おもしろい授業ができたら先生も子どもも楽しい。ゲームに勝つことは楽しい。楽しいことからしか学びはない。それなのに、強いていないか。これは教えるものの宿命だと思います。
2015年11月28日土曜日
2015年11月22日日曜日
「選抜大会」
今日は大阪市の各校の選抜選手によるブロック選抜大会の2日目。ウチは前半の出場だったので、退けてきた。これは中体連の大会ではなく、あくまで有志。この大会も始まって長くなった。複数顧問がいる学校は引率を初日と2日目分けて参加するところも。ウチもそう。顧問の間で「○○先生は今日は家族サービスです」と冗談を交えて話をするが、家族サービスという言葉に違和感。家族と過ごすのはサービスではない。僕は絶対使わない表現。
さて、大会。ウチのブロックは2Bと対戦。2−3と惜敗で4位。今この瞬間もその大会は続いている。レベルの高い大会なので投高打低。良い選手がたくさん出場するのでほれぼれします。
2試合目の決勝戦。大阪市の審判部を代表する(全国大会でも審判をするような技術の高い)先生と審判クルーを組ませてもらえることに。突然の指名。でも、下手だから飛び込んでいろいろ質問しようとメモを携行。マイナス評価をされる怖さで臨むのではなく、自分のプラスにしていけばいいかと気持ちを準備。いつもこの大会の審判は緊張するが、今日は一番落ち着いて臨めた。メモをたくさんイニング間にとる。僕はどうやら書いて考えて納得するタイプだと最近わかってきたので、この方法がよかった。なんでいままでしなかったのやろ、と後悔。これからこうやってメモをして、教えてもらえばいい。試合後、メモをもとにたくさん教えてもらった。下手なら聴くしかない。うまくなりたい。
クルーを交代で組んだ前任校の元同僚Y先生と話し込む。考えていることに多く共感。情熱にあふれる先生なので、お話しをしていて自分も頑張らんとあかんな、と強く思う。僕の尊敬する先生。
帰り、駅の切符売り場でこの大会の選手たちが切符売り場でふざけていた。僕の後ろいつの間にかに待っている人。僕は後ろの人に順番を譲った。その直後、売り場が一つ空いた。「ありがとうね」とその人から一言。僕らが教えるのは野球の技術だけでなく、こういうときの身の振り方ではないか。野球はそのあとにくる。選手というのはそもそも「選ばれた者」。そこから選りすぐられているのなら、それにふさわしい振る舞いが求められる。
明日は雨らしいけど、海を見に神戸へ。サービスではなく、これが僕の日常。
さて、大会。ウチのブロックは2Bと対戦。2−3と惜敗で4位。今この瞬間もその大会は続いている。レベルの高い大会なので投高打低。良い選手がたくさん出場するのでほれぼれします。
2試合目の決勝戦。大阪市の審判部を代表する(全国大会でも審判をするような技術の高い)先生と審判クルーを組ませてもらえることに。突然の指名。でも、下手だから飛び込んでいろいろ質問しようとメモを携行。マイナス評価をされる怖さで臨むのではなく、自分のプラスにしていけばいいかと気持ちを準備。いつもこの大会の審判は緊張するが、今日は一番落ち着いて臨めた。メモをたくさんイニング間にとる。僕はどうやら書いて考えて納得するタイプだと最近わかってきたので、この方法がよかった。なんでいままでしなかったのやろ、と後悔。これからこうやってメモをして、教えてもらえばいい。試合後、メモをもとにたくさん教えてもらった。下手なら聴くしかない。うまくなりたい。
クルーを交代で組んだ前任校の元同僚Y先生と話し込む。考えていることに多く共感。情熱にあふれる先生なので、お話しをしていて自分も頑張らんとあかんな、と強く思う。僕の尊敬する先生。
帰り、駅の切符売り場でこの大会の選手たちが切符売り場でふざけていた。僕の後ろいつの間にかに待っている人。僕は後ろの人に順番を譲った。その直後、売り場が一つ空いた。「ありがとうね」とその人から一言。僕らが教えるのは野球の技術だけでなく、こういうときの身の振り方ではないか。野球はそのあとにくる。選手というのはそもそも「選ばれた者」。そこから選りすぐられているのなら、それにふさわしい振る舞いが求められる。
明日は雨らしいけど、海を見に神戸へ。サービスではなく、これが僕の日常。
2015年11月17日火曜日
「ペナルティ」考
Facebookのタイムラインに興味深い投稿がありました。違反行為に対するペナルティがどうもブレているのではないか、という疑義でした。
部によって実に様々なルールがあります。これを破ってしまったら、ある程度のペナルティもやむなし。そういう感覚が一般的ではないでしょうか。ひと昔前なら厳罰で取り締まる、という方法が主流だったかもしれません。でも、こういう時代なので、教育的に効果の認められないものは一切排除される向きがあります。信頼関係があっても、言い渡すほうはつらいものです。
よくあるトラブルに「あいつが良くてなんで俺があかんねん」というような、ブレていると捉えられるケース。学校で何か生活指導上で失敗した子がいて、その生徒の処遇を検討していくときに、微妙な判断に迫られるケースがあります。この間はこれで運用できたけど、今回はどうもそこに落とし所として持っていけそうにない。僕も何度か経験したことがあります。どれだけ説明しても、結局「学校の論理」(悪く言えば屁理屈)になってしまうのです。学校側の感覚ももちろんその正当性を議論されるべきと思います。そもそも、何が正当なのか、こじれるともうわからなくなってくることも。
前任校では今思うと厳しすぎたな、と思うこともやっていました。今はその反省もあり、ゆるく感じられることもあるように思います。でも、何度も失敗して、その都度反省させ、またチャンスをあげて、そこでうまくいったらほめる。プレーの失敗は失敗ではありません。生活上の失敗がきちんとクリアできたのなら、ペナルティも教育的な効果をもつことになります。それが一時的ながら厳しいものであれば、保護者との相談。今はこうしています、という途中経過も大切です。昔は、ここらへんが今思えば忍耐強く、語弊を恐れず言うなら寛容でした。少々きつくやっても「そんなもんや」で済んだ。済んだというか、それでよかったのでしょう。
学校がスポーツの指導をする以上、教育行為である必要が絶対的にあります。もちろん外部のスポーツチームにも必要です。ただ、我々は「学校の先生」という立場でやっているので、より外からは厳しく見られ、場合によったら気にしすぎてて失敗することもあるのかなと思います。
やはり大切なのは、生徒自身が平等なものだと捉えられ、反省につながるもの。厳罰は結局恐怖で抑止力を働かすことになるので、もう時代の要請ではありません。
学校の生活をしっかり全うさせる、というのが、僕は何よりも生徒を成長させるものだと考えています。苦手な勉強を6時間しっかりやる。係の仕事も。友だちとの不必要なトラブルは起こさない。全うするって大人でも難しいもの。だからこそ、あるときには目をつむっているフリをして泳がせたり、端から見れば小さなことでも厳しく叱ったり、そういうサジ加減が大切です。
自分の偏見も多分にありますが、どうも野球界は生活上の失敗に厳しすぎるような気がします。子どもは失敗するもの。次の失敗をさせないための大人の働きかけが単なるペナルティに終わってしまわないことが、僕ら指導者が心がけておくべきことではないでしょうか。
(補足:保護者のご協力とご理解が不可欠なのは言うまでもありません。僕もたくさん失敗して迷惑をかけてきました。ブレるというのは修正すべき点なのかもしれません。修正する勇気と、時には頭を下げる誠実さも必要だと思います。)
部によって実に様々なルールがあります。これを破ってしまったら、ある程度のペナルティもやむなし。そういう感覚が一般的ではないでしょうか。ひと昔前なら厳罰で取り締まる、という方法が主流だったかもしれません。でも、こういう時代なので、教育的に効果の認められないものは一切排除される向きがあります。信頼関係があっても、言い渡すほうはつらいものです。
よくあるトラブルに「あいつが良くてなんで俺があかんねん」というような、ブレていると捉えられるケース。学校で何か生活指導上で失敗した子がいて、その生徒の処遇を検討していくときに、微妙な判断に迫られるケースがあります。この間はこれで運用できたけど、今回はどうもそこに落とし所として持っていけそうにない。僕も何度か経験したことがあります。どれだけ説明しても、結局「学校の論理」(悪く言えば屁理屈)になってしまうのです。学校側の感覚ももちろんその正当性を議論されるべきと思います。そもそも、何が正当なのか、こじれるともうわからなくなってくることも。
前任校では今思うと厳しすぎたな、と思うこともやっていました。今はその反省もあり、ゆるく感じられることもあるように思います。でも、何度も失敗して、その都度反省させ、またチャンスをあげて、そこでうまくいったらほめる。プレーの失敗は失敗ではありません。生活上の失敗がきちんとクリアできたのなら、ペナルティも教育的な効果をもつことになります。それが一時的ながら厳しいものであれば、保護者との相談。今はこうしています、という途中経過も大切です。昔は、ここらへんが今思えば忍耐強く、語弊を恐れず言うなら寛容でした。少々きつくやっても「そんなもんや」で済んだ。済んだというか、それでよかったのでしょう。
学校がスポーツの指導をする以上、教育行為である必要が絶対的にあります。もちろん外部のスポーツチームにも必要です。ただ、我々は「学校の先生」という立場でやっているので、より外からは厳しく見られ、場合によったら気にしすぎてて失敗することもあるのかなと思います。
やはり大切なのは、生徒自身が平等なものだと捉えられ、反省につながるもの。厳罰は結局恐怖で抑止力を働かすことになるので、もう時代の要請ではありません。
学校の生活をしっかり全うさせる、というのが、僕は何よりも生徒を成長させるものだと考えています。苦手な勉強を6時間しっかりやる。係の仕事も。友だちとの不必要なトラブルは起こさない。全うするって大人でも難しいもの。だからこそ、あるときには目をつむっているフリをして泳がせたり、端から見れば小さなことでも厳しく叱ったり、そういうサジ加減が大切です。
自分の偏見も多分にありますが、どうも野球界は生活上の失敗に厳しすぎるような気がします。子どもは失敗するもの。次の失敗をさせないための大人の働きかけが単なるペナルティに終わってしまわないことが、僕ら指導者が心がけておくべきことではないでしょうか。
(補足:保護者のご協力とご理解が不可欠なのは言うまでもありません。僕もたくさん失敗して迷惑をかけてきました。ブレるというのは修正すべき点なのかもしれません。修正する勇気と、時には頭を下げる誠実さも必要だと思います。)
「いつもの声かけ」
制服のカッターシャツが後ろから出ている生徒がいます。皆さんならどう声かけをしますか。
1
「あら、マントみたいになっとるがな」
2
「こら、ええ加減な格好するな」
3
「制服出てるで。直しや」
これは皆さんの持ち味とかキャラクターとかで変わるとかと思いますが、同じことを野球部の生徒がやっていたら他の子と声のかけ方が変わりませんか。もし変わるなら、理由はなんでしょうか。
もうちょっと推し進めて考えてみます。これがグランドで、生徒の後ろ姿からユニフォームの裾が出ている。こんなときはどうでしょうか。つい「なんやそれ、だらしない格好すんなよ」と一喝したくなります。
こういう差異が僕の関心事で、教室とグランド、野球部の子と野球部ではない子の差異。ここに学校で野球を教える顧問個人の感覚とか、考え方とかが出てきます。
もちろん、学校の現状やそのことの関係があるので一律の答えにはならないでしょう。それは百も承知。
ふと、野球部の子に廊下で声をかけたときに思いました。僕は1。普段からこんなことを言いながら生徒に接しています。
2015年11月14日土曜日
学習会をします。
小さいですが、学習会をします。以下、告知です。
http://kokucheese.com/event/ index/343640/
↓
前回好評だった関西のディープな生活指導の話を、今回は「クラス」と「部活動指導」に絞ってお話ししていきます。30代の若手教員が目の当たりにしている現場の実態を、レポートと考察で一緒に考えてみようという会です。
講師は「部活動指導スタートブック」著者の杉本直樹(大阪市中学校)と若手の実力派の福島哲也(大阪府中学校)の2人です。思っていることを率直に語り合える場です。奮ってご参加ください。(学生さん歓迎します)
第2回 関西生活指導研究会 「クラスと部活動と」
12月19日(土)
会場:淀川区民センター 第5会議室
定員:10名
参加費:1000円(学生は500円)
12:50 受付
13:00 開会
13:00〜13:45 福島哲也 「クラスの子たちとどう向き合うか」
(学年団の協調性をベースにして)
13:45〜14:30 杉本直樹 「杉本的学級経営」
(仲間としての関係構築について)
14:40〜15:25 福島哲也 「部活動指導のこだわり」
(大切なことは何か)
15:30〜16:15 杉本直樹 「私の部活動指導のルール」
(生徒に「委ねる」部活動経営)
16:20〜16:50 対談形式 杉本直樹×福島哲也
17:00 閉会
* 小さな会です。参加者が数人でも実施します。セミナー初心者の方歓迎します。
(講師プロフィール)
杉本直樹
所属:大阪市立上町中学校。国語科教諭。中学校の野球部の恩師の影響を受け、中学校教師を志す。クラスや部活動において、生徒とのよりよい関係づくりを模索中。「教職員組織のチームワーク」、「部活動組織論」が研究テーマ。 最近は「教員としての部活動」の観点から発信を続けている。
単著:『部活動指導スタートブック』(明治図書)
共著:『教師になるには』(一ツ橋書店)、『教師のためのマネジメント』、『THE いじめ指導』、『THE 学級マネジメント』、『THE 手帳術』、『ゼロから学べる生徒指導』(明治図書)
福島哲也
東大阪市立中学校勤務。数学科教諭。若くして学年主任を務める。学年やクラスをいかにしてより良いものにしていくか、を問い続けている。「本物」にこだわる実践が多数あり、総指揮を務めた文化祭の学年劇が新聞記事で話題になる。ラグビー部顧問。
http://kokucheese.com/event/
↓
前回好評だった関西のディープな生活指導の話を、今回は「クラス」と「部活動指導」に絞ってお話ししていきます。30代の若手教員が目の当たりにしている現場の実態を、レポートと考察で一緒に考えてみようという会です。
講師は「部活動指導スタートブック」著者の杉本直樹(大阪市中学校)と若手の実力派の福島哲也(大阪府中学校)の2人です。思っていることを率直に語り合える場です。奮ってご参加ください。(学生さん歓迎します)
第2回 関西生活指導研究会 「クラスと部活動と」
12月19日(土)
会場:淀川区民センター 第5会議室
定員:10名
参加費:1000円(学生は500円)
12:50 受付
13:00 開会
13:00〜13:45 福島哲也 「クラスの子たちとどう向き合うか」
(学年団の協調性をベースにして)
13:45〜14:30 杉本直樹 「杉本的学級経営」
(仲間としての関係構築について)
14:40〜15:25 福島哲也 「部活動指導のこだわり」
(大切なことは何か)
15:30〜16:15 杉本直樹 「私の部活動指導のルール」
(生徒に「委ねる」部活動経営)
16:20〜16:50 対談形式 杉本直樹×福島哲也
17:00 閉会
* 小さな会です。参加者が数人でも実施します。セミナー初心者の方歓迎します。
(講師プロフィール)
杉本直樹
所属:大阪市立上町中学校。国語科教諭。中学校の野球部の恩師の影響を受け、中学校教師を志す。クラスや部活動において、生徒とのよりよい関係づくりを模索中。「教職員組織のチームワーク」、「部活動組織論」が研究テーマ。 最近は「教員としての部活動」の観点から発信を続けている。
単著:『部活動指導スタートブック』(明治図書)
共著:『教師になるには』(一ツ橋書店)、『教師のためのマネジメント』、『THE いじめ指導』、『THE 学級マネジメント』、『THE 手帳術』、『ゼロから学べる生徒指導』(明治図書)
福島哲也
東大阪市立中学校勤務。数学科教諭。若くして学年主任を務める。学年やクラスをいかにしてより良いものにしていくか、を問い続けている。「本物」にこだわる実践が多数あり、総指揮を務めた文化祭の学年劇が新聞記事で話題になる。ラグビー部顧問。
「雨練」
今日はもともと練習の日。週末はいつもゲームを組んでいるのですが、地区の小さな大会の日程確保のためにどうしてもゲームが組めませんでした。そんなときに雨が降ると、説明しにくいのですが「良かった」と思います。ゲームが流れるとショックが大きいけど、練習の予定のときならこちらの裁量でどうにでもなります。というわけで、雨の練習でした。
校舎をランニングさせ、まずはアップ。これも始めから全力でやらせるのではなく、体を起こす意味で徐々にペースを上げさせました。次第に黙々と走りこむ生徒を横目に「がんばれよ!」と声をかけつつ、雨を眺めていました。トレーニングは2人一組で。いつも雑になっている基礎トレーニングも、ペアがいるとしっかりやろうとします。中には危なっかしいペアもいますが、ずっといい加減ではありません。自分たちで頑張るクセをつけてもらいたいものです。
そのあと、雨が降ったり止んだりでした。ウチは狭いけど水捌けは抜群。キャッチボールぐらいはできたらなと思っていたのに、ピッチングやセーフティボールで打ち込みなどができました。これはこれで収穫。
明日は先の大会の準決・決勝。朝方まで雨が降るようなので順延ではないかと思います。本体はオフ。選抜選手の決起ミーティングは決行なので、生徒をつれて朝から大正区へ。11月は自分のチーム以外でも本体をオフにする機会が増えます。先週は大会運営のために集合をかけていたものの、雨でした。元気が一番、天気が二番。仕方ない。月曜は朝にグランド整備と倉庫清掃。こういうことをきっちりさせて、また野球がんばってもらいます。
2015年11月9日月曜日
「クラブ会議 〜考えの可視化にこだわって〜」
今日は通常の会議と違う方法を用いた。付箋を使って、思考を可視化。昔からある方法。ただ、これがこういう部活動の場面であったかというと疑問符がつく。グランドでしか表現の方法がないのなら、結局は技術の巧拙のみが前面に出る。こうなると、僕のように補欠の生徒、技術に自信のない生徒は厳しい立場になる。それは学校現場にはふさわしくない。
赤坂先生のメソッドからは少し離れ、今日はスクール形式で座る。書くことに重点を置いた活動なので机も用意。今日はこのスタイル。
1 冬場のトレーニングについて
チームとして、個人としての課題を設定。付箋に落とし込む。これを、テーブルに貼り付け、ギャラリートークの方法でシェア。学年で分け、差異も意識させながらシェアリングしていく。
そのあと、付箋の内容を受けてプレゼン。なぜそういうことを書いたのかを明確にしていく。漠然とした意見、いつものトレーニングに行きつく結論のはまだまだ改善の余地はあるものの「理由を考える」ということに意義を感じる。もちろん、良い意見も出た。
2 ○○へのアドバイス
これが良かった。仲間として、特定の誰かを想定してアドバイスを付箋に。これをその本人に届けさせる。他の誰かにまだアドバイスしたいなら、付箋を取りに来させて追加。これが思いの外、機能した。「え、この子に集まるのか」と思うような、試合に出たり出なかったりの生徒に付箋が集まる。体格や素質に生徒は非常に敏感で、それを伸長してほしい旨のアドバイスが乱れ飛ぶ。この時点で、非常にポジティブな空間。誰も否定的な気持ちにならずにアドバイスを重ねる。
厳しい意見も出る。これが良い。辛辣な意見を感情的ではなく、理性が働く状態でフローする。受信したほうも、客観的に自分というものを捉えられる。何より、付箋が集まること=周囲の期待と捉えられるため、生徒の表情が嬉しそう。部活動はこれでしょ、やっぱり。
いつも厳しい声をかけている後輩に、改めてアドバイス。後輩から先輩に助言。僕らの世代ではありえない光景。でも、これで良い。ふざける者がいるかも、と危惧したが杞憂。今日は茶化しておもしろい意見で場を和ませることもしなかった。絶対それが影響する。今日は生徒の表情からそう感じ、僕の存在を極力消した(立命館大の荒木先生の投稿にあった「姿を消す」という投稿に激しく共感)。
3 冬の目標
数値、期間、何を、を明確にして、ノートに書いてこようと宿題。明日が楽しみ。ここは時間が迫っていたので思い切って宿題にした。
今日はいつもの車座をやめ、とにかく「可視化」にこだわった。特に2のワークの付箋は、もらった生徒の意欲につながる。これは可視化のメリット。付箋の活動は社会人の研修でも用いられるが、多くは目的的。それが当人に届けられるワークであれば、こんなに機能するのになあと一人で想像していた。中学生は言葉にするのが恥ずかしい年代。あえてそこを刺激すりるような、仲間からの言葉を届けるワーク。ほとんど思いつきのワークだったけど、生徒の今後を観察して以後につなげたい。手応えはあった。
これを1月のFGセミナーで提案しようと画策。まだまだやれる気がするので、クラブ会議の有効活用、可視化のメリットを最大限に活かした部活動指導、というちょっと風変わりな提案につなげたい。
2015年11月8日日曜日
「中止、連絡、会議」
今日予定されていた大会が雨天中止になりました。ウチは予選で敗れてしまったので、今日は大会の運営と試合見学、トレーニングの予定でした。そこで連絡網。僕は連絡網を作るときに3つのステップを作っています。
1
自宅と自宅以外の連絡先を明記して良い
2
自宅の連絡先のみ明記して良い
3
連絡先の明記を遠慮したい
3を希望された場合は、前後の人には連絡先を伝えるように言ってあります。昨今個人情報の扱いがデリケートになり、何重もこちらの準備が必要になります。もし変な使い方がわかったら今後連絡網が使えなくなる、そんなリスクと隣り合わせで。
連絡網を使うかも、と伝えていなかったので早く家を出た子に伝わらない可能性があります。そのため、集合場所に向かいました。この時点でまだ7時になっていません。…やはり集合場所に来ていた生徒がいました。無駄足になり、悪いことをしたなと思いました。申し訳ない。
僕は単身、試合会場へ。ブロックの会議だけはやりたい、ということでした。ブロック選抜大会の選手選考です。
大阪市の例の土曜授業。何かとこれが大会運営に影響してくることもあり、雨天順延はパズルのピースがうまくはまってくれません。なんとかやり繰りができ、会議を終えて帰宅しました。
この土日はきちんと活動できていません。でもこんなときもあるもの。しかもオフシーズンなので生徒の気持ちを盛り上げていくのは少しでも僕がグランドに出て指導することだと思います。
長い目で見て、雨のときは無理に活動をしなくても良いのでは、と思うのが僕の考え。でも今日はやってやりたかったなあと、そんな気になりました。
2015年11月6日金曜日
「地続きの指導」再論
今回は野球から少し離れるかもしれません。
学校の先生が部活動で指導をするとき、どうしても「ぶって」指導している場面があるのではないかと思います。怖い指導者ぶって、生徒を萎縮させて指導する、というようなケースです。僕ら教師は、よほどのことがないと教室で大声を張り上げて指導するようなことはありません。許してはいけないことが起きたとき、当然指導します。程度がひどいときは、大きな声になることはあってもいいかなと思います(もちろん、よほどのことです)
教室でにこにこしている、生徒の気持ちによりそって指導する授業や関係作りをしている先生が、グランドでは別人。生徒は混乱します。いまはスポーツの場面でも、結果で叱ったり激したりするのはやめようという流れになってきています。(生活がかかっているプロフェッショナルの世界は別です。)
教室の指導スタイルを自覚し、その姿でグランドで指導する。これからの時代、「厳しさはしつこさ」だと思います。強要とか強制で訓練され、磨かれた技術は確かに光るものがあるかもしれない。しかし、それと同時に失われた、踏みにじられたものも多分にあると思うのです。もうそれは時代の要請ではない。ここの自覚が大切です。何度でもトライ&エラー、できなかったら繰り返し指導する。しつこく。
一方で、指導が全然入らないようなしんどい生徒と向き合っている先生や、望まずその部を指導している先生に思いを馳せる想像力を、部活動指導の発信の際は持つべきです。こうやって理想論をまかり通る世界ばかりではない。ここも大切。こと、中学校の部活動では。
教室とグランドはつながっています。これが僕の考える「地続きの指導」です。生徒しかり。
2015年11月5日木曜日
普通の練習
今日は放課後予定がナシだったので、ずっとグランドにいました。スタートが遅く、きっと普段からこうなのだろうとちょっと暗い気持ちになりました。16:30にはアップを終わっておこう、という取り決めをみんなで確認。ウチの学校は終学活が長いのでどうしてもスタートがスローです。ラインを引いたり準備をしたり、みんなが面倒だなと思うことを率先してできる子が出てきたらいいなと願うばかりです。
それから1時間ほどノック。当たり前のプレーの確認。「ボリュームをひとつ上げよう」と声を出す素地を高めました。
そのあと、ボールを転がして基礎練習。どうしても上からボールを取りに行こうとする。ここの確認です。
もうこの時点で真っ暗。イメージノックに移りました。だんだんこの練習にも具体的な声が出てきたり、生徒同士でイメージを共有して連係したりと、良い練習になってきました。エラーしませんからね(笑)
ラストは逆ベースランニングと筋トレのミックス。走ってからトレーニングでもいいし、逆も可。筋トレは回数を決めていて、どのタイミングでもやってよろしい。生徒の考えで取り組ませました。
このミックスは、暗がりの中の練習なので適当にやろうと思えばできるし、こそっとやらないで終わらせることもできる。でも、自分を追い込める要素もあって、どっちを選ぶかは自分の意思だと生徒に話しました。「迷ったら面倒なほうを選べ」と言ってはいますが、果たしてそんなことができる生徒がどれほどいるのか。大人でもそう。その甘さをわかって、隣り合わせで練習をするのがこの時期の練習です。体が強くなってほしい。
反省すべきこと、向き合うべきことに真正面から向き合える練習を奨励していきたいものです。明日は会議。こうやって飛び飛びの指導になるのが中学校の野球部。これを埋めていくのは共通の目標なのでしょう。
2015年11月3日火曜日
「今シーズン公式戦終了」
今日は連戦、連敗でした。一つ目は完敗。二つ目は惜敗。どちらもこちらの力不足でした。残念ですが、これで公式戦が今年はすべて終わりました。一つでも勝てば決勝トーナメントに進出できる権利がありました。でも負けは負けです。
この一年間で、確実に変わったのは僕の気の持ちようです。エラーに腹が立たなくなりました。失敗して当然です。次のステップは、打ち取られた悔しさをすぐに整理することです。打つことは難しい。でも打てないととてつもなく悔しい。これこそ仕方がないのに、まだ僕はここを乗り越えられていません。きっとそういう部分が生徒に伝播し、彼らのモチベーションに影響しているのだと思います。申し訳ない。いまだに厳しい声に耐えながらプレーしている子たちがいます。僕の目標は、そういうチームに圧倒的に勝ちたい。こっちのほうが絶対正しいと証明したい。これが本当の僕の目標です。でも、それができていません。悔しい。これは正当な悔しさ。
技術的なところは、することがたくさん。積み上げていくのみです。体を大きくしていくことと両輪で。負けたチームは切り替えてやっていくのみです。
明日はクラブ会議。こういうときこそ、大切な機会です。文化祭で会議ができていなかったので、久しぶりに生徒たちの声を聴いてやれるなあと思います。
2015年11月1日日曜日
再開の言葉と「出藍の誉れ」
以前ブログをやっていましたが、どっちつかずだったのでこちらは野球に特化しました。facebookと同じ投稿です。以降、ご愛顧よろしくお願いします。
「出藍の誉れ」
文化祭が完全に終了。今日、展示発表の見学が終わりました。文化部の晴れの舞台、みんなの頑張りを存分に感じることができました。
昼から練習。昼食を早く終えた子から準備してランチタイムバッティングをしました。…。なんかおかしい。生徒のモチベーションがかなり低いのです。休憩をとり、生徒を集めて「このままならお互いにとって良くないから、このあとの練習をどうするか相談しなさい。このまま終わってもいいくらい。どうするんや」と投げかけます。相談。
すると、今日たまたま来てくれていた卒業生がメニューを考案し、そのあときっちり持ち直しました。理由は何かわかりませんが、いちいち生徒の不機嫌に付き合う筋合いなどないのです。いい加減にせえよ、と言いたいくらい。こんなムードで勝つとか負けるとかありません。課題設定をした練習がそのあとに展開され、今日の練習は終了しました。
卒業生は僕の意を汲んでくれているプラス、個々の技術の伸長を援助してくれます。実にありがたいことです。
練習後、技術指導に行き着くまでの姿勢の話を改めてミーティングで話しました。なかなか浸透しませんが、こういう地道な講話が大切です。
今日来てくれた卒業生は、僕が転勤して来てすぐの子と、そのつぎの世代。彼らはふたりとも、教職を目指しています。僕の指導は大会でどんどん勝ち進むような指導ではありませんが、僕の教え子のなかで「指導者になりたい」という子が少なからずいます。現に、教え子のなかで大阪市の先生になった子もいます。とても嬉しいことです。
前任校から数えて、僕の教え子に指導者を目指す子が毎年数人います。技術指導も大切ですが、とにかく続けたい、ひいては先生になって野球を教えたいと思ってもらえるのは幸せです。僕は大して大会で勝たせていませんが、僕の教え子の中から僕を遥かに超える実績を積む指導者がいてほしいものです。出藍の誉れ。弟子の方が優秀である、というのはあっても良い構図かなと思います。好きな野球を続けてほしい、ひとえにこの想いを持ちながら日々の指導にあたっています。
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高校版 修学旅行に行ってきた
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大阪市から兵庫県にうつって、気になる言葉の違いがある。 2つあって一つ◯、というような解答のシステムを 「完答(かんとう)」 って 大阪で勤めていたときに言ってたけど、 兵庫では 「完解(かんかい)」 という。 もう一つ、大きな問題のくくりを 「大問」 と書いて 「だいもん」...
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苦い思い出がある。ウチはかつて忘れ物をしたら活動に参加させず、掃除をさせていた。平日のある日、レギュラークラスの真面目な子が活動に必要な道具を忘れ物。何を忘れたかは覚えていない。その日は例によって掃除。野球ノートに「今日は何にもプラスにならない一日だった。自分が忘れ物をするから...
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もう1年以上も更新していませんでした。 コロナでも野球部はしっかり活動しています。 さて、ここに来ていろいろと変化がありました。 「部活動指導の心得」(明治図書)という2冊めの本を出し、日本部活動学会の理事を辞任し、学会も退会。時間とともに考え方も変わるものです。 最近どこに...