今日は一日中野球。朝、学校。そこからブロック大会の準決勝・決勝の会場へ。今日も審判三昧でした。ウチが所属するブロックでは、この組み合わせの日は審判を抽選で決定。僕は遅れて会場に入ったので決勝に割り当てが決まっていました。先日の審判の一件以来、もっと練習がしたかったので準決勝の一つも審判をさせてほしいと志願。この年になってやっと楽しくなってきました。2塁塁審と1塁塁審。わかっているつもりの動きに課題があることが自覚できました。審判はプレッシャーがかかるので億劫になるものですが、下手だからやるしかありません。
試合の合間に、ある先生が国語の授業の相談(僕は国語科です)。小学校の出前授業で何をしたらいいか悩んでいるということ。同じ1年生の担当みたいだったので「竹取物語の冒頭文の関西弁訳をグループワークで」という話をしました。これ、実際にやったことがあって、児童には好評でした。その先生もすごく喜んでくれました。中学校の授業って、おもろそうやな。こうやって入学してきてくれたらいいですよね。自分が国語の先生だったことを思い出しました(笑)
結果は東中が優勝、堀江中が準優勝。素晴らしいゲーム。スコアも1点差の締まったゲームでした。東中の生徒たちは試合中にしっかりと話をしていて、ややもすると「もうちょっと緊張感を持ってやれよ」と思うようなムード。ここを押さえ込んで指導者だけのイメージでムード作りすると、きっとこの雰囲気は出ない。「ああ、めっちゃ緊張したわ」とか、そういう率直な感想をイニング間で交わしています。しんどい場面も声を掛け合う。作り込まれたムードではなく、実にこれが自然にできている。指導者が勝ちたいって思ってあれこれ言ったりやったりしても、最後は生徒。生徒が自分たちでやらないと勝てないわけです。
「おい!楽しめよ!」とか、こういう公式戦で選手にハッパをかける人がいます。楽しくないですよ、大きな試合の緊張感のある場面。(ブロック大会みたいな、小さな大会でも生徒は緊張するものです)でも、生徒たちがみんなで試合をしていました。堀江もあっぱれ。どっちが勝ってもおかしくないゲームでした。こういうムードをどうやって醸成していけばいいのかな、と審判をやりながら考えていました。やはりある程度「できる!」という自信がないと。これからは地道な、基礎的なトレーニングを練習に励みます。
うまくなっている、と実感できることは楽しい。おもしろい授業ができたら先生も子どもも楽しい。ゲームに勝つことは楽しい。楽しいことからしか学びはない。それなのに、強いていないか。これは教えるものの宿命だと思います。
2015年11月28日土曜日
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