一緒に働いていた体育の先生の話。今日は少し長くなります。
その先生は体育の先生″なのに″詩人の心をもった方だった。それでまた筆ペンで麗しい字を書かれる。おそらく書道のたしなみのある方で。でも、とてもその字は麗しかった。生活指導部から「生指部通信」を出すときは決まって自分の言葉で書かれる。「授業に遅刻しないように」とか決まりきった、誰も読まないようなことは書かない。「それでええんか?」というような語り口調をまぜて、話すように綴られていたのを覚えている。文面チェックもこの先生だから、ということで決裁が通ったのだろうと思う。
生徒からもあだ名で呼ばれ、その代その代で呼ばれ方も違った。僕が出会ったころはあるサッカー選手の名で呼ばれ、同じ学年で働かせてもらったときはまた違うサッカー選手のTシャツを着ていたので、それ。通信にもその名で俳句を詠んだり。そんな方だった。体育の先生″らしく″体格はがっしりされていたが、本当に柔らかい感性をお持ちで、そのアンビバレンスが羨ましかった。
思うに、自分の言葉で語れる人は、それらしくないそれに見えるものだ。見せようとしていないからそう見えない。また、見せようするのではなくそうしている姿が、単にそれらしく見えないだけだ。言葉は立場から出るものではない。言葉とは自分自身から出るものなのだ。
空き時間によく元気な子たちの相手を一緒にやった。ゴミを拾う、話し相手になる、授業に入るよう促したり、学校の外にいるときはとりあえず戻ろうと諭した。ほんまはこんなんじゃあかんねんけどな」「俺ら、一緒におることしかでけへんって悔しいよな」とよくやりとりしたのを覚えている。こんな感じだから、元気な子たちも一発でその先生の言うことを聞くことはない。
でも、何かあったときは「◯◯と話をさせろ」とその先生を必ず要求してきた。僕はその姿も羨ましかった。件の先生が出てきたところで解決なんかしない。彼らは窓口を求めているのだ。それは、自分たちをわかってくれる人を、自分たちの言葉をわかってくれる人を求めているということ。僕にはそれがよくわかった。
これを甘やかしていると見る人たちも、もちろんいた。甘やかしているように見えるのは、自分に彼らと話せるチャンネルがないからだ。チャンネルがあれば関われる。外でタムロしている子たちに何の関係もない普通の人が話せるチャンネルが存在しないのと同じだ。彼らとの会話は甘やかしているだけ。外からはそうとしか見えない。ここには見えざる、それこそ膨大に積み上げた彼らとの時間があった。本来チャンネルをもつ人が関わること以上のベストはない。
体育だから、学校の先生だからじゃなくて、自分の言葉で語ること。そうやって語って、一緒にいた時間はれっきとした生徒指導の時間だったと僕は思う。
たいへんな学年を卒業させて、同じタイミングで転勤になった。違う学校になり、年賀状をやりとりしたり、たまに会ったら話すくらいのほんのりとつながっているような関係になった。その先生が行かれた学校の先生に聞くと「いま一番しんどい子の面倒見てるよ」と教えてもらった。関わってもらえる子たちの心が豊かなものになることが想像できた。あ、またあの感じなんやろな、と。
あたたかい人になるためには我慢強さに似た、本当にその子を信じようとする気持ちなのだと思う。できそうなことって、えてして難しい。そういうことを教えてくださった先生でした。
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